Notation with Ministry of Foreign Affairs
 Amebaのメッセージボード

 1 問い / What are you ? (抄)

 「死ぬまでにしておきたいことは何なのか」
  What your bucket list in the day that the testament ?

 「何の為に生まれてきたのか」
  Why I was born ? What were you born to do ?

 「どうしてこうなっているのか」
  What caused this to happen ?

 「死んでからのあなたは何なのか」
  Who are you form you dead ?

 哲学は問いである。それも、真理と本質についての、根底的な問いである。仏教には三界という言葉があるが、アルベルトゥスマグヌスの方法が全てではない。自問自答と言うが、孤高の日本人哲学者野矢茂樹が指摘する通り、ほぼ全ての場合に哲学は、言語の客観性と実在性を前提とする。時には、そのことが本体となる。哲学では、外界の実在を問うことからも知られるように、客観的実在(objectivity)の有無や可否、信頼性や可動性を検討するので、第三者は怪訝に取ることもなくはないとはいえ、存在や言語や論理以外にも、構造主義者とポスト構造主義者が唱える通りの、構造を、堅固に信奉しそれに従い行動することをも、考慮する。
 灌漑の実施以降の最大の知者ソロンの功労が廃れつつあった世代を生きた非-自然学者アリストテレスは、何も蔬菜と畜肉を天秤に掛けた訳ではないが、先の野矢の視点を踏まえてアリストテレス哲学を前提とするなら、近年の獰猛な現実も、断片的であるとは言え、見えて来るというものである。
 ヨーロッパ文化の重要な源泉の一つとして人類の歴史に深甚な影響を与えているギリシアの生んだ哲学・科学・文学・美術は、善美を超越する真理の本体としての可動性を証言する義務を負っている。これは、ハイデカーによって唱えられた現存在了解の為の、必ずデューイが自覚した以上の意味での、オルガンの創出の努力がプラトンの対話篇であるからに他ならない。事実、音声中心主義者を剔抉したソクラテスとミュロンは、粗悪な芸術家を糾弾する。少なくともデカルト以前に条文化された明晰判明知の妥当性は、分析哲学の基幹原理の一つである明晰さの追求を阻害する粗雑な暴力に留まる凡ゆるクリシェを、認めない。
 同一の前提に基き、プレンターノに続く現象学者の始祖フッサールが哲学者である以上、フッサールのデカルト主義は、分析哲学を阻害する粗雑な暴力に留まる、プラグマティックな過誤であり、認めない。同様に、早期に余計なことをしたヴィーゴと、企業の負債を拡大したレッシングの、独自の活動の帰趨も、哲学の学的研究の主要な業績には、決して数えない。

 哲学研究は、ホッブズ、ルソー、オースティン、ハーバーマスがそうであったように、還元主義的な研究と追認を含めて、応用領域の拡大を誘発しない仕方で遂行することが、明示した例外を含めて、可能である。
 1990年以降の哲学研究の主要な動向として生じた、分析哲学の指針として、歴史研究に対する還元主義的な応用研究の顕著な福利を証拠とした、哲学における主要な認識能力についての均衡の確保を徹底するべく組織される哲学の同一性の安定的な咀嚼(R/W)を正当化する研究体制への移行を、積極的かつ主体的に推進する。
 従来からある課題に、概念についての、哲学における先取権と特権の軽視がある。同様に、哲学における本質と、偶有的な現象を、事前に識別する明晰な根拠を、正確に弁別することが必要である。数学史についての幾つかの多重化された標準に関しては、強く反対する。何故なら、哲学における真理と顕著に矛盾するからである。
 以上より言えることには幾つかあるが、歴史学の追認は重視しない。初等教育以上の広義の教育、歴史学、宗教(組織神学)、数学、政治(政治学、行政学、法律学、社会学、他(法理学の一部を除く))のテトラルキア、近代言語学、化学、哲学の過干渉と重複の合理的な削減が、同様の斉一性を示すべきであり、工藤晴也を模倣するかのような、漫然とした、放蕩三昧は、単なる予備校講師のみならず、全ての哲学研究者の危機感が必須であることを意味している。歴史学者の佐藤道信による扇動と事実誤認の、再発は断じて認めない。同大学の先行研究の最大の汚点を生じた佐藤一郎がその証拠である。

