miyu☆さんの秋バージョンの第二回です。
まだ続きます^^
先月に引き続き、同じメンバーでの撮影会がありました。
場所は旭川市内にある三浦綾子記念文学館の裏にある外国樹種見本林でした。
モデルはmiyu☆さんです。
前回、ブログを紹介するのを忘れました。
ブログはみゆ☆ぶろぐん 北海 道北役者です。
仲間のカメラマンさんたちにも助けられ、良い撮影会でした。
何回かに分けますね。
秋らしい衣装を用意していただき、良い作品になったと思います。
少し寒かったですよね^^
そんな中、ありがとうございました^^
続きます・・・・
最近知り合った方から「まっつさんの経験して来たことは、人に伝えて行くべきだ」というお言葉をいただきました。
お世辞や大げさが大半だと考えても、確かに私のような経験をした人は少ないでしょうし、これからはもっと周りでも多くなる家族への介護の経験から体調を壊し、その中から失ったものも大きかったですが、学んだこともとても多かったので、何かの形で残しておきたいとは考えていました。
子供の頃に目標を見つけ、それを叶えて、自分なりには大きな仕事をして来たつもりでいます。
しかし家族の介護が始まり、いろいろな制度に疎かったために、自分の異変に気がつく前に職場に迷惑をかけ、自分自身と見つめ合って、どうしてこうなったのかに気がつくのに、随分と時間を費やしました。
仕事が趣味のような人間だった私が、自分のやりたいことを失ったことはとても大きなことでした。
本当に毎日が辛くて、何も出来ない日が続いたり、悪いことばかりを考えて過ごしていた中で、昔カメラで撮影していた時のことを思い出し、家族の奨めもあって、少しずつ撮影を再開しました。
時にはカメラマン仲間から撮影の仕方を教えてもらったり、モデルを快く引き受けてくれたりした人もいて、撮り貯めた作品が増えていきました。
最終的には自分だけの一例ではありますが、自分の体験を皆さんに伝えることで、特に子供や若い人たちに夢や目標を持つことの重要さや、年配の人たちには身近なことになりつつある介護の問題で、制度や考え方が解っていれば、無理をして体調を壊したりすることもなかったのかも知れないということを、一人でも多くの人に伝えたいと思っています。
でもその前に、今までお世話になった方達のおかげで、写真を撮れるようになれたことに感謝しているんです。
そこで撮り貯めた写真の中から、写真を教えてくれた方々への感謝の意味も込めて、何か伝えることはできないかなと考え、今回のデジタル出版にこぎつけました。
体験談を出すには、まだまだ心の準備や原稿書きなどの作業がありますが、写真であればすぐに形にできると考え、色々考えたんですけど、まずは四季を通じて撮り貯めていた「青い池」をテーマにしました。
それほどたくさんの枚数ではないですが、青い池の四季の表情とその上流にあるしらひげの滝をおまけとして盛り込みました。
使用した写真の一部です。
中身はまえがきとあとがき、写真は30枚に絞った風景のみの作品です。
出版ともなると本当はお世話になった方達に配る場合もあるのですが、デジタル出版の性質上、そういうことができないようで申し訳ないのですが、まだまだ未熟なカメラマンなので、自動販売機で販売している清涼飲料水の定価と同じくらいにしました。
気になった方は以下より手に取ってほしいと思います。
お世話になった方々、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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青い池としらひげの滝: 北海道の風景
Amazon |
※なお、この本を見るにはKindleアプリが必要になります。
今日、職場の同僚から「隣の旦那さんが亡くなったんだけど、今はこっちから顔出すんじゃなくて、向こうから『家族葬でやります』って来る時代なんだ」って言われました。
確かに、うちの町内会でも最近不幸があって、まだ四十九日を迎えていないと言う頃だけど、家族葬で執り行ったようで、最近こういうケースが増えていますよね。
身内の不幸というのは、年上だから経験しているという問題ではなくて、うちは昨年だったけど、定年間近の先輩は最近ようやく四十九日を終えたと話していた。
当初、その先輩も家族葬でやると話していた。
いろいろな事情があるのはわかるけど、遺族の知り合いの中には生前お世話になったから、何を差し置いても駆けつけたいと思っている人だっているはずだし、自分はもう職場には長くいないので返すことができないと言っていたが、今まで先輩は職場の人たちにしてきたことなんだし、今回はそれを返してもらう時だし、もらった個人に返すという問題ではないような気がするという内容の話をさせてもらった。
実際に私だって、職場の同僚だった人の奥さんや親の葬儀に行ったけど、うちの親の時には来なかったという人がたくさんいる。
でもそれが普通なんじゃないのかなと思う。
家族の中での顔と、外の顔は違うもので、特に仕事をしていた人であれば、同僚や関係者から慕われていた部分はあると思う。そんな部分は家族には見えないことだ。
外に出ているものは、ただ仕事をしているだけではなく、そういう付き合いも含め、仕事ではないところでも気を配ったり、色々とあるものだ。
そういう人たちの思いをもう少し考えてあげられないものかなと感じる。
うちは古い家なので、いろいろな事情があって、祖父の弟という人の葬儀をお袋と私で執り行ったことがある。
ずっと住み込みで働いていた人で、結婚もしていなくて、早い時期から施設に入所していた人だったけど、とりあえず親戚には伝えた。
お金の問題もあるけど、御香典など何かとありがたいものである。うちはいくつかの葬儀を出しているけど、赤字の葬儀になったことはない。
それだけ故人が生前に周りにやってきたことなんだろうと思う。
まぁ、これという正しいやり方なんか、それぞれ違うわけだから、一概には言えないことではあるけど、故人だって世の中に色々やってきた過程の中で、その人に恩を感じている人だっているわけだから、そういう人が一人でもいるのなら手を合わせてももらう場を作った方が良いと、私は考えている。