岸義幸監督作品は、有村架純主演の「前科者」以来。手堅い作品を撮るなという印象。

脚本は港岳彦。

原作は「桐島、部活やめるってよ」の朝井リョウだ。

新垣結衣が主演だと思ってたら、まさか稲垣吾郎主演作だったとは・・・

 

それはさておき。。。

 

マイノリティの生きづらい世界を描いているが、この作品のマイノリティはさらに厳しい立場にいる人たちだ。

「水」に性的興奮を覚えるという性癖を持つ桐生夏月(新垣結衣)と、佐々木佳道(磯村勇斗)は幼馴染であり再会を機に、お互いを支えあう唯一の理解者として共同生活を送ることになる。

昨今注目されてきた現代人の「生きづらさ」には、それこそ様々な事情と背景がある。

その中でも、かなり特殊なケースをこの作品は描いている。

その世界を知りたい、という欲求が起こらない人にはちょっと厳しい作品かもしれない。

 

マイノリティの悲劇というのは、誰にも迷惑をかけないのに大衆の攻撃の対象となってしまうことにある。そっとしておいてほしい、一人にしておいてもらいたい。

ただでさえ、孤独を感じ生きることを辛く思っているのに、これ以上艱難辛苦を与えないでくれ。夏月や佳道の生き方からは、そんな言葉にならない声が聞こえてくる。

 

そのほかの主要登場人物も同じような境遇に苦しんでいる人たちだ。

夏月や佳道と同じく、水に異常な興味をもってしまう自分に苦しんでいた諸橋大也(佐藤寛太)、極度の男性恐怖症だが大也のことだけは好きになる神戸八重子(東野絢香)、検事の寺井啓喜の妻・由美(山田真歩)は、登校拒否の息子を持ち、悩みながらも息子に寄り添う母だ。

 

物語はネットでやっと自分と同じ趣向を持つ人たちとつながることができた佳道が、大也と出会い公園で水遊びに興じるところを動画で撮影したことで、急激に暗転していく。

もう一人の参加者が実は教師でありながら小児性愛者で、警察に逮捕されたことで佳道と大也にも嫌疑がかけられる。

せっかく生きる光を見つけた彼らを、またも絶望のどん底に突き落とすような展開に、かなり胸糞悪くなることこの上ない。

 

検事の寺井から聴取を受ける佳道、大也。

そして夏月も寺井と会って話をすることになる。

この映画での寺井は、世間一般の普通と言われる感覚と趣向を持った人物として象徴的に描かれている。彼の感覚は誰もが持っている正常かつ倫理的な一般人のそれだ。

それゆえ、ちょっと人とは違う息子に寄り添う妻とは相いれない。

妻は家を出ていき、離婚調停中だ。

 

そんな寺井と対峙する夏月。

事件前に街で偶然遭遇していた二人だったが、検事の業務上の立場と夏月の寺井に対する不信感から、距離を置いたままの会話が続く。

そして最後の最後に夏月から投げかけられた言葉がとても重い。

佳道に伝えてほしいことがあるという夏月。

寺井はいったんは拒否するが、念のため何を言いたかったか教えてほしいと夏月に問う。

夏月は言う。

「普通のことです」

「いなくならないからって」

 

これには伏線があった。

夏月と佳道は自らの秘密を共有するもの同士、生活を共にする中で、お互いがかけがえのない存在であるということに気づく。

そして抱き合いながら「いなくならないで」とその存在を確かめ合う。

 

いなくならない、自分はいつもそばにいるよ。

そういう強い想いを、どうしても佳道に伝えたかった。

それは生きる気力を失っていた冒頭の夏月からは想像できない言葉だ。

そしてもう一つ、「普通のことです」ということばが重い。

 

普通でない自分たちは、こんなにもお互いを想いあい一緒にいることの幸せを感じている。

しかし目の前にいる男(寺井)は、普通の人間でありながら妻には捨てられ孤独の最中に身を置いている。

普通でないと思われている人間から突き付けられた、「普通のことです」は、寺井の心にどう響いたか。

夏月が部屋から出ていく時、寺井はまるで石像のようにピクリとも動かず、ドアはそんな彼を隠すように閉まっていく。

このラストはよい演出だったと思う。

 

佳道と出会う前の夏月を演じるガッキーは、地味な化粧、表情に乏しい演技で世の中の隅っこで息を潜めて生きる女性を好演している。

華やかな印象の強い彼女だからこそ、暗い闇が潜んでいるような表情が映える。

 

稲垣吾郎の演技の質の高さは折り紙付きだが、山田真歩や宇野祥平らのキャスティングもはまっている。

磯村勇斗が演じた佐々木佳道もよかった。彼も陽から陰まで幅広い表現力を持っている役者さんで、味がある。

共演には森田想、山本浩司、坂東希、松岡依都美(どこに出てたかな・・・)らが。

また渡辺大知と徳永えりがまたも一緒に出ていた。今回は絡まなかったが、この二人の共演率が高いのはなぜだろう。。。徳永えりは珍しく嫌味な役。

面白いところでは、白鳥玉季がちょい役(You-Tuber役)で出ていた。

徳永えりは、ちょい役でも存在感たっぷり。

 

神戸八重子を演じる東野絢香は、物語の展開には深く絡んでこないものの、自らの想いを大也に伝える際の演技はとても感情表現豊かでよかった。

「ゴーストキラー」でも出ていたが、これからいろいろなところで活躍するかもしれない。

 

東野絢香。

大也から礼と別れのことばを告げられた時の背中で見せた演技はよかった。

 

総じて好きなタイプの映画だったので、心に残った。

観る者を選ぶ作品であることには違いないが、自分の見ている世界がすべてではない、ということに気づかせてくれるという意味で、生きることに迷い悩んでいる人にはお勧めの作品だ。