今回この映画を選んだ理由は2つ。
推しの木竜麻生が出ていて、この映画出演をきっかけに仲野太賀と交際を始めたということを知ったため(仲野太賀も好きな役者だが、木竜麻生ちゃんに手を出すとは、許せん、、、w)。
児童養護施設職員役の木竜麻生。
残念ながら、出番は序盤のみ。。。。
もう一つは映画に深い愛情を注ぎ、自分の納得したドラマ・映画にしか出演しないこだわりを持つ、これまた大好きな役者のオダギリジョーが(実質)主演ということ。
オダギリジョーが選んだ役なのなら見てみたいと。
物語はネグレクトで親に見放され、児童養護施設で暮らす優太(白鳥春都)が、施設を抜け出して、母親に会いに旅に出ることから始まる。
白鳥春都は、堀田真由初主演ドラマ「サロガシー」や、「罠の戦争」「とんび」などに出演。
期待の若手俳優である。
母親(松本まりか)に会っていったんは受け入れられるものの、ヒモ男(若葉竜也)に依存している彼女は、児童養護施設に連絡して優太を追い出そうとする。
2度も母親に見捨てられた優太は自暴自棄になり海に行くが、そこでホームレスのおっちゃん(オダギリジョー)や、裕福な家庭に育ちながら死んだ母親への想いから満たされず、援助交際を続ける女子高生の詩織(川島鈴遥)と出会い、親交を深めていく。
おっちゃんは優太に「人間に等しく与えられているのは死だけで、それを選ぶ自由がある。ただそれはいつ死んでもいいというのではない。最後までしっかり生きることが大事だ」と話す。
そのおっちゃんは、彼をよく思わない人間に住処の車に火をつけられ焼死する。
炎に包まれながら、絶望でもなく悲しみや怒りでもない表情を見せるおっちゃん。
それは、懸命に生きてきた彼が、目の前に迫る死を受け入れることで安堵したようにも見える。この表情だけで魅せる演技はさすが、オダギリジョーと言ったところか。
物語はその後、優太が警察に保護されて取り調べを受けるシーンで終わる。
刑事(駿河太郎)に「お前がやったのか」と尋問を受ける優太。
「全部、自分がやりました。全部、僕のせい」と答え、鋭い目で刑事を見つめるアップで終わる。
監督はこのシーンで、だらしなくろくでもない大人たちが、この世のすべての悪い出来事を子供たちに背負わせてしまう、その現実に鋭く切り込み告発しているのではないかと感じた。
養護施設の職員(片岡礼子、木竜麻生)はなぜ優太の捜索願いを出していなかったのか、優太の母親の生き様、詩織の父親の娘たちへの愛情の在り方、ホームレスに対する社会の無関心、女子高生を食い物にする大人たち。。。。
すべてはぜんぶボクのせい、ではなく大人のせい。
そんなことを考えながら見ると、この映画のラストシーンは実に後味悪い。
自分もそんな大人の一人だからだろうか。