父親の葬式に行くためだった。

 

2006年、一度目のアメリカ駐在の一時帰国時に会ったが、翌年の本帰国と同時に母親が大阪の家を出て岐阜の生家に行き、別居を始めてからは一度も会っていない。

 

4/15、青山本社の新職場での歓迎会から帰ったら、西宮に住む叔母から電話があり亡くなったことを知った。

叔母からはLINEでそろそろかもとは聞いていたので、準備はできていた。

7年前の母の時と同じく、会社の組合が提携している葬儀ネットワークを通じ、葬儀屋さんを手配してもらい、翌日は一日色々段取りをして、17日に大阪へ。

 

お願いした葬儀屋さんは祖父の葬儀も執り行ってくれたところで、父親と亡くなった先代の社長さんとが仲良かったということもあり、大変よくしていただいた。

 

17日の通夜、18日の葬儀は身内と近しい知人だけで執り行い、父親は北区の火葬場であっという間に灰になった。高齢になると列席者もそう多くはならない。

 

父親は84年の生涯で一度も西区を出ず、好き勝手に生きてきた。

バブル期には不動産売却で大きな資産を手に入れたのに、悪徳税理士のせいで借金まみれになって、結局何も残らなかった。借金を残さなかっただけでも良かったと思う。

母親は子供に少しでも残したかったと、ずっと愚痴っていたのが懐かしい。

人の言うことに耳を貸さない人だったので、仕方ないと思う。

 

叔母の話では最後の方は痴呆も入っていたとのこと。

好きな土地で好きな人たちと仲良く楽しい人生を送り、最後はボケて逝ってしまうというのは本人にとっては幸せな人生だったろう。

 

今回の件ではかつては大手広告代理店でバリバリだった叔母がいてくれて、大変助かった。

高齢にも関わらず色々な面倒な手続きも、近くに叔母がいてテキパキと効率的に処理してくれたおかげで、離れた場所にいる喪主の自分は、かなり楽が出来たと思う。

 

その叔母も先日母上が亡くなり、独りぼっち。

叔母はしっかりものだから心配はないが、数少ない親族ということで、今後は色々と相談に乗ったりサポートしていきたい。

 

18日の夕方にはトンボ帰りで宇都宮に。

しばらくは残務があるが、唯一父親に感謝はGW前に旅立ってくれてよかった。

GW中だったら、大阪万博と重なり移動やら宿泊やら大変だったろう。

今後は7年前に亡くなった祖母とともに、お墓に納骨しないといけない。

 

墓は遠くにあるので、これまた一苦労。

これについても、母が生前父親に「墓じまいするか、大阪に移転するかちゃんとやりなよ」と言っていたのに、結局何もしていなかった。金もなかったんだろう。。。

母親の言うことを全く聞かず、結局子孫に色々押し付けて逝ってしまった。

親のふり見て話がふりなおせ、肝に銘じて生きるとするか。。。