原作は「性被害」について意欲的に掘り下げて描いた作品として評価されている。
映画も、主演の奈緒をはじめとして三吉彩花、風間俊介の熱演で、素晴らしいできだった。
一方で監督がインティマシー・コーディネーターの導入を拒否した件や、公式サイトでの「性被害」の実態を歪めるような記述が問題となるなど、物議をかもし思わぬところで話題になったりもした。
ただ、作品自体は安達奈緒子の丁寧な脚本にも助けられて見ごたえあるものだったと思う。
本作を観て、性被害について考えるいいきっかけになった。
実際、いまだに性被害の実態や被害者の複雑な感情、心理状態については一般的に誤解が多いと感じる。
この映画では主人公の美鈴(奈緒)が友人の美奈子(三吉彩花)の婚約者である早藤(風間俊介)から受ける性被害が軸となって話が進むが、奈緒が非常に難易度の高い役柄を、彼女が得意とするきめ細やかな心理描写で演じている。
また、風間俊介も良い人の役、クズの役、どちらを演じても安定して観る者を惹き付ける実力を持っていることを証明した。
劇中では奈緒の教え子である高校生の新妻祐希(猪狩蒼弥)が受けた、女性→男性の性被害も描かれるが、主に男性と女性間の性被害をテーマに、男女の間にある埋めがたい性の不平等がテーマとなっている。
どれだけ世界が男女平等を謳おうとも、そして昔に比べて不平等が是正されようとも、男女の間に横たわる大きな溝は永遠に埋まらない。
だからこそ、声なき声に耳を傾けることが常に大事なのであろう。
MATTは当然男の視点からでしか、このお話を観ることも感じることもできないわけだが、女性の目から見たこの映画の感想を是非共有してみたいとも思う。
「性」や「SEX」というのは人間が生きていく限り、その存在意義を考えることを避けては通れないものだからだ。
女性が怖いと思うことと、男性が怖いと思うことが違うのは当然であり、その違いは永遠に理解し合えないのだろうか。
クライマックスのホテルの場面で、早藤の支配から逃れようと意を決した美鈴が放つ言葉は、早藤を焦らせ恐怖させたに違いない。
女性の持つ、恐怖も怒りも何もかもを飲み込んでしまう包容力、それが早藤を恐怖に陥れた。
そして、その恐怖が暴力となり美鈴に襲い掛かる。
この視点はその後のシーン、自殺未遂に終わった早藤に対し、美奈子が産気づいた時に放った言葉にもみられる。
ただその時の言葉は早藤にとって、自らの罪を償うというきっかけになった。
女性の強さに男性が屈した結果だったのだろうか。
美鈴の恐怖は言うまでもなく、男性性という暴力的・支配的なものだ。
それは肉体も精神も壊してしまう破壊力。男性が受ける恐怖とはけた違いであり、その性質も質が明らかに違う破滅的なものだ。
早藤にレイプされてから、ずっと美鈴はカウンセリングを受けていた。
事件から2年後、教え子の新妻との関係を噂され教職を辞した美鈴は、カウンセリングを続けていて、体の傷は治っても心の傷は簡単には癒えないことを示唆している。
性加害者の無自覚が性被害者の苦しみを理解することは永遠にないのだろう。
せめて周囲の人々が、優しい目で被害者の立場を理解することが出来ればと思う。
奈緒、風間俊介、三吉彩花、猪狩蒼弥の4人の演者の熱演で本作はとても記憶に残る作品となった。特に奈緒は女優として着実に成長していると実感した。
奈緒はこの作品でまた女優としての格が上がったと感じた。
共演者はそれほど出演シーンはないが、板谷由香、田辺桃子、ベンガル、小林涼子など渋い。クレジットには片岡礼子の名もあった(どこに出て来てた?レベルだが)。
監督の三木康一郎は本作で色々と物議をかもしたが、映画監督としてはいい絵を撮る監督として好きだ。
美鈴の家(古い民家)で新妻と向き合ってお茶を飲むシーンなどは、庭と薄暗い部屋とのコントラスト、カットなどがとても良かった。
一つのテーマを深く掘り下げて観る者に問いかける、いい映画だったと思う。