前回のブログで黒田家発祥の地を訪れた事を紹介しましたが
其処からの帰り際に立ち寄ったところは向源寺です。
ここには、本堂仁隣接して渡岸寺観音堂が建立されているのかな?
何故に違う寺(二つ)の名前があるのか、謂れは判りません。
調べてみると、戦国時代に浅井・織田の合戦による戦火が寺を襲い、
燃え盛る火の中を住職をはじめ地元の住民の手によって、
堂宇から観音像を運出したものの守る堂が無いので、
止む無く土に埋めて戦火を逃れましたが、寺領没収で寺は消滅します。
後に、向源寺を建立して掘り起こした観音像を祀り御守りした経緯があるようです。
其処からの帰り際に立ち寄ったところは向源寺です。
ここには、本堂仁隣接して渡岸寺観音堂が建立されているのかな?
何故に違う寺(二つ)の名前があるのか、謂れは判りません。
調べてみると、戦国時代に浅井・織田の合戦による戦火が寺を襲い、
燃え盛る火の中を住職をはじめ地元の住民の手によって、
堂宇から観音像を運出したものの守る堂が無いので、
止む無く土に埋めて戦火を逃れましたが、寺領没収で寺は消滅します。
後に、向源寺を建立して掘り起こした観音像を祀り御守りした経緯があるようです。
本堂に入り、棟を繋いだ廊下を過ぎると、厳重に閉ざされた二重のオートロック扉
扉を開けると入り口から奥を見て右側に、大日如来と観音立像と獅子像が祀られ、
左には国宝で十一面観音像が御鎮まりになっていました。
その立ち姿は可憐であり凛としていながらも、姿を眺めていると
物腰は少し腰をひねるような状態で
今にも其処から歩きだしそうな雰囲気がありました。
扉を開けると入り口から奥を見て右側に、大日如来と観音立像と獅子像が祀られ、
左には国宝で十一面観音像が御鎮まりになっていました。
その立ち姿は可憐であり凛としていながらも、姿を眺めていると
物腰は少し腰をひねるような状態で
今にも其処から歩きだしそうな雰囲気がありました。
国法に指定されている十一面観音は、国内に6体あるといわれています。
それぞれに特徴を持っていますが、
渡岸寺観音堂(向源寺)の観音像は、他に見られない特徴を持っています
観音様はそれぞれ左手に持つものが違い、
渡岸寺観音堂(向源寺)の観音像は、つぼをお持ちになっています。
更に頭上の小面は、観音変化を表しているのですが、
他の観音像に比べ配列が目立つように彫り上げられ、
頭上から下まで一木刀彫成で高さは約1.9mあります。
更に、頂天には如来が彫られているのが常のようですが、
この観音像には菩薩が彫られています。
最も特徴的な部分は、
両耳朶には耳璫(じとう=大きな鼓胴式の耳飾り)を付けています
しばらく眺め佇んでいると、何を願うことなく自然と合唱し、
拝見(拝観)できた事を感謝していました。
天候も不思議な事に、黒田家発祥の地からの移動は雨がザアザア降って
渡岸寺観音堂(向源寺)に到着して参拝中はぴたり止んで、
いざ岐路の付くと、滋賀県から愛知県に入るまでは雨は降リませんでした。
木曽川を越える前後に瞬間強く降ったか思えば、
それ以後は雲が切れ雨は止み、無事帰宅できたという有様。
実は、家でくつろぐ暇も無く電話があり、
土地の利用許可を地主から頂いたと、仲介者から連絡があったのです。
すべてが偶然のようでいても、
何か深い視組みの中に動かされていたのかな?・・・思う一日でした。
それぞれに特徴を持っていますが、
渡岸寺観音堂(向源寺)の観音像は、他に見られない特徴を持っています
観音様はそれぞれ左手に持つものが違い、
渡岸寺観音堂(向源寺)の観音像は、つぼをお持ちになっています。
更に頭上の小面は、観音変化を表しているのですが、
他の観音像に比べ配列が目立つように彫り上げられ、
頭上から下まで一木刀彫成で高さは約1.9mあります。
更に、頂天には如来が彫られているのが常のようですが、
この観音像には菩薩が彫られています。
最も特徴的な部分は、
両耳朶には耳璫(じとう=大きな鼓胴式の耳飾り)を付けています
しばらく眺め佇んでいると、何を願うことなく自然と合唱し、
拝見(拝観)できた事を感謝していました。
天候も不思議な事に、黒田家発祥の地からの移動は雨がザアザア降って
渡岸寺観音堂(向源寺)に到着して参拝中はぴたり止んで、
いざ岐路の付くと、滋賀県から愛知県に入るまでは雨は降リませんでした。
木曽川を越える前後に瞬間強く降ったか思えば、
それ以後は雲が切れ雨は止み、無事帰宅できたという有様。
実は、家でくつろぐ暇も無く電話があり、
土地の利用許可を地主から頂いたと、仲介者から連絡があったのです。
すべてが偶然のようでいても、
何か深い視組みの中に動かされていたのかな?・・・思う一日でした。


