年始のブログで、ここ2年身近な人が亡くなるという悲しい出来事が続いていたので、今年はいい年になればいいね、と書いたばかりだったが。

 

月曜日、午後イチの会議に出ていたら、会議室の外で昼礼をやっている声が聞こえてきた。黙とう、とかなんとか言っている。すると会議に出ていた人が「GO田さんが今朝亡くなったらしいよ」と教えてくれた。

まさに青天の霹靂だった。俄かに信じることができなかった。

 

GO田兄い(と敢えて呼ぶ)との出会いは2015年4月。

韓国駐在から戻ってきたMATTは、コンノ兄いが課長の課に配属となり、GO田兄いはそこの担当主幹だった。

管理職はMATT含め5人いたが、そのうちコンノ兄いとGO田兄いとは仕事、飲み、と本当に仲良く付き合えた。

 

GO田兄いは外見はずんぐりむっくりで、どこから見ても普通のオッサンなのだが、妙に愛嬌があり、いつも優しく、つまらないギャグを言い、仕事中にこそこそお菓子を食べ、、、

と、こんなふうに書くと会社のお荷物みたいだが、デリバリーやリスク対応の仕事をすると、愚直に取り組み寝ずに働き結果を残すという、実に真面目な人だった。九州大学工学部卒、というエリートなのに、そんな素振りを一つも見せない、気さくな人だった。

 

ミリタリー好きの兄いに「二式大艇」を教えてもらい、模型まで買ってしまったのも懐かしい思い出だ。

 

また、MATTが大福好きと聞くと、駅の近くの有名な大福をよく買ってきてくれた。

顔を見ると人懐っこく話しかけてくる、憎めないオヤジだった。

 

そんな兄いが体を壊したのは昨年の夏。

心臓を悪くして死にかけ、自治医大病院に入院となってしまった。

菓子折り持って見舞いに行ったら、意外に元気なGO田兄いが出迎えてくれ、2時間ほど話をした。その後手術をしてすぐによくなり、しばらくは無理しないで仕事をしていた、と思っていたのだが、、、

 

昨年は大雨・水害などでサプライチェーンに問題多発、その後コロナウイルス問題が起こり、リスク担当のGO田兄いは、持ち前の生真面目さで遅くまで仕事をしていた。

 

ある日ふと見た残業データを見て仰天した。

最近は管理職もIDカードを切って残業管理をしている。

そこにはトップ3のうち3番目に残業しているGO田兄いの名前があった。

目を疑ったのは2月度の119時間/月という数字。

健常者のMATTでも今年の最高は80時間だった。

土日も出ていないと、こんな数字にはならない。

 

そのデータを見た直後に、夜遅く廊下でバッタリGO田兄いに会った。

早速「GO田さん、なんであんなに残業してるのよ!?早く帰ってよ。死んじゃうよ!!」と言ったら、ニコニコしながら「医者にも帰れって言われてるのよ、、、、」とか、いつものように呑気に言っていた。その顔は今から思えばちょっと疲れたような顔だった。

 

その数週間後の訃報が月曜のそれだった。

 

今日がお通夜だったので、会社を早くあがって近くのメモリアルホールに寄った。

18:00スタートで20分ほど遅れていったので、すでにお通夜は佳境を迎えていた。

祭壇を見るととても立派だ。列席者も会社の人中心に130人ほどいるだろうか。

こんな時に失礼だが、ざっと見積もってこの規模だったら2~300万円はかかっているだろうか。一昨年母親の葬式をやったので、大体わかる。

それだけ立派な葬式をやってもらったということ、よかった。

 

読経が終わるとスクリーンが降りてきて、GO田兄いの人生を振り返るムービーが流れた。

最近はこんなこともしてもらえるのか。

若い頃のGO田兄いは今よりひょろっこく、シュッとしており、結婚式の写真では奥さんもアイドルみたく可愛らしい人で驚いた。

まさに美女と野獣だ。どうやって口説いたのだろう、、、

そんなことを考えていたら、ご遺体との対面と焼香の時間になった。

 

長い列に並んでいると、母親の葬儀を思い出した。

なんか遺体を見ると感極まりそうで、近づくにつれGO田兄いに会いたくない気持ちと、会いたい気持ちが葛藤し始めた。

そして自分の番がやってきて、GO田兄いの顔をいよいよ見ることになった。

小さな窓から兄いの顔を覗くと、なんだか難しい顔をしたGO田兄いがそこで眠っていた。

MATTの記憶では,GO田兄いはいつも何か面白いものを見つけた悪ガキのように、ニコニコとしていたのだ。だからそんな難しい顔を見て、もしかして死ぬ間際苦しんだのかな、それともまだ仕事の事を考えているのかな、、、、

なんて思っていたら、じーんとして思わず眼がしらが熱くなってきた。

もっとそこでGO田兄いに最後の挨拶をしたかったが、多分大泣きしてしまいそうで、居ても立ってもいられなくなり、そそくさとその場を後にしてしまった。

 

会場を出て車に乗り込み、家に帰るまで、何を考えるともなくボーっと運転していた気がする。

いつもニコニコし、つまらないダジャレやオチの無い話をしながらも、いざ仕事となったら寝る間も惜しんで仕事に没頭する、そんな真面目一徹の男を、体を壊したあとも同じ職場に残した会社やその上司に激しい怒りを覚えた。

 

手術の後に、せめて違う職場に替えてあげていたら、GO田兄いは死ななくてよかったかもしれない。結果論だが、そんなこともできなかったうちの会社は、本当に「人間尊重」を実践しているといえるのか。創業者に恥ずかしくて顔向けできない。

 

今でもGO田兄いが死んでしまったことが信じられない。

もうあのホノボノとしたゆるキャラのようなGO田兄いと、とりとめない話をすることもできない、と思うと本当にもっとよく話をしておくべきだった、と後悔する。

また飲みに行きましょう、と言ってたのに、なんで早く企画しなかったのか。

後悔しか出てこない。

 

悲しすぎる、本当に悲しすぎる別れだ。