Castle Horn in Sunny Place -3ページ目

ちょっと前だけど

家にはハードディスクがたくさんあって

WDの1TB(WD10EARS)*2:当初はVistaとXPで住み分けていた

500GB*1:単純に余っていた

320GB*1:端子が焦げて売れない子、でも動く


しかもWD1TB は低速なためかXPからのコールドブートでようこそ画面からユーザーのボタンを押したらリブートが掛かるという問題があって、運用面で問題があった。Vistaはちゃんと起動できるの、WDは2つとも同じ現象だったのでもう買い換えるしかない。


ツクモはHDDが安いので毎週観測していたわけだけど、その週はWD20EARS(2TB)がやすくなったので、日立の1TB(HDS721010CLA332)と一緒に購入。日立1TBを起動用(XP&Vistaのデュアルブート)、WD2TBをデータ保存用として購入。1TB2つと500GBはまとめてじゃんぱら川崎にドナドナになりました。


すっきりしたのはいいけどロジクールのリムーバブルディスク用ケース2つの意味が無くなってしまいました。

残った320GBにUbuntuでも入れて遊ぶか、音楽CDをBeatJamでWAVかAACにリッピングして、音楽用Strageにして音楽CDもドナドナするか思案中。トランスのCDが増えすぎてそろそろ置き場所がやばいです。


自分のパソコンはゲーム用と事務用(メールチェックや買い物)に住み分けてどちらかのOSの挙動がおかしいとすぐにもとに戻すタイプ。クリーンインストールはもう慣れているけど出来ればそれぞれ個別にバックアップ&リストアに対応したいと、会社で使用している環境をもとにパーティーションを仕切ってみました。


C:\→500MB:Windowsではブート環境は必ずCドライブに保存されるという仕様を利用してここはプライマリパーティーションで作成。本当は100MBでもOKですが、ソフトによっては問答無用でCドライブに展開しちゃうモノもあるので保険で500MBにしました。


D:\→300GB:拡張パーティーション、XP。ゲーム用?昔のゲームや基本無料オンラインゲームなどはこちらにインストールする、というルールで。ちなみにIMEはGoogle、セキュリティソフトはMicrosoft Security Essentialsを使用して0円コース。ブログなどを書くときや同じ言葉を繰り返し使うときはGoogleIMEはなかなか良いです。Microsoft Security Essentialsも軽くて良いです。


E:\→200GB:拡張パーティーション、Vistax64:Vista対応のゲームやメールソフトはこちらにジャストシステム信者なのでshurikenとATOKです。いいか悪いかはよくわかりません。もう16年のユーザーなので。


F:\→500GB:拡張パーティーション、データプール用。両環境共有データ保存として。


G:\→DVDドライブ


H:\→2TB:データ保存。どちらかというとあまり使用頻度が少ないデータ用。これが壊れると破滅的。


なので、お金を出して買ったダウンロード版ソフトはポータブルのHDD(320GB)と(?)USBメモリに入れるルール。新世紀エヴァンゲリオンの正、副、補がいつの間にかデータStrageのルールになってしまった感じです。

大きなソフトや動画はHDDでどうしても壊したくないソフトや小さなサイズのデータ、アカウント情報はUSBなのかな?ここもゴチャ混ぜになっているので近日中に整理します。


ラザロと金持ちの補足です

ルカの福音書にでてくるラザロと金持ちの話は特徴として両者の信仰についての言及が一切ないことです。
そのことで疑問に持っている方もいらっしゃるようです。

まず福音書という新約聖書にでてくる書ですが、当時ナザレ村出身のイエスが神としての性質や資格、神であることの証明に対して疑問や知らないユダヤ人向けに書かれた一面があるということです。ユダヤ人向けですので、当時のユダヤ人の常識や慣習に関する記述は意図的に省かれています。よって旧約聖書の内容について反論したり、当時ユダヤ人が持っていた信仰心について「いまさら」書くことはしていません。なのでラザロも金持ちも旧約聖書を読み、それなりに信仰心を持っていたと考えるのが自然です。

