読んでくださっているある方(※)から「Offshore CNY シリーズ面白し」とのご意見を頂いた。ありがたいことだ。

で、mattの書いていることの正否はともかく、徐々に続きを書き加えていこうと思っている。

唐突に書くが、mattはテクニカル分析が理解できない。自分自身「理解できていない」という自覚がある。

反対にファンダメンタルズ分析なら一定の理解をしていると自覚している。少なくとも株式市場ではある程度成果を上げられるようになった。

商品市場でもファンダメンタルズ分析をしようと最近実験を始めている。今のところ通貨市場と違って、できそうな感じがしている。

通貨市場には2年近く前から取り組んでいるが、通貨市場では今のところファンダメンタルズ分析をどうやったら効果的にできるのか、分からないままでいる。(※※)

そこで、8月下旬に「世界国勢図会 2005/06」という統計年鑑を買った。世界の国々の統計データが載っている厚さ2.5cmくらいの本だ(※※※)。世界の国々の国際収支が掲載されているので調べてみた。

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※ ブログを書かれている方。URLは <http://futures.ameblo.jp/ >

※※ このブログを始めたのは、「どうやってFX売買をやったら良いか自分で考えるため」だった。株式の売買についてはあらためて方法論を考える必要を感じていない。株についてほとんど書かないのはそのためだ。

※※※ 20年以上前に手に取ったときは厚さ4mmくらいの薄い冊子だった。

モンゴル高原を統一してから5年後の1211年、モンゴルは南~東の金「女真系キタン政権」を攻撃した。1215年までかけて華北のかなりの部分(註1)を支配下にいれた。

まず、シリンゴル草原(前回述べた内蒙古の草原地帯)にいた契丹遊牧民の兵力を味方につけた。旧契丹政権の君主一族だった耶律阿海・禿花兄弟の内応を得、彼らの人脈を利用してシリンゴル草原にいた旧契丹軍団を味方させることに成功した。シリンゴル草原には金朝の(官営)牧場もあったが、この馬も接収することができた。

緒戦から金朝にとって致命的な痛手になった。これによって金朝の戦力の中核がモンゴルに取られてしまったからだ。(註2)

次に、モンゴルはマンチュリアと華北へ侵攻し、略奪だけして引き上げる、という遊牧民伝統の戦いを繰り返した。この過程で金朝支配地域間の相互連絡が次第に悪くなり、首都中都(現在の北京南郊)の政府が他地域から孤立した。

首都が孤立したところで、モンゴルは首都を取り囲み、金に講和(降伏)を持ちかけた。金は応じ、(その時点で)公女・銀・絹を差し出し今後毎年歳幣を献ずる条件で講和を結んだ。モンゴルはシリンゴル草原へと撤退した。

このあと想定外の事態が発生した。

金の皇帝が中都(北京南郊)を脱出して、南の方現在の河南省開封(註3)へと逃走した。南へ落ちのびている道中、護衛の部隊が反乱を起こし、反転して中都を攻撃し、モンゴルに援助を要請した。これに応じてモンゴル軍団は中都に入城した。

モンゴルは今日の河北・山東・山西を掌握した。

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註1: 1215年時点で金朝の支配下に残されたのは主に当時の黄河より南の地域に限定された。今日の地名で言うとほぼ河南省と陝西省のみ。なお、当時黄河は洛陽付近からほぼ真東に向けて流れていた。

註2: もともと中核だった女真族の部隊がどうなっていたのか調べているのだが記述が見当たらない。漢化が進行し、軍事作戦能力が低下していたのかもしれない。

註3: 当時は汴京(べんけい)と呼ばれていた。

契丹から女真が政権を奪ってから以後モンゴル高原を統合する勢力が登場しなかったことは前述した。

が、女真系キタン政権が華北を席巻し、南宋と安定した対立関係に入ってから約60年後の13世紀初頭、モンゴル高原の遊牧民たちが突如統合された。統合した人物がチンギス・カンと称される男だ。

女真系キタン政権がシナの南宋やタングト政権(西夏)と対立・協調を続けている間、女真は結局モンゴル高原には手を出す余裕を持てなかった。モンゴル高原の東南部、現在の北京の北側の高原地帯(註1)にキタン政権に最初から参加していた契丹族を配備し、北辺の防衛にあてていた。

