野島伸司という名前は40~50代にとっては、そのエキセントリックな作風で一世を風靡した名脚本家として記憶に残っている。
2000年以降はこれと言った作品を思いつかないが、今回のドラマを観てやはり時代と共に作風も変わるもんかな、と思った。
でも、譲れないところは頑なに守っており、かつて主題歌にカーペンターズ(青春の輝き)やサイモン&ガーファンクル(冬の散歩道)を効果的に使ったように、今回もホーリーズの「バスストップ」が作品の世界観を際立たせている。
このあたりのセンスは素晴らしい。
劇中曲でもドビュッシーのアラベスクが頻繁に流れ、混とんとしたストーリーに対する一服の清涼剤のようになっている。
物語は引きこもりの主人公・黒目すいを取り巻く奇妙な人々の群像劇であり、ミステリー仕立てである。
前半部は野島脚本特有の、非常に重い調子で進んでいく。
ただ、重くなり過ぎないように陣内孝則やシシド・カフカ、早見あかりらがコメディタッチのトーンを差し込むことでバランスを取っているよう。
このおかげで、観る側は精神的に辛くなる展開から脱落しないで済む。
あくまで個人的見解だが、野島脚本はアウトサイダーや弱い人たちにスポットを当てる作風だと理解している。
この作品でも精神的にトラウマを負った作家・公文竜炎(溝畑淳平)や、ある事故をきっかけに10年の引きこもり生活を続けるすい、その父親で時代遅れのレッテルを貼られた漫画家の黒目丈治(陣内)、その他キャラクターもみんな心のどこかに傷を負っていたり、闇を抱えている。
それぞれの闇が深い分、ストーリーは複雑さを増し劇中ですいがたびたび過呼吸になるように、観ているほうも息苦しくなる。
ただ、この息苦しさが現代のわれわれの住む世界であり、野島伸司が書きたかった「雰囲気」ではなかったろうか。
飯豊まりえは「岸部露伴は動かない」でのエキセントリックなキャラでしか見たことがなかった。
このドラマのすい役はかなり難しい役。
とんでもない秘密を聞かされてそれをずっと抱え込み、人を傷つけないよう生きて来た優しいすい、という役を演じ切っていたのは好感が持てる。
オープニングのやつれた「こもりびと」から、ラスト近くで花開くように美しくなっていく、その変化が素晴らしい。
溝畑淳平の公文役もはまっていた。かなり変人の役を一見、普通のいい人っぽい彼が演じるというそのGAPが見どころ。
なんとなく無駄遣いされやすい役者さんなのだが、今回のようないい役を当ててあげてほしい。
すいの高校時代の友人役では、片山友希が注目だ。
「気になる女優さん」でも書いたので割愛するが、今後活躍を期待したい若手女優さんの一人。
白石聖が物語の重要なキーとなる公文の妹役・蕾で好演している。
あの大きな潤んだ目、何かを言い出したそうな厚ぼったい唇がとても印象的。
最近、様々なドラマのキーパーソンで活躍しており、いい形でキャリア形成している。
「フェルマーの料理」でもやはり若手注目株の小芝風花とともに、いい役をもらっている。
セリフはほとんど無いが、その分豊かな表現力を求められる。
彼女にはその実力がある。
6話で一度、すいが引きこもりになる過去の事故の真相が明かされて、一件落着となり、7話以降は公文の秘められた過去や現在が明らかにされ、そして意外な展開から大団円へとなだれ込んでいく。
ラスト、公文とすいは結ばれて、すいの友人たちも収まるところに収まり、一見みんな幸せなハッピーエンドに見えるのだが、このラストは今の閉塞感で満たされたこの世界においてはこうあるべきだったのだろうと思う、というか思いたい。
というのは、各登場人物の心情を考えるとこれがベストのラストだったかは、はっきりとYESと言えないかもしれないが、少なくともMATTは劇中、すいが公文に語った「ストレスの9割が対人関係であっても、残りの1割はすてきなことが待っているかもしれない」という言葉に、このドラマのメッセージが込められていると思ったからだ。
辛いこと、苦しいことばかりかもしれないが、希望を持つことが人生を生き抜くうえで大事なことだ、と。
その希望を捨てなかったすいと公文は、周りがどうあれ幸せをつかんだのだ。
そしてその幸せは、きっと周囲をも幸せにしていくのだと。
いつものようにレビューを書こうとしたが、意外とこのドラマ書くことがあった。
それだけ9話の中に、様々なメッセージが込められていたことに気づく。
詰め込み過ぎではないか?ともとられるかもしれないが、それらを破綻なく描き切る野島伸司の力量はさすが、と感服した。
本放送では見逃してしまったが、連続して観るほうがこのドラマの本質を楽しめるかもしれない。