読書「チョムスキーと言語脳科学」 | 抹茶アイスのブログ

読書「チョムスキーと言語脳科学」

酒井邦嘉著「チョムスキーと言語脳科学」2019年 インターナショナル新書

を読みました。



筆者は、ここでチョムスキーの言語理論を紹介し解説していましたが、結局、生得的な文法規則を具体的な脳の機能と結びつけて明らかにすることはできていないようでした。


第二章のチョムスキーの「統治構造論」の解説の中では、言語の文法規則を数式で表すものとしていくつかの指令公式が取り上げられていましたが、人間の思考を解き明かすには程遠い感じがしました。

コンピュータが、膨大な数式の指示によって動くなら、人間の思考も、最終的には、数式で表現できるかもしれないし、そこに公式と呼べる規則を見出せるかもしれません。けれども、少なくとも筆者の説明を読む限りでは、道のりは実現不可能なほどに遠く感じました。果たしてそれは可能なのでしょうか。


また、この本では、言語規則を数学的に変換することに重心が置かれていました。

生物学的な観点としては、やはりどのような活動をしたら、脳のどの部位が反応(活性化)するかという考察だけでした。


私は、生物学的な観点から、脳の細胞レベルの興奮伝達の仕組みと思考との関係に興味があったのですが、やはりそれは素人考えで、とてつもなく難しいことか不可能なのかと感じました。


ところで、この本を読んでいて、気になるところがありました。

それは、チョムスキーの「木構造」の文を日本語の文を例にして解説していた筆者の例文です。

筆者は、メールのやり取りの文の意味解釈が変わる例として、A「先日の件ですが、土曜と日曜の午後ではご都合いかがですか」というメール文に、B「それでは土曜の午前中でお願いします」という返信がきたという例を使って解説していました。

そこでは、Aは、土日両方の午後についてたずねたつもりだったが、Bは、土曜の全日と日曜の午後について聞かれたと解釈し、行き違いがあったとして、その原因は木構造の区切り方にあると解説していました。

しかし、ここで、Aの文に違和感を感じました。


そもそもこの例文は、適切ではありません。

①か②のどちらかを尋ねる発話では、「①②のどちらがいいか」と、助詞は「」を使うのが自然な文で、「①②のどちらがいいか」という助詞「」を使うのは、子供に物を尋ねるときか、話し言葉で状況がわかっているときという場面限定があると思います。

メールで誤解が生じる文の例としては、

Aのメール文を、「…土曜日曜の午後はいかがですか」という文にして、土曜の午後か日曜の午後と聞いたのに、Bは、「土曜日全日かまたは日曜午後」と受け取って返信した。という解説にした方が、日本語的にスッキリします。

適切な助詞「か」を用いた文で説明すればよかったのでは?


文の木構造の形が違うという解説に支障はありませんが、例文が不適切な感じがしました。


感想は、このくらいで。


やはり、言語規則と脳の働きを関連させて考えるのはとんでもなく難しいことだったと痛感しました。