モンゴル高原では小規模な遊牧集団が抗争・合従連衡を繰り返し、高原の東部~中部では次第に「ケレイト」と呼ばれる集団が強力になっていた。また西部では「ナイマン」と呼ばれる集団が強力だった。

「モンゴル」と呼ばれる比較的小さな牧民集団を率いていたテムジン、後のチンギス・カンは当初「ケレイト」に従っていたが、1203年に反乱を起こし、ケレイト軍団を破って傘下の遊牧民たちを従えた。それから2年後にナイマンを倒し、高原ほぼ全域を制圧した。

チンギス・カンについては日本でも色々な書が出ており、彼が幼少の頃からの生い立ちを綴ったものも見られるが、反「ケレイト」クーデターを起こすまでの彼はまったくの無名人で、モンゴル高原やトルキスタンのどこにでもいたような遊牧小集団のリーダーだったに過ぎない。その時期の彼に関する正確な記録であると検証されている資料は実はない。(註2)

彼について確実な情報が得られるようになるのは、そして「モンゴル」と呼ばれる集団について豊富に情報を得られるようになるのは、1203年のケレイト打倒以後である。(註3)

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註1: 今日この地域一帯を「シリンゴル」と呼ぶらしい。東京のモンゴル料理店「シリンゴル」の話を以前したが、この店名はこの地名にちなんでいると思われる。(店主に確認したわけではない)

昔の地名で言うと、熱河、察哈爾(チャハル)両省あたりだ。

註2: 例えば「十八史略」や「元朝秘史」にはテムジンの若い頃の様子が書かれているし、ラシード・ウディーンが書いたペルシャ語の歴史書「集史」にも記載があるそうだが、これらの記録に一致しない部分があるとのこと。誰かが漢語・モンゴル語・ペルシャ語の最低3言語に通じた上で資料を比較しないといけないのだが、この作業をやった人はまだ世界のどこにもいないのだそうだ。(註4)

仮に日本人からそういう研究者が出てくるとすると、まず他のモンゴル史研究者との交流をはかったり他人の研究成果を読むために英語は習得しておきたいだろうし(英語で論文を書ければなお良い)、あと中世ウイグル語のようなテュルク系言語も習得したいところだろう。中央アジア遊牧民に関する資料はモスクワとサンクトペテルスブルクにたくさん保存されているので、ロシア語もできる方が便利だろう。そうすると、日本語のほかに6つも言語を習得... これだけで大変だ。

個人的意見だが、漢字文化圏出身者でないと、上記の3言語を全部カバーするのは困難だと思う。成人してから漢字を習い始めてもなかなか成果があがらないだろう。

註3: 「モンゴル」と呼ばれる牧民集団は唐代後期の9世紀にはすでに漢語の記録に出ている。彼らが400年近く後のテムジン率いるモンゴルの直接の祖先なのかどうか、mattにはよく分からない。

註4: 十八史略は漢語、元朝秘史はモンゴル語で書かれている。

正確に言うと、元朝秘史は「モンゴル語で書かれてはいるものの、文字は漢字。漢字でモンゴル語を音写して書かれている」という書物だ。漢字音写モンゴル語本文の傍らに漢語の直訳が記載され、また節のまとまりごとに漢語の意訳が記載されている。

「元朝秘史」と呼ばれる書物は、明代に漢人がモンゴル語を学習するために使われた教科書のような存在だったらしい。

だんだんCNYの「中国国外」取引の話でなくなってきた...

週刊エコノミストの記事によれば、今のところ中国人民銀行は売ったCNYを即座に手形を売却することにより吸収し不胎化できている。中国国内でCNYがあふれかえって金余りインフレを招く状況は回避できているようだ。

そうは言っても、CNY売り介入続きのため、今年の6月時点で中国人民銀行の総資産の過半(11分の5程度)が外貨建資産となっている。総資産額は日銀のそれに匹敵する規模(9割程度)になっている。日中間経済規模の差を考えると中国人民銀行の総資産はとてつもなく膨れ上がっていることになる。

こういう調節に限界が来るのかと問われると、mattにはよく分からない。そもそも限界があるのかどうかということ自体分からない。今のところ以下のように思っている。

① 理論上は調節に限界はない。少なくとも「こういう状態になったら限界だ」という理論/仮説はまだ発見されていない。

② もっとも、現実の世の中で市場参加者の動向によって限界が来ることは時々おこっていると思う。97~98年の通貨危機などはそういうことだと考えている。その中央銀行の能力を超えた動きが市場で一旦起こってしまったらどうにもならない。だから新興工業国のような経済規模の比較的小さい国の金融市場については、何らかの「調節の限界」は経済規模の大きな国の金融市場よりも相対的に発生しやすいと思う。

