Castle Horn in Sunny Place
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みゆきさんの誕生日

また、週末に更新します。

りんのすけのクズ度をウォシュレットの水圧で測れるのならりんのすけは規格外だと言ってるだけデス


今回の元ネタはみんな大好きBorderlands2のDLC「Savage の王国」のクラップトラップのセリフから。案外有名なセリフだけどDLC持っていない人にはわからないか。
りんのすけはBorderlands2は2015/06/12時点でプレイ時間は約1600時間。まさにクズ人間ですね。

前回のタイトルは「ディア ノーバディ」でバーリー・ドハティの有名作です。生まれくる自分の子供に話しかけることで物語が進んでいく手法をとっていてNHKの青春アドベンチャーで聞いた人も多いと思う。ここでは、準人格の城崎ひなたではなく「まだ会っていない」本当の城崎ひなたさんを名前も知らない「ディア ノーバディ」という形式で話しかける、ということにしています。

準人格の自己愛構造体の話は長くなるので一旦置いとこう。今回はもっと核心に迫るお話をする。なんたって明日は富山に行かないといけないから。

人間の精神活動は力動精神医学で述べられている通りだけれど、そもそもの精神活動というか人間の本能はやっぱり

自己愛-自己意識

だと思う。人間の無意識の防衛本能というべき"無意識"は防衛機制のみならず、すべての人間の行動や認知、活動の根本になっていると思う。ようするに準人格の自己愛構造体はもともと突拍子もないところから飛び出したものではなく、正常の人間も同じようなものを持っているといえる。ただ、"準人格の自己愛構造体"正常でなく異常というにはわけがある。それはその人が所属する文化、文明の中で期待される正常な範疇から大きく逸脱した性格や認知、という心理学、精神医学の正常異常のテンプレートを用いて説明することもできるけど、本質的にはもっと掘り下げられる。それは

準人格の自己愛構造体と正常の人格の間には大きな格差、開きがある。
ということ。ちょっと説明が遅れたけど、心の病気の人は「正常な部分」が全くないわけではない。正常な部分があって病的な部分がどれほどか、その病的な部分がどういう振る舞いをするかで病気の度合いが決まると、対象関係論は説明できる、とされている。

話を戻そう。
"準人格の自己愛構造体と正常の人格の間には大きな格差、開きがある"→準人格の自己愛構造体は言うなれば「みんなから見捨てられないように」表面的に取り繕った偽の自分であるからその人の包み隠さず素の自分とは似ても似つかないレベルであることは考えてもすぐにわかる。でもそれを知らない人から見れば、「人が変わったように見える」はず。このギャップこそが心の病気の人の最大の問題にして一般の人から理解されないところである。

さらに厄介なことにこの準人格と本当のその人のスイッチは「自己愛-自己意識」からなる防衛機制、つまり無意識によって自動的に切り替わるところ。だから、本人が自覚しない限りその場で、もしくは後で詰問しても当事者たちは頭の上に?がたくさんつくだけ、当惑するだけで事態をややこしくするだけである。

そういう意味で、精神分析=解釈はある意味で正しい。その解釈に耐えられるだけの"自己"があればの話だけど。この話も長くなるので、今日はここでおしまい。

じゃあ、問いかけの時間。

あなたは、本当の自分でどれだけ生きていますか?

川崎あいに傾倒するのはいいけど、その曲がかけられないで怒りに任せて私の車から飛び出して行ったあなたはどちらの城崎ひなたさんですか?
メールで「嫌っていいんですよ」といったあなたはどちらの城崎ひなたさんですか?

じゃあ、今度は私の場合。
りんのすけは30代になったとき一つモットーを定めました。それは

「次の10年のために」

自分の性格に問題があるということは十分わかっていました。だから今は自分の過去を自分の昔の姿をまともに見つめられないけど、いつか「本当の自分」を受け入れられる時が来るようにと。


城崎ひなたさんは今まで人生を素直に振り返って受け入れられますか?

この質問の本質は「じゃあ、りんのすけに会いなさい。そうすればまた愛情関係になって楽になります」ではないです。りんのすけと愛情関係になった、こころから人を好きになったことがあるかも疑わしい、かもしれない。それはゆくゆくは城崎ひなたさんという人の生きる道を狭めるかもしれないのです。この問題は単純に人を(親や親族以外の人を)、尊重したり信頼するようになったことがないなら黄色信号ですよ、という意味です。

これは体験するしかないので深くは突っ込まないことにします。

だから今回(も?)出会いは求めていません。でも…富山についたら電話すると思います。

でも、もう一度言います。
私は本当の城崎ひなたさんとお会いしたことあります?

では、今回はここまで。

ディア ノーバディ

あなたのことは羨望まで書いたかな?
じゃあ続き、の前に。

この間、あなたの「発達障害」について。
その担任(?)の先生は確か「私のも社会責任がある」みたいなことを言ったと思う。

つまり、それは「あなたみたいな障害者を卒業させてもし精神保健福祉士や臨床心理士になって、もし何か問題があったらその人間を卒業させて(資格を与えてしまった)学校やその教員の責任になる」ということを確実に示している。だから、あなたに先天的な障害である「発達障害」という病名を与えてそれとなく、退学をほのめかした、と思う。統合失調症やうつ病だと「今はだめでも、よくなれば卒業もできる」と勘違いするかもしれない。

でも、あなたは勘違いしていしまった。

では、なぜ「あなたは臨床心理士になってはいけない」といわなかったか?それは今の時代は精神障害者が「なってはいけない職業」というものいわゆる「欠落条項」というものがなくなっていてそういうことをいったら基本的人権の「職業選択の自由」を侵してしまうから。もし、あのときそのことに気が付いていたら今の状況はもっと良くなっていたかもしれない。

まあ、今となってはどうでもいいことかもしれない。
現に卒業できなかったし。

オーケー、羨望の話に戻そう。

羨望の期間は私はあなたにとって自己対象であるわけだ。自己対象は「良い取り入れ物」の塊なのであなたは良い取り入れものをもとに「自分への自信(万能感)」を高めるわけだけど、ある程度高まると転換期を迎える。私に対して羨望し、良い取り入れ物を取り入れるということは一種の依存ともいえる。つまりこの状態は「自分は無力なこと、ダメな人間であること、弱い人間であること」を「自動的に許容してしまうことになる。

それはりんのすけは上で自分が下になること。この事実はあなたの自己評価を大きく落とすことになる。だから、りんのすけは価値のない存在であり、りんのすけなどいらない存在だと、無理やりでももっていかないといけない。

これが否認と脱価値化。自己愛性人格障害の必須事項。

これをしているのはあなたの「病的な自己愛」を含んだ準人格…自己愛構造体、病理構造体というもの。この準人格はあなたを「一見普通の人間に見せかける」ために普通にふるまったり、人付き合いしてくれる。うん、すごい便利だね。

病的な自己愛の塊である準人格の自己愛構造体はそのほか色々なことをしてくれる。
例えば、ダイエット願望。

岩崎学術出版社
松木邦裕
「対象関係論を学ぶ」
121頁
私たちが自己愛構造体を見出しやすい病態にはボーダーラインや摂食障害があります。みずから語りだすことは少ないのですが、彼女たちは人格(自己)の分割を体験しています。「やせ」を追い求めようとする。迫害的理想化対象に投影同一化している偽りの自己部分に(自己愛構造体)が彼女らの健康な自己を手なずけさせ、支配し、脅かします。

やったね、支配されてるよ(あとは本を買って読んでね?)。
でも、病的なダイエット成功だね。

じゃあ、続くよ(あれ、明日までに完結する気がしない…)
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