 岩波書店『広辞苑』(第五版)、東京大学出版会『哲学』、池泉書館『哲学中辞典』(旧版は、青木書店『哲学辞典』)、勁草書房 双書プロブレーマタ(『心の分析』、『ことばと対象』、『論理的観点から』、『現代のイギリス哲学』、『ウィーン学団』、ほか)、春秋社 現代哲学への招待(『真理と述定』、『合理性の諸問題』、『真理・言語・歴史』、ほか)の読解を前提とする。辞書については、統辞論と語彙の変遷を考慮とした、近代言語学を否定するに足る哲学での正当な論拠の主体的な正当化を前提とした運用を前提とする。
 現象学の始祖の宣言の通り、哲学体系全体の整合性と同一性を重視し、山本巍とライカンの安直な破壊工作を否定する。哲学教育の拡大は、マクロンと習近平の国際政策以上に重視すべき急務である。クワインの先の指摘にある通り、問題が非常に広範でありしかも多岐に渡る為、哲学研究に従事する各員相互の情報交換の齟齬を最小化することが必須である。『メノン』の原理に反する、山本巍・納富信留の研究姿勢を深く反省し、ヴォルテール『哲学辞典』、メルロポンティ『哲学者事典』などの総記の類には一定の警戒を要することを理解するべきである。目的意識を欠いた情報収集が、画家を増長させ、哲学の既得の認識と真理を隠蔽する。閲覧以前の臆見を縮小する原理を事前に内在する知見の、どの要素に何故着目するのかを明確にしておく必要がある。事前の批判は、デカルト(1644)以外にも、哲学を修めた中世の教父の多くが示している。哲学の演習問題については、行為論の扱いを加味して、門脇俊介の『現代哲学』を推す。心が折れただけで哲学に触れポストには興味も意欲も無い場合でさえ、優良な助言を提供する良書である。12コマ想定であるが、30-90日程度で読了する読者を想定する。尚、パースをメデイアに、ジェイムズをプラトンに、クワインをアリストテレスに見立てた、ギリシャ哲学については後述する。
 ウィトゲンシュタインが示した哲学における言語学拡大に対する事前の懸念の中枢であるアウグスティヌスの、『告白』は山田晶訳、『神の国』は金子晴勇訳、アンセルムスは岩波書店、デカルトは岩波書店(一部)と山田弘明訳(一巻)、ロックは大槻晴彦訳(一部)と加藤節訳、ライプニッツは河野与一訳(他)、フレーゲについては勁草書房の著作集(4巻 ほか)、ラッセルの『西洋哲学史』は新合本版、『現代哲学』ほかは高村夏輝(高村の翻訳に関する高村自身の批判に関しての事前の否定はジェイムズ)、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は野矢茂樹訳(原文の訳まで)、『哲学探求』は藤本隆志訳(表題等は除く)、ハイデカーの『存在と時間』は熊野純彦訳、『技術への問い』と『芸術作品の根源』(訳語と対応関係は重視しない)は関口浩訳を手掛かりにして(市販邦訳の状況次第では変更)、大森荘蔵が指摘した通りの日本思想による日本哲学の改竄を特定し、問題を解消する。但し、アペレスとソロンを同一視することを無闇に許容した思想家の東浩紀は哲学者の大森荘蔵の後継者ではない。現代的且つ投機的な思想研究では、哲学研究は行えない。
 大陸合理論哲学、イギリス経験論哲学、フランス二元論哲学に続く、ドイツ観念論哲学については、ライプニッツ=ヴォルフ学派以降の、カント、フィヒテとシェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデカーを考慮し、同時代人を含めた若年ドイツ人哲学者によるニュートンに匹敵する学的哲学の研究業績を、他言語による学的哲学と同等に重視する。岩波文庫以外には、長谷川宏訳や岩波オンデマンドを考慮する。近年では、雑多で低俗な学習者の世話に関して問題が噴出している。ハイデカーのオンデマンド版全集が好例である。その主著の成立とその前後、俗悪な研究者の憶測やミネルヴァ書房の粗悪な偽典等について周知すること。更に、問題の東京芸術大学副学長保科豊巳に至っては、女房詞を悪用し他人の人生を破壊し、享楽の限りを尽くしている。
 (略)

 Amebaにより定義された「メッセージボード本文」の、当エントリー(本エントリー)の本旨となる、本論の全景については、2026年03月28日のエントリーを確認して下さい。


