今年で天安門事件30年になりました。

僕はそのあと生まれて、当時の状況を体験したことはありませんが、

実家は北京に近いため、両親は当時の混乱を目の当たりにしているようで、

以前からよくこの件について語っていました。

この件について多く知っているわけではないんですが、

その事件を含めていろいろ語って記念にします。

 

この30年間、中国の経済は「中国モデル」として飛躍的に成長していましたが、

この体制をどうやって成り立ったかについて、

やはり背後には六四天安門事件がありました。

よくこの事件を一つではなく、

学生による民主化を求める運動と、共産党(李鵬、鄧小平)による弾圧事件、

二つに分けてみるすべきという声がありますが、

まさにその通りでしょう。

その弾圧から、共産党は「恐怖」という武器を再び手に入れて、

それを統治の根本としました。

 

これは、それ以前、共産党は恐怖統治を敷いてなかったという結論になりません。

大躍進政策、文化大革命、日々恐怖による悲劇が上演されていました。

しかし少なくとも、学生運動や、対話を続けたい趙紫陽の努力によって、

このような体制が揺るがされていました。

正しい道に行こうとしています。

(逆に、むしろ現在の共産党にとって、当時の学生たちは共産党という盤石にひびをいれ、

そのひびこそ趙紫陽だった、というべきかもしれません。)

 

30年の発展を顧みると、

共産党は経済発展に力を入れる、当然の結果ともいえますが、

逆にそれの背後にも、恐怖による統治が存在しています。

恣意的な投資政策、日常茶飯事な超法規的措置、

西側諸国の投資家を引き付けることができるんだったら、

どんな事をしてもかまいません。

自分も中国においてさほどの社会経験があるわけではないんですが、

発展の背後には、国民が払わされた大きな犠牲を少しでも感じました。

国有企業が払い下げ、失業が蔓延、

現代化のプロセスに法制度の改革が欠席し、

それによって民間企業や外資にとって不安定な状況が今でも続いています。

その苦痛を強いられ、代価を払わされたのは、

統治を敷く共産党ではなく、多くの国民でした。

もちろん、このような道が成功するとはおそらく多くの人も想像つかなかったことでしょう。

 

啓蒙思想家としてお馴染みのモンテスキューは(むしろ法地理学者?)、

お馴染みの『法の精神』の第9章において、

政治体制を「共和制」「君主制」「専制」に分け、それぞれの原理について説明しています。

(君主制と専制に何の区別があるかといいたいところですが、

簡単に片づけると君主制はかなり緩やかな統治をしている体制といえるでしょう。

現在上げられる例としてはイギリス?があると思います。

理解が乏しいので、説明が誤ったらご指摘どうぞよろしくお願いします。)

 

政治体制の話に戻ると、モンテスキューはその三つの政体を

「共和制においては徳が必要であり、

君主制においては名誉が必要であるように、

専制政体の国においては恐怖が必要である。」

と説明しています。

個人的な理解として、

一人ひとりにはそれぞれの「スペース」があるんですが、

一人がそのスペースが広けて行きくと、最後に他人との衝突を起きてしまいます。

その一人ひとりのスペースを制限し、平和を維持し、国家の目的を達成させるため、

共和政においては自制が求められ、

君主制には誇りを守ることによって節度が保たれ、

専制国家は恐怖によって人々の行動に制限をかけてその目的を達成させる傾向があります。

かなり古い議論であるが、

六四以後も議論を封じ、暴力を払い続け、

その国民を支配させようとしている国を理解するのに、

まだまだ使える論議ではないでしょうかね。

 

さらに言うと、国家が国家としてまとまるために、

イデオロギーを必要としていますが、

非現実的な話(ディストピア的な話)を言うと、

個々の個人が持ってる思想信条が完全に一致していれば、

それで簡単にまとまるんですが、

現実にはそうはいきません。

 