また、宗教の話ですから「何よりも神を大事にする。教えを守る」ということが当然期待する結果になります。その上で金持ちというのは「神よりお金を大事にする」不信仰者の象徴であり、貧乏人は「神しかとよるものがない」信仰深いイメージがあります。


イエスも
信心深いと称する青年に
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
といってその人が肩を落として去るのをみて
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
という言葉を残しています。


当時ユダヤの国はローマ帝国に支配されており、属国の社会的地位や生活レベルはそれほど高くなかったことを考えると、福音書にでてくるラザロと自分を重ね合わせるユダヤ人は多かったと思います。

働かざるもの食うべからず

働かざるもの食うべからず


この言葉が聖書を参考にしているのは間違いないことだと思います。ただし、この言葉はレーニンの言葉であって聖書のメッセージでは決してありません。
これはパウロがとある教会(正確にはその男性達)に宛てた手紙の中の言葉です。


正確には「私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくないのなら食べるなと命じました」です。


この後を読むと「人にちょっかいばかりして、だらしがない格好で歩いている」という内容が続きます。男性達が働いていないことがわかります。そして働かない理由は病気ではないこともわかります。そして、前にも一度こういうことがあったことがわかります。
パウロははっきりとは言っていませんが、この文面から察すると彼らは妻たち女性に仕事を押し付けているようです。

聖書では割り当てられた仕事を嫌という理由だけでしなかったり、人にやらせたりして成果や報酬を得ることは、モーセの十の戒めの盗みにあたると見なされます。

そしてキリスト教では食べ物、食事は神からの恵とされています(たとえその人のお金で買ったとしても、です)。天にまします我等が父よ…で始まる主の祈りという中にも「私達の日ごとの食物を今日もお与えください」という祈りがあります。仕事も勿論神の恵です。世界を作り上げ、秩序を維持しているのは神であると言うのが、キリスト教の教えです。

このようなことからパウロは「神からの恵を受ける資格がない」という意味で食べるなと戒めを与えました。


働かない人はどうなのでしょうか?ネットで見たところここに明確に触れている人は少ないようです。

まず、聖書を読んだことがない人でもイエス・キリストが「奇跡」を行ったことは知っていると思います。奇跡を行った人はどんな人でしょう?みんな病気の人や目の見えない人です。(この奇跡は福音書の中に書かれてあります。福音書は本屋さんで買う以外に青空文庫でダウンロードできます。)
イエスの例え話で「ラザロと金持ち」があります。ラザロは全身できものがあり貧しく、金持ちのおこぼれを貰って飢えをしのぎたいと思っていました。この例え話は更に金持ちは地獄に堕ち、ラザロは天国にいき、金持ちと天国にいるアブラハムの会話があります。ラザロについては「生きている間に苦難を受け、今癒された」と言っています。
イエス・キリストの有名な聖句に「疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」という言葉があります。ここでの疲れた人とは肉体的に疲れている人も含まれると思いますが、聖書では、信仰心など人の精神に関わることが多いので、主に精神的に疲れた人達を指します。また、わたしのところに来なさい、とは自殺して天国に来なさい、という意味ではありません。聖書を読んだり、近くの教会に行き、牧師に悩みを相談することなどです。
イエス・キリストは神の恵をただで受けなさい、とはっきり言っています。よって礼拝で自発的な献金以外、教会が金銭的な要求をすることはありません。仏教のお布施の様に暗黙の了解的に寄附する文化はキリスト教には一切ないことを覚えていてください。
それと日本人の感覚だとキリスト教の神様は洗礼を受けた会員だけというイメージがありますが、そうではありません。全人類のものですので、神の恵や聖書の言葉の有効範囲は洗礼を受けていない人にも有効です。(毎年欠かさず、クリスマスにきよしこの夜を歌い、祝ってくれる日本人もある意味クリスチャンです)

よって、聖書のメッセージから働けない人や、社会に出ることに自信がない人は年金や経済的に負担が減るような制度を利用することは当然と言えます。

先程出たラザロと金持ちの話しですが、金持ちはどうしたら天国に行けるのでしょうか?それは、貧しい人のために寄附をしたり、慈善行為を行うことです。キリスト教ではお金を否定はしていません。ただし、(神より)お金を愛することを禁じています。