日本からスイスに戻ってきて、すぐに受難節が始まりました。
一週目は、チューリッヒでバッハのヨハネ受難曲のプロジェクトをやりながら、フラウエンフェルドでモーツァルトのレクイエム。まさに、キリストの受難と「死」を匂わせる両プロジェクト。。。

そんなことを思っていたら、ヨハネ受難曲の本番の日の夜に、古楽界の生きたレジェンドであったニコラウス・アーノンクールが亡くなった、とレクイエムの本番の日にニュースを読んだのでした。
悲しい・・・。欧州に来てから「いつか聞きに行こう」と思ってた巨匠も、「まあいつか。。。」と機会を逃しているうちに亡くなってしまうことが増えてきました。アーノンクールも、ブリュッヘンも。レオンハルトはブルージュで一度拝聴できてよかった・・・あの時の衝撃は2時間くらいまともな会話ができないほど衝撃だったものです。。アーノンクールはこの前まで本当に活発に活動していたから、引退を表明してすぐに亡くなってしまうなんて・・・。漏れ聞いた話では、彼の「コンツェントゥス・ムジクム」について引退後に執筆していたとかで、彼としてもこんなにすぐにお迎えが来るとは思っていなかったのか・・?悲しいというか、また世界がちょっと寂しくなってしまったという感じです。


そんな世の中の動きでしたが、並行して私は、ヨハネ受難曲の前の日の夜中に「クインケ浮腫」という痛みも痒みもないけれど、顔がパンパンに腫れ上がる謎の病気にかかり、個人的な受難も受けていました・・・。15分で腫れ上がって、完治するのは4日間かかりました。

ここの何年かは、受難節には毎年(演奏会の数に対していわゆる人手不足も大いに手伝って)、自分の能力の少し上を試されるような本番が入ります。
今回は、正メンバーがすでにブッキングされていたことにより、繰り上がりの形でVorstand(首席?とはいえ2人しかいないから「前で弾いている」という感じ)を任せられることになったり(モツレク)、レチタティーヴォはじめすべてのアリアをチェロと重ねて弾いたり(ヨハネ)、その両方があったり(ユダス)。
いつも、ひな壇芸人のような”盛り上げTUTTI”を自負してやってることが多かったものでw、その点ある意味「責任」からは遠ざかっていたのです。正メンバーがいなくても仮首席を呼んできてその横でまたキャーキャー言ってたりとかして。この度は何を弾いているか、というのもあるけれどそれよりもセクションとしての責任感もそこそこ、というところが嬉しいけれどそれが受難というか、お腹が痛いです。ついでに、人を紹介するシーンもあったりして、そこで、「自分がいいと思っている人(憧れ)」なのか「自分が一緒に弾いて楽しい人(理解)」なのか、それとも「自分のポジションを奪わなさそうな人(!?)」なのかという色々な意見のハザマでうんうん唸っております。あと、「フレンドリー」ってどういうことなんだろうな、とか。口下手なもので。

色々考えながら大きくなっていきます。前も書いたと思うけど、音楽家って一生試されてますよね。上にも横にも下にも自分にも。