③ 香港で行われているような offshore のCNY取引は中国人民銀行の統制が届かない。ここが膨れ上がるとどうなるのか? 「雪崩」を起こす可能性が一応あるだろうと思う。「雪崩」とは、香港のCNY市場がCNYレートを先導して決める事態が発生し、上げか下げかはともかくトレンドが発生することだ。そうすると、中国国内の市場参加者が即座に手が出せないまま為替レートが動いてしまいかねない。自国民に主導権を与えようとしたら、自国の市場を開放し、自国内市場でデリバティブ取引を導入せざるを得ないだろうということが、こうして推定できる。(現に導入しつつあるが)

④ もう一つのあり得る行き着き先は、中国人民銀行が発行した手形が出回り過ぎることだろうと思う。このことは週刊エコノミストの記事には書いていないが。

中央銀行の手形は事実上現金と同じ存在だ。紙幣は「銀行券(bank note)」というくらいで、もともと民間銀行が発行する証書だった。「中央銀行の手形」と「紙幣」との間の差は、考えようにもよるが、本質的には限りなく小さい。中央銀行の手形が出回り過ぎると、いずれはそれが民間での決済手段として頻繁に使用され得るだろうと思う。債務者が債権者に「これは現金と同じだ」と言って、裏書きした中央銀行の手形を渡して決済を完了させることが行われ得る。

⑤ そうすると「通貨を吸収して不胎化し、インフレを予防する」オペレーションの意味が小さくなっていく可能性がある。「通貨供給が多すぎてインフレ」という悪いパターンに入り込む可能性が出てくるし、いわゆる通貨のみならず中央銀行の手形も価値が下がるわけで、中央銀行の発行する(手形に限らず)証書の信用が落ちる可能性が出てくる。

こうして考えてくると、経済的繁栄を維持しつつ自国民に経済活動における主導権を持たせる余地を確保し拡大するには、どこかの時点で介入を抑制し、市場参加への制約を少なくするしか手が無くなるときが来るであろう、ということが推定できる。CNYの offshore 取引自由化もそう遠い日のことではないと思う。

やっぱり、共産主義体制って戦争用の政治経済体制なんだな。あいつらちっとも言わないが、やはり自ら捨てるつもりなんだな、いずれ。

「週刊エコノミスト 9月13日号」では、中国人民銀行の資産構成をとりあげている。

香港という offshore market でCNYを売買できるが、それを除けばCNYはほとんど中国国内でしか流通していない。(モンゴルやインドシナ半島などである程度現金が流通しているらしい)

CNYのインターバンク取引は上海にある外貨取引センターで行われるのが多いらしい。同センターの外で銀行どうしが相対取引することも制度上96年7月からは可能になっているそうだ。

外貨取引センターでの取引の場合、銀行間取引とはいえ、「取引所での売買」なのだろう。取引所という限定された場での売買量がかなりの部分を占めているのなら、中国人民銀行のCNY売り介入は極めて効果的にできるだろうということは想像がつく。

それに、中国国内の外為銀行は外資系でない限り国営銀行がほとんどだろうし、外資系銀行も許認可権を中共政府に握られているから、仮に外貨取引センターの外で相対取引をしたとしても、それら銀行は中央銀行ともども共産党の指導下におかれていることに変わりはない。そうそう簡単に政治家の思惑から独立して取引できるわけではない。

と、なると、中央銀行=中国人民銀行によるCNY売り介入は、外貨取引センターの中であろうが外であろうが、効果を高くすることができるであろうことは容易に想像がつく。

実際、為替レートの変動を日次では±0.3%の範囲内に抑えこめている。今年の7月21日に行った2.1%の切り上げも、いついくら切り上げるかも含めて中国人民銀行が為替レートの変動を効果的に管理できている状況を示していると思う。

(続く)

