日本はこれまで戦後長らく、高度経済成長期に「一億総中流」などと国に吹き込まれてきたため、この映画に出てくるような「超セレブ」を幻想のように考えてきた。

 

さすがに最近は格差社会が問題になるほど、日本の総中流意識は死に耐えつつあるが、もともと戦前から続く華族が日本にも存在していたので、いわゆる平民とは一切交わらない人たちがいることは、当たり前のことなのだ。

 

MATTの身の回りにも、いわゆる豊かな人たちはいるが、やはり育った環境が違うというのはどこまで行っても交わらない平行線のようなものだ。

それ自体に良い、悪いなどはない。ただ、事実としてそこにあるだけだ。

 

最初にキャスティングを見た時、門脇麦が松濤住まいのお嬢様・華子で、水原希子が平民の美紀、と聞いてへー、逆じゃないの?と思った。だが、実際に演技を見てみるとさすが、門脇麦。お嬢様然とした佇まいと振る舞い、醸し出てくる雰囲気。

この人の演技力には脱帽である。

 

水原希子の美紀も等身大の地方出身女性を好演していて、とても良い。

東京で地方から出て来た女性が、一人で生きていくのはドラマや映画の世界以上に過酷だ。

そんな都会の片隅で奮闘する女性を魅力的に演じている。

 

2人とともにこの映画の主役の高良健吾演じる幸一郎の家こそ、スーパーセレブでありセレブの中にもあるヒエラルキーの頂点に君臨する。

幸一郎は伝統と歴史のある家に縛られて生きるのを当然とし、その代わり華子と結婚したのに、都合よい女の美紀との関係をずるずる引きずる。

自分は家のために生きているのだから、プライベートくらい好きにさせてくれという考えなのだろう。

 

一方の華子はセレブの人生を何の疑問もなく生きてきたが、それでも生涯の伴侶には人としての愛情を求めている。だからこそ、自分に関心の無い幸一郎に我慢が出来なくなり、離婚してしまう。

 

果たして、幸一郎の生き方が幸せなのか、自ら人生を変えた華子の生き方が幸せなのか。

美紀やMATTのような平民には到底わからないのだが、一つ言えるのは人間は生まれ持って与えられた境遇でどう生きるかが大切であり、自分自身で決めるということに価値がある。

 

華子も幸一郎も、そして美紀も自分で自分の人生を決めた。

それこそが幸せなのだろうと思う。

 

華子の親友の逸子に石橋静河、美紀の親友役の里英に山下リオ。

二人とも好きな女優さん。

そして華子と逸子、三木と里英はともに一緒に仕事をするという道を選ぶ。

固い友情で結ばれた二組の親友同士が、とても清々しい。

 

脇を固める俳優陣も手堅いキャスティングで、物語に厚みが出ている。

石橋けい、銀粉蝶、篠原ゆき子、高橋ひとみの女優陣に、佐戸井けん太、津嘉山正種、山中崇といい役者ぞろい。

 

最後にこの映画、社会のヒエラルキーがテーマになっているが、この日本という先進国の中でも著しく時代遅れな男尊女卑社会を女性がどう生きていくか、ということも考えさせられる。

新しい一歩を踏み出した4人の若いヒロインたちにエールを送りたい。