書評:『磯江毅 写実考』美術出版社 | Matter of Fact.'s Notation

書評:『磯江毅 写実考』美術出版社

 色々な意味でこれ以上の画集を彼の作品に望むことは出来ないだろう。何故なら、彼の作品が「偽物」だからである。
 表紙は遺作であるというが、作品の品質(quality)ではなく、作品の外的事情に訴えるという非本質的な手続きによって、鑑賞者と消費者を口説くという戦略が見え隠れする。

 作家自身が認めていたように彼の方法は軽薄で、著名な作家の作品から剽窃したものばかりが目立つ。「深い眠り」はワイエスのBlack Velvet、「虚栄と私」はナランホの「自画像の歴史」、「いろいろなもの」は野田弘志の「想 澁澤龍彦」といった具合である。第23回損保ジャパン美術財団選抜奨励賞展が有用な資料となるだろう。これ以外の盗用に興味がある方は、ご自分でお探し頂ければ幸いである。
 原作者は近年活躍している描写に秀でた画家ばかりで、彼の視野が如何に狭いか、彼の見識が如何に偏ったものであるかが分かる。この盗用は盗作程ではないにせよ、非常に問題のある制作態度だ。
 描写は途方も無いが、形体感がおかしい。作品の大半が盗用に依存しており、特に初期の作品に関しては比例さえ、著しく不適切である。これはアカデミックな美術教育を拒んだ結果である。
 彼よりも無名な画家であっても、彼より高い水準の技能を有していて活躍している事例も多い。然れども皮肉なことに、極端に偏った彼の絵画技術が却って彼を有名にしてしまったのである。
 このようなスタイルに固執する人間を現代のアカデミックな価値観は評価していない。磯江毅さんご自身が或る面で後悔していたという話も聞いている。同様の状況に陥る人は地方にはよくいらっしゃるので、単純に言えば、環境や態度に問題がある場合に陥る症状であると言える。

 彼のような人を評価する人の見識を私は疑う。芸術を、愛好の強要か自己愛による馴れ合いか何かと、取り違えているとしか思えない。これは、典型的な作品そのもの、既存の作品の評価の理由を、改めて検討して見れば自ずから分かることである。

 美術に関心を持つ方々の多くは、合理性、統合性、斉一性、普遍性を軽視しがちだが、絵画の形成方法や評価には決的に合理的な側面がある。
 一般の方や初心者、そして、未熟な段階で見識の発達が停止した水準の専門家気取りの人は、細密描写に騙されるが、恒常性を確保出来ないこの技能は、寺田春弌が認めるように、本来的な絵画の技能に数えることは出来ない。破綻した細密描写という小手先の技術や自己愛による詐称の連鎖に惑わされない鑑賞者が増えることを願うばかりである。