徳永えりという女優さんは、以前から気になっていた。
また気になる女優さんで書いてみたい。
このドラマは彼女が主演というのが珍しいな、と思ったのと、伊藤沙莉が出ているので見てみたのだが、2018年当時の伊藤沙莉はブレーク前で本当にちょい役。
それでも、らしく脇役なのにしっかり存在感ある演技で魅せてくれたが。。
脚本はペヤンヌマキである。
「有村架純の撮休」の2話「おんなともだち」で見せた視点と、今回のドラマの視点でペヤンヌマキの意図しているものが見えてくる。
男性性の求める女性性と、リアルな女性性との大きなGAP。
そのGAPの存在を切り捨てる無神経な男たち。
その男たちに声を上げて反論できない女たち。
これまでの人生を振り返り、いったい自分はどれだけ女性に無神経な言葉を投げかけたり、傷つけたりしてきたのだろうか、と考えると怖くなってしまう。
物語の中のワコ(徳永えり)は、そんな男性性の求める女性性に当たり前のように従って生きてきた。しかし、30歳という年齢になり、自分の女性性が男性社会では価値が薄くなってきていることに気づき始め、悩み苦しむ。
必死に「自分の居場所」を探そうとするが、もがけばもがくほど身動きが取れなくなり、、、、
必死にもがきながら生きるワコという女性は、現代社会のリアルな女性像なのかもしれない。
男たちは気づかないのか、気づかないふりをしているのか、絶望的な世界に見える。
物語の終盤でそんなワコを救うのは、男たちではなく江口のり子演じる会社の同僚だった。
「有村架純の撮休」2話でも、架純ちゃんに寄り添ったのは伊藤沙莉演じるおんなともだちだった。
愛を求め、居場所を求めて彷徨い続けたワコは結局男に救われることはなかった。
ラストはちょっと安直な感じもしたけど、ワコが本来の輝きを取り戻して生きる力を取り戻したので良しとしたい。
徳永えりの安定感ある演技力には恐れ入ってしまう。
脇役が多いけど、主演をもっと見てみたい。
「有村架純の撮休」6話や、「ハコヅメ」などでも記憶に残る演技を見せてくれる。
このドラマでは実はいわゆる「濡れ場」(古い、、、笑)が頻繁に出てくるのだが、
いきなり1話目の冒頭から彼女の体当たりの演技が見られる。
派手さはなく、隣のお姉さん的な彼女だからこそセクシャルなシーンもリアリティを増す。
何気なく選んだ作品だったけど、普遍的なテーマと徳永えりの体を張った演技で満足度は高かった。