 2 書籍販売

 分析哲学の双書では、自著の『分析哲学綱要: 神聖ローマ帝国皇帝冠に潜む真理』ほかを販売しています。従来から知られた紙の書籍と、電子書籍の、併売です。分析哲学の現代の基調、若しくは、当方の行動指針や見解に、ご理解のある方々は、ぜひお買い求め下さい。各世界のアマゾンでお買い求めになれます。


 3 サイト案内

 本ブログのテーマの「サイト案内」から辿れる、編集方針と編集内容が、あなたの人生とインターネットブラウジングの、ご参考になれば幸いです。
 ブログでの著述の傾向と姿勢につきましては、「左側」の「カレンダー」の下に表示されている、ドイツ語由来の「テーマ」から、追認が可能となっています。ホームページについては、「ホームページ案内」、ブログについては、「Amebaのプロフィールページについて」で著述してあります。
 尚、ブログ名としたNotation with Ministry of Foreign Affairsの要素であるNotationとMinistry of Foreign Affairsはそれぞれ覚書(おぼえがき)と国際連合を意味しています。
 概ね、40字詰めの原稿用紙で1枚半程度で、論旨が把握できる程度の、論述を主体に、著述していますが、主題と状況次第では、その限りではありません。既存刊行物とwebページの動向如何で左右される要素を含むことは言うまでもありません。

 行数については、印刷とwebでは、47字を多く用いますが、既存刊行物を見れば分かる通り、グラフィックデザインと既存見解が正しいことから、山本巍と松尾大の主張の一切は認められません。同様にこの限りで、横長の(wide)PDFは、A4フォーマットであっても、原則的には認めません。通例に従い、利用は禁止しませんが、例外として許容するものは幾つもあることを覚えておいて下さい。
 ステファノス番号とベッカーによる校訂本との引照法の扱いは、慣行の範囲内ですので、必要に応じて適宜お調べになって下さい。その他の略記や句法についても、インターネットと既存刊行物に記載の内容との間には本質的には異同がありませんので、妨害等は一切不要です。
 ベッカー版の登場によって表裏一体の改革を実行してしまった、『プラトニスオペラ』と『アリストテリスオペラ』の邦訳の扱いについては、2025年08月22日のエントリーを確認して下さい。

 本論の補足を含む全景については、2026年05月23日のエントリーを確認して下さい。


 4 分析哲学のデリバティブ (抄)

 クワイン本人死没後の分析哲学の動向を正しく理解する必要がある。ジェイムズ出生以前の哲学潮流を軽視することは認められない。人間は少数の生産を優越することで自己正当化を選択した生物種である。機械工業の物量作戦では、人間の本体論としての少数生産の優越を普遍化することは不可能である。扇動を本体とした虚偽は、神の恩寵を無視した愚行である。ロシア連邦の軍事指揮官が論文で指摘する通り、時代的動向を軽視した結果それに流されたドイツ観念論は、ノルドストリームの破壊を招いたと言える。
 四方を海に囲まれた海塩の国、日本の料理の伝統には、「味噌汁」がある。宮廷料理人秋山徳蔵が批判する通り、女房料理を正当化する調味料に過ぎず、食品添加物の劣性が強く量も多い。赤砂糖などの類例も多く存在する。肉一つ取っても、生での調理法が知られ、しかも、特定の臭気を示す、ガーリックや帆立などの比喩表現で、同様の実質を伝える習慣が世界にはある。男女には、身体の機能上の相違があることが広く知られている。味噌の扱いについては、結腸の物性の相違から、肛門管に要求される作用に相違が生じ、その特性差から生じた矛盾が、家庭料理での味噌の扱いとなっていることが多い。そのことを意味するのが「けんちん汁」であり、日本の料理の複数の弱点を背景に象徴的な作用を刻印している料理(/料理法)である。身土不二と言えば聞こえはいいが、医食同源ではばつが悪いとは、どういうことか。

