先日の「透明なゆりかご」に続き、2年前に見て感動した「mother」をまた、かみさんと一緒に見た。毎日2話ずつ見て、有休を取った今日金曜日は4話を一気見。

8話以降は涙なしでは観ることが不可能。

かみさんとともに、タオルとティッシュを手にたっぷり堪能した。

 

2度目の視聴で、初めて見たときには気づかなかった様々なストーリーを、あらためて感じとることができた。より物語のテーマを深く理解できてよかったと思う。

 

「母性」というものを様々な登場人物と各々のつながり、人間関係の中で描いているが、見る者の感じ方でそれぞれの「母性」を考えることができるのが、このドラマの本質なのかもしれない。

 

MATTはこのドラマを2度見て、「母性」とは自分のことをさしおいて愛するものの心配ばかりする心持ではないか、と感じた。

望月葉菜(田中裕子)、鈴原籐子(高畑淳子)、そして鈴原奈緒(松雪泰子)の3人の母親は、自然とそうしている。そしてその心こそが「母性」の本質ではないだろうか。

振り返れば亡くなった母もそうだった。子供にとってはそういう姿しか記憶に残らない。

 

重い、重いテーマなのだが田中裕子、高畑淳子、松雪泰子の3人の超絶とも言っていい演技力と女優力、そして芦田愛菜の奇跡的な存在により、このドラマは永遠に名作として語り継がれることになる。

 

前回はまだドラマウォッチを始めたばかりで、出演者のことなどもあまり書けなかったが、今回はそこにも目を配ることができた。

 

共演者の山本耕史の存在はこのドラマにおいて大きい。

冷静な視点で事の成り行きを見守り、時に奈緒を助けたりする彼の行動は、情に流されて安っぽいドラマにならないよう、物語に一定のリミットをかけているようだ。

もし元本裕二が意図的に置いたキャラだとしたら、さすがだと思う。

 

酒井若菜、倉科カナの姉妹の存在も大きいことに気づく。

血のつながらない籐子と奈緒の間で、二人の親子の愛をつなぎとめる重要な存在だ。

 

その他の共演者では、渋いところで高橋昌也(その昔、葉菜を逮捕した元刑事・多田役)、音尾琢磨、塩見三省(奈緒の弁護人でちょい役)、野添義弘(室蘭の刑事)、市川実和子(葉菜の主治医)など。鈴木福くんもクレジット上で出ていたが、どこに出ていたか気づかず、、、

 

あと、2話で奈緒が昔世話になった養護施設の園長・野本桃子役の高田敏江が認知症を患いながらも、逃亡する奈緒と継美をかばう姿は、涙なしでは見られなかった。

 

それにしても毎回同じところで泣いちゃうんだよな。。。

8話で本当の母親である仁美(尾野真千子)に玲奈(継美の本当の名前)は死んだんだよ、と伝えた後に奈緒に抱きしめられて「泣いていいよ」と言われて号泣するシーン、熱海のホテルで逮捕された奈緒と引き離されるシーン、養護施設から奈緒に電話をして会いたい、と泣くシーン・・・。書いているだけで泣ける自信がある 笑

 

最後に、、、

物語の終盤で葉菜と藤吉(山本耕史)が話す場面で、藤吉が母性について語った時、葉菜は「母性なんて男の幻想よ」というセリフ。

更に物語終盤、藤吉と多田が昔、葉菜が犯した事件の話をする場面で、多田は藤吉に「世の中には男と女と母の3種類の人間がいる」と語るセリフ。

 

母性をテーマに描きながら、そこに答えなどないとも言っているようにもとれた。

坂元裕二は何を描きたかったのだろうか。

ただ、それはこのドラマを何度でも見ればよいのだ。

見るたびに、新たな発見があるだろう。

あれだけ酷い母親として描かれた仁美にも、懸命に母になろうとした頃があった。

母はなるものではなく、自然となるものだという言葉が薄っぺらく感じる。

母とは、母性とは、、、永遠に答えの出ないものでありながら、確かにそこにある。

不思議だ。

 

芦田愛菜。

もう20歳。

奈緒から未来の継美にあてた手紙の中で「ハイヒールを履いているだろうか」みたいな一説があった。先日の映画「はたらく細胞」の舞台挨拶で阿部サダオが「ハイヒールなんか履く大人になって」と言っていたが、この一説を覚えていて言ったなら、粋ですなあ。