柴門ふみ原作、大石静脚本という豪華な作品。

お二人とも御年67歳、72歳だが、現代の潮流を感じ形にする精神の若々しさには感服する。大石静は現在NHK大河ドラマ「光る君へ」の脚本でもご活躍中。すごい。

 

この二人のタッグというのと、あるネット記事で当時ほぼ無名だった森田望智がヤバい不倫女役を好演しているというのを見て選んだ。

森田は「虎に翼」では貞淑な昭和の人妻を演じているが、振れ幅の大きい憑依型女優だけに、本作でもしっかり爪痕を残していた。

 

民放キー局(TBS)が作ったドラマの割には、しっかりとしたテーマ性と情に流されない展開、観るものに考えるきっかけを与えてくれるストーリーで、非常によいドラマだった。

 

最近とみに思うのだが、男と女は物事の捉え方、感じ方、思考がまったく違う生き物だ。

だからお互いに補いあって生きて行かないといけない。それが夫婦のあるべき形だ。

それは正しい。まったく異論はない。

だが、それでうまくいかないのが男と女であるのもまた真理。

たった一回の出会い、結婚で万事うまくいくはずがない。

だから人は離婚するし、不倫もする。

 

だが、一言に不倫と言えどその「カタチ」は様々、千差万別だ。

カップルの数だけ不倫の「カタチ」も存在する。

そして、それぞれの不倫の裏にはそれぞれの事情があり、それを他人がとやかく言う筋合いはない。

 

石渡杏(木村佳乃)と、斉木巧(小泉孝太郎)のケースは厳密に言うと不倫ではないのだろうが、この二人の心のすれ違いは興味深い。

夫婦であることの意味に真向から疑問を投げかけている。

無理をしなくてもよい、好き同士が一緒にいると幸せになれない結婚制度とは何なのか?を考えるきっかけになる。

また元夫の石渡慎吾(渋川清彦)との関係性は、お互いのことをよくわかっていないまま、幸せだったと思い込んでいた不幸に、夫婦関係の難しさを知らされる。

 

林優子(吉田羊)と夫の林シゲオ(矢作兼)、不倫相手の赤坂剛(磯村勇斗)との関係では、キャリアウーマンの優子が、母としてより一人の女として生きる姿が描かれる。

男社会で闘う強く、セクシーな女。それは日本人女性にはあまりいないタイプなのかもしれない。(欧米ではポピュラーだろうが)

世間が作った理想の母親像にはめ込まれることの息苦しさを、優子の存在が体現しているのかも。

 

蒲原まり(仲里依紗)と蒲原繁樹(玉置玲央)の夫婦と、不倫相手の今昔亭丸太郎(阿部サダオ)の関係は、3人のケースの中ではよくあるタイプか。

自覚なく精神的DVを行う夫は、フィジカルDV夫よりも潜在的には多いのかもしれない。

女性はそれをどれだけ我慢して生きているのだろうか。

ここでの不倫相手の丸太郎は、そんな女性を救い出す白馬の王子のように描かれる。

もっとも、それも外部からの視点では画一的不倫と同一視され、批判の対象になるのだが。

 

3組のカップル(不倫相手含む)のストーリーが破綻したり混乱したりすることなく、ドキドキ感が持続しながら9話まで突き進んでいくのは、原作者と脚本家の手腕によるところが大きい。

そして役者陣も実力者がそろい、世界観にどっぷりとハマりこませてくれる。

 

それにしても、、、、

このドラマより先に「不適切にもほどがある」を見ていたので、キャスティングを見た時に思わず声をあげずにはいられなかった。

 

なにせ「不適切・・・」で「俺は孫とチョメチョメしたいと思ってたのかぁ・・・」と猛省していた阿部サダオが、その孫役だった仲里依紗とがっつり不倫していたり、ウーマンリブの権化みたいな母親役をしていた吉田羊が、「ムッチでーす!!」の謎のパイセン役・磯村勇斗と歳の差不倫、、、、

キャスティングの妙でもこのドラマ、楽しめた。

最近、仲里依紗がとてもよい。

なんというか、年を取るごとに美しくなっていく。

 

それぞれの母親の息子役には藤原大祐、奥平大兼、宮世琉弥ら、若手の成長株が。

その他、夏樹陽子、瀧内公美、結城モエ、小松和重などが出演。

蒲原まりの夫・繁樹の不倫相手に森田望智が怪演。

もっと絡みがあるのかと思ったが、そうでなくてよかった。

彼女の役つくりがほんとに迫真に迫っていたので、彼女が出過ぎると全然違うドラマになっていたかもしれない。

 

森田望智はエロい役から正統派まで、なんでもござれの実力派だ。

 

ゲストには長谷川朝晴、田中要次、尾美としのり、本多力など。

 

不倫は悪いことだ!と言うのは間違いではない。

ただ、身内だったり身近な友人などでない限り人の不倫は他人がとやかく言うものでもない。

極めて個人的な問題であり、百の不倫があれば百の事情がある。

3人の女優が演じた3人の女性にもそれぞれ事情があった。

そして、それらはどれも単純に悪いこと、とジャッジされるべきものではなく、本当の愛に苦しみもがく男女の姿がそこにあった。

 

柴門ふみが描きたかったことがすべて理解できてないかもだけど、感ずるものは多々あったと思う。