前評判どおり大変な人気を博し、ネット上で数々の話題を提供したが、最近のクドカン作品の持つ勢いには本当に目を見張るものがある。
社会の様々な制約の中、ある時は抵抗勢力を味方につけ、ある時は逆手に取りと見事な手腕で、今伝えたいものを見事に描き切った。
10代の女子高生と50代の男性に大いに刺さったドラマだったそうだが、MATTも後者の年代で、周囲の同世代はみんな共感。
先日、日本に戻って来てわずか数日の間で、いくつも嫌なシーンを目撃した。
「バイトのくせに偉そうな言い方するんじゃないわよ!」とキレるおばさん。
「(バスの)シートベルトの締め方がわかんない!」とまくしたてるおばあさん。
「あんたお客をなんだと思ってるんだ!」と携帯ショップで怒鳴り散らすおじさん。
これら様々な息苦しさと今の日本の歪んだ「正義」を目の当たりにして、ああ、今日からこの国でまた生活が始まるのだなとちょっとブルーになったりもした。
まあ、別に日本だけが息苦しいわけではない。
アメリカだって、世知辛い。
でも、一般の人が人前で我を失った体で他人をののしるような国は、果たして正常な状態と言えるのか。
クドカンドラマの良いところは意識高い的な提言ではなく、笑いとペーソスに包んで視聴者を楽しませてくれるところ。
それらを受け取る側が成熟した精神の大人でなければならない、ということだろう。
最終話、いつものミュージカル仕立てのシーンで「寛容になるのが肝要」というフレーズが心に残った。みんな何をそんなに急いでいるのか。何にこだわっているのか。
「寛容」とは他人に対してではなく、自らに対し急ぎ、こだわることをたしなめることだと思う。これから3年ぶりに日本で暮らす自分自身にそう問いかけてみた。
物語の軸となっていた阿部サダヲ演じる小川とその娘、純子(河合優実)、純子の娘の渚(仲里依紗)の親子の愛と絆は、阪神大震災で小川と純子が亡くなるという運命の行方が注目されていたが、クドカンは敢えてそこに触れずに物語を終結させた。
タイムマシーンものでは、主人公たちが過去と未来を行き来する中で未来が変わるという結末も多い。しかし今回はそこで未来は変わらない、という結論を提示することで、小川家の家族の愛の深さと尊さを際立たせていたと思う。
余韻を残して終わるのが良い。
阿部サダヲの演技巧者ぶりは今更だが、共演の役者も光っていた。
仲里依紗は同じクドカンドラマの「離婚しようよ」が最高だったが、このドラマでも現代の働く女性の悲喜こもごもを魅力的に好演。
吉田羊は、「まだ結婚できない男」で、夏川結衣の代わりになれなかった、、、とがっかりしたのだが、このドラマではコメディエンヌとして素晴らしかったと思う。
磯村勇斗も一人二役がしっかりハマっていて〇。
そして何をもっても、河合優実の存在は大きい。
20代で今、もっとも実力のある女優さんだろう。勘の良さと堂々とした演技に大物を感じる。
河合優実。歌も上手い。少しアンニュイな目つきが山口百恵に似ている。
昭和のオジサンにとって、安心感のあるルックスで可愛い。
ドラマ「さまよう刃」での体当たりの演技は必見。
クドカン脚本の「1秒先の彼」で無名ながら抜擢された福室莉音も、今後注目の女優さんだ。
「昭和は遠くなりにけり」をこのドラマを観てあらためて感じた。
つい30年ほど前までは、ドラマのような世界だった。でも今ではなんだか夢物語のようにも感じる。それだけ世間の変わりようが早すぎるのか。
小川とサカエ(吉田羊)が言っていたように、お互いの時代のいいところをもう一度見直して、未来につないでいけばいい。そのためには一人一人が自他ともに寛容にならないと。。。