この映画のテーマは、日本昔話の「姥捨て山」や、名作「楢山節考」など想起させる。

いつの時代でも、生産性を喪失した存在は共同体にとってのお荷物だ。

昔は働けなくなった高齢者は、若い人たちにとっては生きていくうえでの重石となり、ゆえに共同体からの排除は自然の摂理だったのだろう。

 

だが現代では少し様相が異なってくる。

現代日本では高齢者はとても健康で元気な場合が多い。

健康寿命も延び、高齢者でも活き活きと働くことができる。

ただ、都市部では様々な仕事があるのかもしれないが、地方ではそういうわけにはいかない。

低賃金の単純労働しかなく、それだと年金も含めて生活していくには十分でないだろう。

よって長生きしても最低限の生活もままならない、といういわゆる生き地獄のような人生が目の前に横たわっている。

 

物語は近未来の日本。

森優作演じる若者が、高齢者を排除するための虐殺事件を起こしたことから、高齢者に安楽死を選択する権利が与えられた社会という設定だ。

現実社会が生き地獄であれば、自ら安楽死を選べる社会は今の日本よりは幸せなのだろうか。そんなことを考えながら観ると切なくなってくる。

 

主演の倍賞千恵子はさすが大女優。セリフは多くはないが、一つ一つのセリフは練られたトーンで、独り言にも味わいがある。

バスの窓から思案に耽りながら窓外に目をやるシーンなどは、彼女の生きてきた何十年かが観客にも見えるかのような演技で、彼女を主役に置いた時点でこの映画は半分成功したようなものだと感じた。

最近は妹の倍賞美津子の活躍を見る機会が多かったが、姉妹揃って素晴らしい女優さん。

 

2022年の作品で、市役所職員の岡部ヒロム役の磯村勇斗も、プラン75のコールセンター職員の成宮瑤子役の河合優実もまだブレイクしていなかった。

この二人は昨年の「不適切にもほどがある!」で共演していたが、この映画ではまったく絡みはない。

 

河合優実。

短い出番ながら、鮮烈な印象を残す演技。

倍賞千恵子との共演は、貴重だ。

 

磯村勇斗。

着々とよい役者に成長している。好きな俳優さんの一人。

 

監督は早川千絵。フランス・フィリピン・カタールとの合作とのことで、スタッフに外国人がいるからなのか、映像や演出に日本映画っぽい湿っぽさがない。

海外のドキュメンタリーチックというか、そんな雰囲気を感じる。

倍賞千恵子演じる角谷ミチ、たかお鷹演じる岡部幸夫(ヒロムの叔父)のそれぞれのシーンも、過度に高齢者の悲哀を演出するわけでもなく、淡々とその日常を描いている。そのリアリティが、よりこの作品の持つテーマの複雑な感情を表現しているようだ。

 

この映画、若い人が観てどう思うだろうか。

MATTが20代の頃に観ても、おそらくこの作品の持つ本当の怖さには到底気づかなかっただろう。

社会の中心で一生懸命生きてきた人が、ある日を境に居場所を失ってしまう。

その状況を国も政治も、誰も改善してくれない。

それが現実だ。

 

神奈川かどこかのアパートで実験的に若い人と高齢者を一緒に住んでもらう、という取り組みがあると知った。若い人には高齢者とお話したり、近所付き合いすることを条件に家賃を安めに設定している。

普段交わることのない若者と高齢者がコミュニケーションをとることで、互いの孤立を防ぎ豊かな共同体が実現できる可能性を示した。

国が何もしてくれなければ、自分たちで何とかするしかない。

 

ラストでヒロムの叔父は安楽死で亡くなってしまうが、ヒロムは施設から叔父の遺体をこっそり運び出し、葬儀だけでもしてあげようと車を走らせる。

懇意になったコールセンターの成宮と悲しい別れをしたミチは、偶然安楽死を免れて施設を抜け出し、小高い丘で夕日に輝く街を見下ろす。

朝日ではなく夕日、落日というのが彼女の行く先が、決して穏やかではないことを象徴しているかのようだ。

 

だが、叔父をせめて自分の手で弔おうとしたヒロム、仕事上の付き合いながら別れの日にはミチのために涙を流した成宮ら、若者たちが命について自分なりの感情を持って行動したという希望の光もあった。

高齢者は社会的に用済みとなった「モノ」ではなく、尊い命を持つ一人の人間なのだ。

 

その想いを際立たせるシーンが物語の中にある。

プラン75の施設で働くフィリピン人の女性と、高齢のスタッフが安楽死で亡くなった故人の持ち物を選別して廃棄するシーンがある。

まるで流れ作業のように行われることで、故人の尊厳が著しく損なわれているように見える演出だった。

 

良い役者陣による秀作だが、命の重さをどう考えるかという教材として教育現場などで若い人にも見てもらいたい作品でもある。