茶多令夫人の恋人 | 松ボックリのブログ

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人間関係においてそれしかない人間関係で人生を過ごしている人も多く居た。先祖伝来の遺言「城を建てる希望」もそれを持ち続ける事に寄って平衡心を保ち続ける為に必要だった。不安を束の間忘れさせてくれる。

落ちぶれているが、でっかい夢だけは子孫に託して死んで行く。いつかこの夢を叶えてくれ。デッカイ城郭を建てるホコリを胸に、一族と離れて暮らさなければならなくなった落ち目を吹き飛ばして生き延びてくれ。願いを告げずに死んで行った先祖達の遺言である。

明治政府に農耕地の下賜で地位を保障されなかった貴族はそれまでの蓄えで農地を手に入れたとしても戦後の不在地主の農地解放で土地を取りあげられ、外の色々な経済的事情で面目をつぶされる事も多くあった。

茶多四朗の祖父は連れ添う妻が大商人の娘で知り合いの政府高官を紹介した謝礼を貯めて牛田山塊外輪山の何処かの頂上にデッカイ茶多城を建てるのが夢であった。少しずつ土地を購入して南東に少し下った鞍部の斜面に別荘を建て住まいとした。

祖父の夢を叶えるべく別荘の下の土地を茶多誠之臣が第二次大戦後に造成して分譲して売った代金で牛田山山塊の南東側斜面を購入した。その辺りまでが戦後の農地解放を逃れた茶多家の運の良さの限界だった。

 茶多四朗は木村崎アオイより「しつけ」に気を使われて育てられていた。それはともすれば一般人と区別する為の上流家庭特有の情操教育の一環でもあった。

もともと保護されている上流階級の子弟が外弁慶になるのも周りの人間が彼の能力を買い、彼の性格を許容するまでの紙一重なのだが、人前に出る自信がない分だけ臆病さが感じられた。