吉田恵輔の作品は「ミッシング」に続いてだったが、普通の人たちが極限の状況に追い込まれて行ったときに見せる姿に、人間の本性や心の内を投影するというスタイルが印象的。
万引きを咎められて逃げ出し、交通事故に遭って命を落とす少女と、その父親、スーパーの店長らが織り成す人間模様は、息苦しいまでの熱量と善悪のせめぎ合いで、「ミッシング」同様にラストまで一気に集中して見ることができた。
この作品が見ごたえあるのは、監督・脚本、演出の良さに加え、主演の古田新太、松坂桃李の熱演に支えられているといってもよい。
そして、片岡礼子や寺島しのぶ、伊東蒼、趣里、田畑智子や野村麻純といった確かな実力ある女優陣のキャスティングが絶妙だ。
吉田恵輔は人間の描き方に躊躇が無い。
本作の主人公・添田充(古田)も青柳直人(松坂)も、その辺にいる自分たちと同じ良くも悪くもない、普通に弱くてずるい人間だ。
光を当てると陰ができるように、人間も見る方向や見方によってその人の本質は違って見える。
粗暴かつ支配的で娘に対し乱暴な父親でありながら、娘を失くしてからは真実を追求しようと暴走するのは同じ添田だし、正義感と責任感から万引き犯を咎める姿と、(おそらく)父親から引き継いだスーパーの店長を無気力にこなしている青柳も同じ人間だ。
「ミッシング」でも見られたが、人間のある一面だけを切り取り報道するマスコミと、それに踊らされるネット民の薄っぺらさを痛烈に批判するのが吉田スタイルなのか。
それにしても吉田監督のストーリーテリングぶりが秀逸なのでついつい引き込まれているうちにいつの間にか不慮の事故で亡くなった少女・花音(伊東蒼)のことが置き去りになっていくことに気づく。
添田の別れた元妻・翔子(田畑)から「娘の何をあなたは知っていたの?」という言葉により添田がひとつひとつ、娘の記憶を辿っていくことでこの物語のキーとなる花音が父親にとってどういう存在だったのかわかってくる、という仕掛けになっているとわかる。
タイトルの「空白」には、娘のことを何もわかろうしなかった添田の中の娘の記憶の空白が重ねられているように思えた。
ラストシーンで自分が描いた油絵とまったく同じテーマ・構図で娘が絵を描いていたのを発見し涙する添田の姿は、娘が死んでずっと空白だった自らの心に失われていた何かが満たされたのだろう。
この映画のもう一つの見どころに実力派女優陣の演技っぷりがあるが、片岡、寺島、田畑のベテランに加え、伊東蒼の若いながらも確かな演技力が光る。
片岡礼子が娘(野村麻純)の葬式で魅せた凛とした姿は、さすが。こういう役をやったら片岡礼子の右に出る者はいないと思う。
気になる女優さん でも書いた伊東蒼。
注目の若手実力派。
ちょい役での奥野瑛太も光っていたし、藤原季節もよかった。
娘の部屋から万引きしたと思われる化粧品が見つかったことで、自分の暴走に気づく添田。
終盤、添田は偶然出会った青柳に対しこれまでのような怒りはもうないと伝える。
ただこれまでの行動について、青柳が自分にしたような謝罪をまだできないのは、娘が万引きはしたかもしれないが、青柳によるいたずらの事実についてはモヤモヤしているからだと告げる。
その時に添田の持っていたカバンに花音のキーホルダーが付いているのを見て、突然泣き崩れ土下座する青柳の姿に驚く添田。
ここのシーンは2つの見方がある。
一つは純粋に死んだ花音を思い、あらためて後悔の念で泣いたという見方。
もう一つはやはり青柳は何か隠している(つまりは花音にいたずらをした?)という見方。
物語の中で青柳がかつて女子学生に痴漢をしたという噂があり、かつ彼が本当はやりたくなかった仕事(スーパーの店長)で抑圧された生活を送っていたことから、そういった想像が働く。このあたりも、観る者に余白を与える巧みな演出といえる。
吉田恵輔監督の映画は、好き嫌いが分かれるかもしれないが、MATTは支持したい。
他の作品も見てみたくなった。