「週刊エコノミスト 9月13日号」の特集記事についてもう少し見る。

中国製造業が外国へ輸出(日本企業から見ると下請への加工委託)するにあたり、地方政府系企業が輸出契約の仲介者になっていることを、昨日の投稿で述べた。

同じ企業(輸出を仲介している地方政府系企業)が子会社を香港に設立し、輸出代金の一部(過半?)をその香港子会社を通じて日本企業から回収していることも述べた。

物的証拠を入手できたわけではないので憶測/推測をまじえて書くしかないが、記事の内容と自分自身の中国経験から考える限りこういうことだと思う。

① 外国企業が中国国内企業に加工委託しようとするとき、地方政府に「ビジネスチャンス(たかるチャンス)」が生まれる。

② 地方政府は、まず孫請への加工委託代金を2つに分ける。片方は外国から中国へと直接送金され、中国国内で外貨/CNY両替が行われる。地方政府系企業はこの代金を2割ピンはねした上で、孫請製造企業へと支払う。

③ もう片方の代金は、ハードカレンシー建で外国企業から地方政府系企業(香港子会社)へと支払うよう契約が締結される。この部分の代金の孫請への支払を、地方政府系企業はできるだけ遅らせる。

④ 孫請への代金支払を遅らせて時間を稼いでいる間に、外国企業から加工委託代金を香港国内でハードカレンシー建で回収する。(預金は外貨建でもHKD建でも、どちらでもよい)

⑤ 香港国内で回収した外貨或はHKDを、香港領域内で(或は外国、或は中国国内向けに)運用する。例えば不動産投資したり、株式投資したりする。

⑥ 運用して得た利益は地方政府内で山分けするか、或は地方政府の有力者のものになる。(名義はともかく実質的に)

⑦ 運用で時間を潰された後に、加工委託代金の残金(「もう片方の代金」のこと)がようやく中国国内の孫請製造業に支払われる。このときはCNY建で支払われる。HKD/CNY両替は香港領域内で行われる。


というわけで、記事に合わせて発注元が日本企業だとすると、おおむね

・中国国内における「USD売り/CNY買い」或は「JPY売り/CNY買い」
・香港領域内における「HKD売り/CNY買い」

が行われ、また後者については中国当局から見て offshore ということになる。

原則論として offshore でのCNY取引を自由化していないにもかかわらず、香港でだけは事実上野放しになっているわけだ。それも、中国人/中国企業/中国の地方政府が率先して offshore CNY取引に血道を上げていることになる。

「週刊エコノミスト」記事からはその規模は分からない。

毎日新聞社発行の「週刊エコノミスト」という経済誌がある。「週刊東洋経済」、「週刊ダイヤモンド」と張り合っているようだが縄張りが多少はあるらしく、CNYネタを好んで取り上げるのは「週刊エコノミスト」だ。

今週発売の9月13日号もそうだ。6月に続いてCNY特集を組んでいる。香港でいかにCNYが流通しているか書いている。

広東省の企業に加工を委託している日本企業(製造業)の事例を一つ挙げ、日本企業が中国の下請け相手にどのように仕入代金を決済するか、香港が代金決済の場としてどのように利用されているか、記述している。(※)

日本企業 ← 地方政府出資商社@広東省内 ← 地元系製造業@広東省内

という仕入契約(委託加工契約)が結ばれる。この契約系列を「契約系列A」と呼ぶことにしよう。

「契約系列A」では、地方政府出資商社が代金の2割を得る。8割が地元製造業者に支払われる。この孫請け仕入代金をできるだけ絞る。日本企業が従業員計画数を実際の稼動人数の数分の1程度に抑えて計画を策定し、地方政府の許認可を得る。

次に上の「契約系列A」とは別に、以下の「契約系列B」を締結する。

日本企業 ← 地方政府系商社の子会社@香港 ← 地元製造業@広東省内

日本企業から地方政府系商社の子会社@香港に対しては、代金をHKD建で支払う。上記の「契約系列A」では孫請け仕入れ代金が絞られている。だから「地元製造業@広東省内」では、人件費をそのままではまかなえない。その不足分をこの「契約系列B]経由で決済するのだという。

地方政府系商社の子会社@香港から地元製造業@広東省内に対しては、CNY建で支払う。

なぁ~るほどね。ピンとくるところかなりありだ。^^

こういう「輸出入窓口に政府系企業が入る契約スキーム」は、かつてmattが中国向け輸出関わっていたときにも頻繁に出くわした。そのときは北京にある中央官庁管轄の企業だったし、上記のような offshore の子会社経由の決済をわざわざ創り出すために契約金額を「調整」するなんて露骨なことは無かったが...