 詳しくは、2025年06月19日のエントリーを確認して下さい。


 5 ナチュラルシードレス発見以降の植物相

 19世紀終盤になってアメリカ大陸で発見されたナチュラルシードレスは、実質的にはカリフォリニアレーズンの主たる原料であって、オーナメントとは相違するフロリダとカリフォルニアの実力を、人類は軽視していてはけない。
 ピノグリとゲヴュルツトラミネールの多様性や実力と、シラーの完成度と練度を、軽視したニューワールドのスクリューキャプが、ユニブランとアイレンの努力と実力を、制限しない日が訪れる。21世紀のアリストテレス読解は、現代的な行為論の典拠の遠因としての表情を視野に収める段階に達している。その他方で、一次元データに近い文筆活動の全般的な傾向の限界が、多くの誤読を生じてしまっている。
 薄利多売の有名ワイナリーの葡萄栽培は一歩間違えば、パリサイ派的永田農法という最終的な葡萄栽培であり、他の製法による代替が想定される。その幾つかは、非常に素朴な方法であり、広く開かれた方法論である。現地の栽培者と栽培成果物を受領する醸造家の多くが認めるのは、栽培における強引さと葡萄の追従の限界による、迷いと生産合理性からの逸脱である。
 ヴィニフェラとイーストの邂逅は、2000年以上前に遡る。地球上の存在が直面した危機が、人類に灌漑以上のサーマルプロセスを牽引させたのかも知れない。バベルの塔以降の人類の言語は、大統一体ではない。それと同時に、ジオエコノミクスは剛体の存在とその循環機関のような能動性を認めるのだ。初期のペールエールは、宇宙の闇とは異なる深みを湛えていたのだ(210a30-b21)。

 詳しくは、2025年08月09日のエントリーを確認して下さい。


 6 政治的な見解についての視点

 コスモポリタニズム以降の諸相に関しては、2025年10月28日のエントリーを確認して下さい。


 7 民族自決権とリバイタリアンについて反省する哲学

 コスモポリタニズムは、人種民族の能力を覚醒することを前提していると言える。その意味では、環太平洋条約を凌駕する精神である。ウィルソンが唱えた民族自決は、ルーズベルトの内心を吐露させた。ジェイムズが指摘している通り、現存の人間存在は可動性の範囲全体を自己の都合を前提に再解釈する。
 不可避的に生じる現実を無抵抗なまま再生するだけの自分を理解すること。それが、あなたは可能だろうか。プラトンに連なるヤスパースは、死や戦争への直面が神との契約を直覚する契機であると唱える。他人の死を主体的に再解釈し、自分の死を精密に理解すること。それは、恣意的な都合の押し付けとは相違する。力のみに頼った学問の正当化をアンスコムは『トルーマン史の学位』で強く批判している。ニーチェに立ち返れば、「この人をみよ」で示される力学の図式が、人間の自由と責任を教えている。
 哲学では、人種民族の存在(現存と自由)によって制約される意味内容を、必ずしも無視しない。反対に、哲学では、一個人の主体的な意思表示を、勝手放題好き放題と同一視される訳にはいかない。
 哲学の代表権は、アリストテレス、アンセルムス、ロック、ライプニッツ、ヘーゲル、クワインによっても理解される。一個人の主体的な意思表示を超越する妥当性を、既存哲学に見出すのなら、素朴哲学の課題を合理化する動向も理解できるだろう。

 アメリカ合衆国の躍進以降の諸相に関しては、2025年12月20日同年同月24日のエントリーを確認して下さい。
 イギリスの過誤を拡散する愚劣な哲学思想に関しては、2021年1月31日のエントリーを確認して下さい。


 8 通信技術の停滞による収支縮小

 古典的な言語観に対する反省を促した「携帯」(携帯電話)と「スマホ」(スマートフォン)だが、ちゃんとしたPC(パーソナルコンピュータ)があれば、不要である。フリーメールやECサイトの設定を見直し、通信料金等を含めて契約プランを整理することが、環境倫理を含めて人類の義務である。悪く言ってしまえば、テレカ(テレフォンカード)か「宅電・家電」(据え置きの電話機)への復帰も実用性を帯びて来る。手塚作品にも出て来る、あの黒くて丸みを帯びたデザインのものも、まだ動く。スマホの質量は、依然として、従来の携帯電話の1.5倍もある。テレカの35倍以上もあり、逆転しそうにない。アリストテレスとは相違する、単なる技術家(技術者)が、牽引して来たヴィジョンが崩壊するのだ。

