主演の成田凌も言っているように、この映画のジャンルがよくわからない。
でも、約100分のストーリーで、主たる演者はわずか10名にも満たず、それでいてもっと見ていたくなるような、そんな不思議な映画だ。
成田凌演じる予備校講師の大野、そしてその教え子・香住役の清原果耶の絶妙な間合いと言葉のやり取りがすべて。
ほとんどが街中の平凡な風景の中で話が進んでいくので、舞台演劇を見ているようでもある。
脚本、演出も素晴らしい。
香住の家族のことなどストーリーに関係ない余計なものは一切描かず、そして妙に上手く進んでしまう展開も、さほど説得力をもたない展開も、それらが違和感なく感じられるように工夫されている。
だからこそ、成田、清原の二人の会話が活きてくる。
それにしても、共演の清原果耶である。
彼女の間合い、表情、発する言葉一つ一つの抑揚、言い方。
センスの塊のような彼女だが、同じ天才肌の広瀬すずより良いと思うのは、彼女はシリアスもコメディもこなせるところか。
人間は多面的である。様々な側面を器用に演じられるのが、清原果耶の魅力だろう。
テーマである「普通ってなんだ」は、最近の現代人の最大のテーマなのかもしれない。
特に日本での社会生活は、同調圧力を常に感じ、ストレスフルなものだろう。
普通が何かを誰も説明できないまま、普通に生きることを誰もが選んでいる。
大野と香住の二人は最初こそお互いの距離感や会話のズレにいら立ちを隠せないのだが、ある目的を遂行するために協同作業を進めるうち、自分の目の前にいる相手こそ、実は自分にとっての「普通」であることに気づき始める。
「普通」は誰かに強いられるものではなく、自分にとっての「普通」であればよい。
そう気づいた時、大野と香住は二人でいることの心地よさを覚え、惹かれあって行く。
共演者では小泉孝太郎、泉里香(綺麗です)、大谷麻衣らがいるが、ほぼ全編、成田と清原のシーンなので、本当に小劇場の演劇のような映画である。
清原果耶という若いけど未知の可能性を秘めた女優さんの実力を確かめたいなら、この作品は大いにお勧めと言えるだろう。