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※ 中国絡みの仕事にかつて携わっていたが、香港に滞在した期間はほとんど無かった。そのため、香港領域内でCNYがどのくらい流通しているか実感したことが無い。この記事はそれなりに面白かった。

※※ 上記「契約系列A」、「契約系列B」の図式中の矢印「←」は、物品販売の引渡し行為の向きを示している。代金支払いの向きではない。

以前トラックバックステーションの命題設定について批判したが、そのかいあってか(?)多少ましになったようだ。

9/11について、mattが思うことはかなり前に述べた。あれはアメリカの自作自演だろう、ということだ。

自作自演だということは、ペンタゴンの「被害箇所」の周囲に旅客機の残骸が散乱していなかったことから分かる。

今のところ、日本人としてはどうしようもない。黙って従っているしかないだろうと思う。

首都の郊外4箇所、青森県、山口県、長崎県、沖縄県に基地がある。沖縄と横須賀はアメリカの世界戦略全体から見て大変重要な基地だ。

おまけに兵器の修理工場として日本の製造業はとても優れている(註)。それだけではなく、兵器の生産工場・開発機関としても優れていて、部品を中心にアメリカの兵器産業に多くの貢献をしている。

これは広い意味での兵站だが、国債やUSドルの買い支えまで、頼めばやってくれる。

mattがアメリカ人だったら、日本は絶対に手放したくない第二次大戦の戦利品だと思う。

mattとしては、中東の人々にはこう言いたい。「あなたがイラン人だったとしよう。首都テヘランの周囲4箇所とその他4箇所の自治体に米軍基地があるとする。その上でアメリカと安全保障条約を結んでいるとする。それらの基地がアメリカの世界戦略にとって重要な基地だとする。そこでアメリカ人にこう言われたとする。『イランはアメリカにとって最も重要な友好国である』と。あなたならどう思う? イランが真に独立国だとアメリカ人が思ってくれていると思うか?」

もちろん、法的には日本は独立国だ。独立国としてアメリカと「対等の立場で」条約を締結した建前はとっている。

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註: 実際、神奈川県にある住友重機械の方が、San Diego のUS海軍工廠より優秀だと読んだことがある。ある航空母艦の舵が故障し、San Diego が直せなかったのを住友が直してしまったのだそうだ。

誤解を招かないよう昨日の続き。

昨日の投稿は、シナ社会を非難する意図を持って書いたわけではない。

この種の apartheid はシナ社会の専売特許ではない。近代以前には世界中で広く見られた。日本だってそうだ。

江戸時代には農民が「逃散」すると罰せられた。移動の自由、身体の自由が無かったわけだ。

中世ヨーロッパでも、農民は領主の支配を普通は勝手に抜け出せなかった。ただ重要な例外があったらしい。(註)

生産力の低い社会で移動の自由を認めると確かに危険だ。農作業に人力と畜力を投入することが前提になっている社会で人間が自由に移住できると、特定地域の生産ががた落ちになってしまいかねない。その集落社会が崩壊しかねない。

移住する先の都市も生産力が低いと新規移住者に職業を提供できないから、失業者がたむろするスラム街ができあがってしまう。一見非人道的だが「農村に閉じ込めておくこと」が必要とされているわけだ。

結局、先に社会全体として生産性を向上させ、職業を新規に提供できるようになることが先決だということになる。技術革新、経営手法革新、法律制度改正の連続が常に要求されるというわけだ。

mattが昨日言いたかったことは、「シナ社会はまだ生産性向上・生産力増大へ向けて法律制度、社会全体を変革しつつある途中であって、(日本のように)それなりに出来上がった社会を前提として観察するのは危険だ」ということだ。

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註: 農村を抜け出して都市へ移住し、ばれないまま1年間を過ぎると許されたらしい。誤解のないように付け加えておくと、昔のヨーロッパでは「都市」といえば、城壁で囲まれているのが当たり前だった。だから「都市」に居住しているかいないかは、簡単に判別することができた。

シナにせよ、ヨーロッパにせよ、中東にせよ、ユーラシアの多くの地域で前近代においては「都市」は城壁に囲まれていたことは覚えておいた方がいい。日本の歴史ではそうでなかったため、日本人の意識からこのことが抜けていることが多いからだ。