 詳しくは、2025年05月31日のエントリーを確認して下さい。


 注記

 Ameba側の決定でAmebaのメッセージボードに、現在、意図通りのリンクが貼れない仕様になっています。その証拠として、Amebaのプロフィールページにも、運営側の決定に基くリンクの不備があります。アルファベットとは異なる字を含むURLが正しくリンクされていません。Ameba Pickの商品検索でも、アクティブな商品ページの一部が表示されず、悪意ある検索結果によって、情報が歪められてしまっています。「ブログを書く」際のAmeba Pickの商品検索とYouTubeの動画リンクの、一部を排除したセレクションと表示順序の、恣意的な有用性を誇張した姿勢は、客観性を欠いていることを承知しておいて下さい。
 これは、各種の電磁端末の、主に液晶の、ディスプレイのカラーバランスの歪みと無関係ではありません。眼科医の圧倒的大多数が、若年者に対する照明の過照射により、劣悪な視力低下を生じていることを認めています。家屋の遮光性の建設後の主体的な補強と、元来の、太陽光との距離感を思い起こして下さい。五徳を含めた黒鉄の類と不潔な靴下を排除することを心掛けて下さい。双方向の言語コミュニケーションが行えない期間に生じた過失が、次代を瓦解させることになるのです。佐藤一郎や保科豊巳、更には中村政人と佐々木浩一は、その最低最悪な実例なのです。各種の電磁端末の生産序列が、LEDの小形シーリングライトよりも劣位であることを踏まえ、大手電力会社とのアンペア契約の見直しと、待機電力の削減、配電盤の扱いに習熟することを確認し、ネット工作員の私益の追求を排斥する必要があります。一日当たり約65円の違いでできることを考え、従量料金の過料を理解して下さい。ロケーション選定と帰属性を踏まえ、オストワルト以降のエネルギー論の再建を果たす必要があります。その支障となるのが、電気製品であり、家庭用冷蔵庫の消費電力は、容量当たりでも、運用期間当たりでも、12年前と比較した場合には、明確に低迷しています。ヘッドフォンやヘッドライトは知能低下を助長し、スマホは、衣類・食事・自宅の改悪にも直結します。電力消費の縮小は不可避です。気圧式時計アトモス(1928)が工業生産網の内部に存在していることは、観念論の大国の山師が、存在論と論理的言語的分析を不十分にしか理解していないことを意味しています。電力消費量は、一人当たり、例月175Kw未満・年間1200Kw未満が努力目標です。
 技術革新と設備投資は、可動性と偶有性の、外的な機能です。アマゾンフルフィルメント同様、物流のロジスティクスは随時高確度化しています。楽天市場が置き配を実装し、ECサイトが抜本的な多極化を迎えた現在、西濃運輸と赤帽の現住所(自宅)への配達と縁を切り、自動販売機、ドラッグストア、コンビニエンスストア、業務スーパー他の販売商品(陳列品)を含めて、知識状態の最適化が必要だということ、フォンテーヌブロー派が示した歴史的な現実以上に、時流を反映する駅前や国道に象徴される大通りの表情を、思い起こして下さい。ワジリスタン紛争を含む各位の戦争は、日本の生活用水の消耗を顧みない電力消費の不十分な肥大と北米のエレクトロニクスの不備に対する、明確かつ痛烈な批判です。
 以上、ご理解とご了承をお願いします。なお、悪質な扇動への対策を含めて、「いいね」機能は停止しています。改善が見られない限り、復帰しません。
 

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期間限定塩むすび

 I 導入

 

 今月は、各都道府県のセブンイレブンの店舗で、期間限定塩むすびが、販売された。旧Twitterではネット工作員がブラグマティストを侮辱しているが、失活したかのような食塩、ポップコーンに紛れ込むかのような油脂、殺菌剤を含め、ことはそう簡単ではない。

 一等米の指準は特定の県単独では策定し得ない。水稲とチタニウム-酸化体とでは、何が相違するのか。二酸化チタン製造プロセスから三酸化二鉄を切り詰め切り出す(cut off)際に、通常のUSA人の一人から、声が発せられた(音声中心主義)。その号令は自覚を促す機能を有しているべきである。ディオテマの実在を疑う元老院に意味があることを疑う余地がない。新論理主義者を糾弾したのは他でもないウィトゲンシュタインだったが、同一性と副産物を精密に理解することが欠かせない(カールとアーサーの実力)。

 

 翻って、カルナップの論述(1935)を確認してみよう。『聖書正典』の著述の通りに、燐と哲学では、創出負荷が相違している。工業の内部には化学が内在せず、化学の内部には、工業従事者の意欲が剛性を欠いている。

 アルキメデスの公理と確率論を回避しつつ、エジプトの墓碑を横目に、プラトンが述べた最大の定率を伝える『パイドン』に対して類似性を示していることを忘れてはいけない。

 

 前提

  P1 この鍵は鉄製である。

  P2 鉄は磁石の近くに置かれると引き付けられる。

  P3 この物体⸺一本の棒⸺は磁石である。

  P4 その鍵がその棒の近くに置かれた。

 帰結

  P5 その鍵はいまその棒のに引き付けられるだろう。

 

