原題は「Daddio」。

単語から想像できるように、「daddy」に近い砕けた呼び方としてのスラングらしい。

そして、この原題を最初に聞いていれば、この映画の本質に早く到達していたかもしれないが、邦題はかなり本題からかけはなれたタイトルがつけられている。これはいい意味でめくらましになっている。

 

ダコタ・ジョンソンとショーン・ペンという、たった二人の素敵な大人しか出てこない。しかも舞台はNYシティのイエローキャブの中。ほぼ全編車中のシーンという意欲的なシチュエーション劇。

こういう映画こそ本当に観るべき映画だと思う。なぜなら、役者と脚本、演出と映像、このシンプルな要素だけで面白いのが本当の映画のはず。

 

故郷のオクラホマ州からJFK国際空港に降り立った一人ITプログラマーの女性。乗り込んだイエローキャブの運転手は一癖もありそうな中年男性。

何やら訳ありな雰囲気を持つ美女にダコタ・ジョンソン。タクシーの後部座席で恋人にメールを送る時の仕草がセクシーだ。NYの夜景に照らされる彼女の横顔が美しい。

運転手はショーン・ペンだ。NYシティという巨大でなんでも飲み込んでしまう怪物のような街でサバイブしていく男にはぴったりのキャスティング。苦み走った渋みに野性味を匂わせつつ、どこか知性も感じさせる魅力的な男。

この映画を観てダコタ・ジョンソンに惚れてしまった。。。

それほどこの映画の彼女は美しくセクシー。はかなげな憂い顔が本当に美しい。

 

この二人のキャスティングだけで、狭いタクシーの車内に色香があふれんばかりだ。

儲けの少ない近距離客を乗せてついていないと思っていた運転手、だが乗り込んできたのはセクシーな美女。運転手は軽妙な会話で美女の心のベールを少しずつ剝いでいく。美女の方も最初は暇つぶしに運転手の会話に付き合っていたが、いつの間にかすっかり心を見透かされていく。

 

ダコタ・ジョンソンの美しさと、ショーン・ペンの男の色気。そして二人が織りなす大人の男の心理的駆け引き。お互いに自分のことを話さず、相手のことを探っていく。しかし互いの心が徐々に触れ合うに従って、初めて会った他人には決して見せない顔を見せて。。。。これまでもこういったシーンはあった。でもそれは映画の中のワンシーンであり、キーとなる展開の途中。だがこの映画は全編がまさにそれ、なのだ。

 

ショーン・ペンが渋すぎる。

日本版を作るなら、渋川清彦にやってもらいたい。。。笑

 

タイトルからも想像できるように、美女の心の奥にある閉ざされた扉を解くキーワードは「父親」だった。恋人は不倫相手の壮年男性。父親とは腹違いの姉とともに幼いころに別れたきり一度も会っていない。父親の記憶もない。

唯一の記憶は別れ際に父が初めて握手をしてくれたというもの。しかしその記憶もオクラホマで会った姉からは「握手などしなかった」と否定されてしまう。

 

色々書きたいこともあるが、これはもう一度ゆっくりと見てもいいかなと思う。

それほど二人の100分のやり取りが緊迫感とセクシーさに溢れている。

お互いの身の上話をしながら、最後は美女が不倫相手の子供を身ごもって流してしまった話で終わる。

運転手もさすがにその話は聞きたくなかっただろう。

 

美女の家に着いて、車を降りて見送る運転手。ゆっくりと美女に手を出し握手を求める。美女はそれに対し一瞬の躊躇ののち、運転手の頬をやさしくなでる。

なぜ握手をしなかったのか。握手をしたら美女はそれまで抑えていた感情があふれてしまい、運転手に身も心をゆだねてしまうからなのか。もう年だからヤンチャはしないと語っていた運転手も、彼女に特別な感情を抱いたのか。このラストシーンは色々な感情が交錯する名シーンといえよう。

 

残念ながら日本映画でこういう作品は見られないのだろうか。

いや、濱口竜介監督の「偶然と想像」で、車中で古川琴音と玄理の会話劇だけで構成した卓越したセンスは日本映画でもやれるという可能性を見せてくれた。

 

最後に、ショーン・ペンが運転するイエローキャブはフォード・クラウンビクトリア。

NYシティのタクシーと言えば、これと思う。最近はSUVやミニバンにとって代わられて、今でも走っているのか知らないけれど。

最後のアメリカン・フルサイズ・セダン、だろうか。

シンプルにかっこいい。