じゃ、思想信条をすり替えることができるかというと、それも難しいでしょう。

むしろ、与えられた思想信条について、

個々の個人は、それぞれその自身の経験に従って理解していき、内在化していきます。

完全に一致することはないどころか、

まったく違う評価を受けることもあるということになります。

健全な社会は、むしろこれを前提にして、

個を強くし、個々の個人の力を発揮できるような体制が作られ、

個々の個人の強さが結合して、最後国家全体の強さとなります。

人々が求めている正当性と正統性がここにあるかもしれません。

 

しかし、六四以降の中国には、このような正当性と正統性があるのでしょうか。

 

勤務の会社は事業進出のため、新たな商標が必要となりました。

 

この会社ももともと不動産業を中心にやっているんですけど、

それがかなり成功していて、

ここ数年増資を繰り返していました。

朝礼の時も社長がいつも東証上場の夢を熱く語っているぐらい、生き生きしています。

そのための事業拡大というか、

自分が入るかいなやの頃から、いろんな事業に手を出そうとしています。

 

本題に入ると、

今回の商標は、貿易とエステサロンに関するものでした。

名称については、社長はもう用意してありました。

(ぶっちゃけの話、占い師にお金を払って付けたのではないかとの疑惑がありますがwwww)

なので、あとはこの名称本当に使えるかを調べて、

書類作って特許庁に審査を出すぐらいでした。

 

実にいうと、商標登録は自分にとって初めてではありません。

以前大学在学時にも友達が相談に乗ってきて、その時一緒にいろいろ調べた経緯があって、

プロセスについてはだいぶわかっていました。

(とか言っても実行に移した試しはなかったので、ただのザコやんと思うかもしれませんwwww)

 

まあ、確実に登録させるために、一度特許庁に電話していろいろ聞いてみようかと、

思い切って電話をしました。

これがマジで正解でした。

特許庁の紹介により、知財総合支援窓口というところに繋がりました。

そこに足を運んで、

商標の検索方法や、出願の方法や費用など、

最初から最後まで、弁理士の方から詳しく聞くことができました。

名称についても一緒に調べていただいて、使える結論になりました。

このあとはかなり順風満帆!ともいえるぐらい順調でした。

 

日本の役所は素晴らしいですね。

自分の母国の中国では「行政に話を聞く」、「行政がアドバイスをする」なんて考えられなかったのです。

大体の場合話を聞いてくれず、

少しの間違いでも申請書が戻ってきて、不許可される中国に比べると、

日本の行政機関はだいぶ親切ですね。

この話も高校時代からの親友で、今中国で弁護士をやってる友達にしてみたら、

彼もだいぶ驚きました。

日本はこの点に関して、本当にすばらしい国と思いますね。

 

話戻すと、

出すのは3ブランドで、ロゴや標準文字やひらがなで、合計8通でした。

唯一てこずったのは役務なんですが、

他の企業の出願に参考しながら、何とか適切なものを見つけて、社長にOKをもらって、

出願の準備がこれで大体できました。

 

しかし、そのあと自分が直面したのは、

まさかの印紙地獄でした!

正直のところ自分はアナログ的な人間なので、

切手とか印紙とか貼ることにあんまり抵抗感を感じないんですが、

区分数で細かく計算して、キッチリした金額はなく、

時に〇百円まで細かく張らなければならない特許印紙にしては、話は別でした。

マジでだるかったです。

8通で20何万円で大した金額ではなかったのですが、

数えてみればなんと、1通あたりに6~8枚の印紙を貼らなければならなかったのです!

(こういうことはあんまりないっぽくて、近所の郵便局の特許印紙を切らしたぐらいでしたwwww)

買うのもだるい、貼るのもだるい。

印紙ののりで手がくっついてしまうなんて想像もつきませんが、

それが自分の当時の現実でしたwwww

銀行振込にしてくれませんかね本当に!!

まあ、いつかはそうなると思うんですけどね。

 

その後、印紙はりまくりの申請書を特許庁に無事に出して、

あとは結果を待つだけでした。

 

この件について、また何か進展あれば続きの話をアップするので、

よろしく!