監督の入江悠の作品は「22年目の告白 -私が殺人犯です-」、「鵜頭川村事件」以来か。

 

河合優実を見るなら、まずはWOWOW版の「さまよう刃」と、NHKの「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」を見ておけば、彼女の女優としての実力、魅力がよくわかると思う。

 

この映画は、その河合優実に加えて、実力派女優の河井青葉と一緒に、「Wカワイ」の映画といっても良いかもしれない。それほど二人の演技の凄みを感じられた作品だった。

 

コロナ禍で実際にあった事件をもとに作られたそうだが、正直いうとあまりに過酷過ぎて、この映画を観るなら、気持ちが落ち込んでいる時はやめた方がよいだろう。

 

最近つくづく思うのは、人の人生というのは偶然の積み重ねなのでは、ということだ。

誰が作ったのか知らないが、「親ガチャ」という言葉がある。

乱暴な表現だが、まさにその通りだと思う。生まれて来た家族、環境が人生を左右する。

この世に生を受けた瞬間から平等ではないのだ。

なのに、日本ではなぜか「努力」「頑張る」「耐える」という美徳が、人がどう生きるかにおいても、強制的に押し付けられる。

どうしようもないことも、あるはずなのに。

 

主人公の香川杏(河合優実)が、薬漬けの日々から立ち直って行く過程の心理描写を、もう少し丁寧に描いてほしかったが、彼女をどん底の世界から救いあげた異端の刑事・多々羅(佐藤二郎)が、実は二面性をはらんだ犯罪者であり、彼が逮捕されることで、杏の人生がまた暗転していく過程は、観る者の胸を締め付ける。

 

誰でもいい、誰かひとりでも彼女のことを見ていてあげる人がいれば、あんな悲惨な最期にはならなかったろう。また、毒親でもある母親をあの時(殺さなくとも)、刺すほどの投げやりな感情があれば、、、と思う。全部自分で抱え込んでしまうほどの優しさがあったから、彼女の人生は長くは続かなかった。

 

河合優実や河井青葉は、ともにこういう人生を送ったことのないはずだが、スクリーンの上でその人生を生きている。役者というのはすごいと感じる。

 

佐藤二郎は「めしばな刑事タチバナ」や、「アオイホノオ」でのMADホーリィなど、奇抜な役が最高なのだが、最近時はシリアスな役で存在感を発揮している。

新聞記者の桐野に稲垣吾郎。SMAPの5人のうちでは、草彅剛に次いでいい役者だ。

 

登場人物はほかに早見あかり、広岡由里子くらいだが、諏訪太郎や森優作(は、どこに出ていたか不明・・・)もクレジットには名前が出ていた。

 

日本は、先進国であるので絶対的貧困率は高くなくとも、「相対的貧困」率は高い。

MATTの子供の頃に比べ、地域コミュニティの崩壊、縮小で、自助努力による民間のセーフティネットには期待できなくなってきている。

ネットの記事で読んだ、こども食堂のパイオニアの女性のコメントが衝撃だった。

「最近、こども食堂の認知度があがりACジャパンのCMで流れているが、そもそもこども食堂なんていらない」

どういうことか。

 

こども食堂が存在する世の中が異常であり、食堂も民間の人たちがやむを得ず助け合いの精神で続けている。それこそ身銭を切って。

それをあたかも公的な支援のように見せるのはおかしい、それならば役所なり政府が支援の仕組みを作るべきだと。

 

まったくその通りだ。

憲法にある「最低限の生活」を送れない国の制度は、そもそも憲法に反している。

杏が自死するまで追い込まれなければならなかったのは、なぜか。

それを考え続けることが、この映画を観る意味でもある。

 

先日観た「誰も知らない」とともに、当たり前の幸せに感謝する人生を大事にしない、といけないとあらためて思わせる作品だ。