 言明Pは、哲学(philosophy)と物理学(physics)の混淆する領域を視野に、カルナップの地盤たる工学に、発展目覚ましい、当時の電気工学を加味した、当世風の論述が続く。(回路はその意味である。)

 ウィーン学団の共同声明は、歴史学者の哲学認識と、『イオン』に示されるアコーディオン奏者のような論理学者ではなく、哲学者の真偽判定から漏れた、当世の自然科学の、過失を批判するもの以外ではない。ヘーゲルが端緒となる学問の原義を、改悪するような自然科学が、堅固な真理を探究し得ないことを、決して忘却してはいけない。

 

 

 II 戯曲と恐怖

 

 チュンソフトが開発した「風来のシレン」は、現在でもプレイ可能である。新規のエントリーについても、件の仕様以上の障壁は実在しない。

 ゲームクリエーター達には、自信があったようで、「BUBG」では、ゲーマーは自分を抑えマップ上の物資を駆使して「ドン勝」を目指した。

 

 「風来のシレン」のプレイアブルキャラクターも、お約束の通り、包囲されていると弱い。色違いのドレムラスと地雷(中)で苦戦した人は多いだろうか。

 「風来のシレン」は単なるRPGではない。

 

 これは「弟切草」ではない。「風来のシレン」で「弟切草」を拾ったとする。使う気は多いだろうが、やはりお約束があり、その限りではないが、単なるRPGでもそのようなことはある。

 有名なものでは、「SERECTION II」があり、トルネとかコムギが出て来る。当然のようにオオムギも出て来るが、更にライラが死ぬ。レベル30がどうやらレベル上限で、単なるプレイヤーでレベル31の高みに到達した人はいないようだ。

 ほぼ同時期のRPGには、「ポケットモンスター」がある。やはりお約束がありレベル制RPGを破壊してくるが、新規のエントリーについても、件の仕様以上の障壁は実在しない。認知度を高めようとすればハードルは上がるが、「モンスターファーム」程ではない。話を戻すと、「シレン」にも、所謂「育成要素」はある。何の話かと言うと、「ポケットモンスター」では、150体を超えるモンスターが出て来る。モンスターの総数を数えた猛者はいないとは思うが、相当多い。今では懐かしいタイプのランダムエンカウントが主体で、シンボルエンカウントも併用された。「特殊」が400を超す最強のNPCモンスターがラディエーションに苦しむ草原で、長期戦に耐えたプレイヤー達にはその権利さえも無かった程、熾烈を極めた伝説的タイトルであり、現在もプレイ可能である。競合したブリダーは何人かいたが、有名なのはマルマインのブリーダーだ。迅速さと「素早さ」、「入力コマンド」から生じる「読み合い」から、格闘状態に発展した者までいたという。モック本でも然りげ無く語られ(narrated)、今でも覚えている人が3人以上いる。ルールを守らないと電子的ゲームは楽しめない。問題は何がゲームなのかである。 

 全範囲攻撃に重きを置く、技マシンとの相性の悪いモンスターから繰り出される電光石火の「スピードスター」の「次ターン」で「破壊光線」が発動したこと、小利口な奴とは違う「属性相性」の裏を突いた「痛恨の一撃」は何だったのか、「吹雪」と「地割れ」の取り混ぜ攻撃、「サイコキネシス」と「自己再生」の基本パターン、「冷凍ビーム」を多様した威圧、マッチ棒と電子ライターの本決戦については、続編で伏線回収が行われた。ユニコーンとフェニックスの混淆が全てを物語る。六色(むついろ)の原色陣取り合戦があった。エンデインング後に体感した「ストーリーモード」では対戦できなかったブリーダーが多くいた。古語を話す玉(ぎょく)モンスターと「ダウジング」は方向音痴がいなかった証拠だ。雛菊と雛罌粟を添えておく。

 

 

 

 

 III 歴史認識と時代感覚

 

 ライト兄弟(1903)は歴史認識と時代感覚の亡霊である。歴史学者は資料ではないし、断言してしまえば、優れた考察者ではない。その程度のことに気付けないないなら、歴史の研究者は行い得ない。資料の経営は、歴史学者単独では行えない。資料が後代の歴史研究者の為の歴史を内在する必要が無ければ、歴史学者には歴史研究の 高等教育における数学の指針変更は、歴史領域にこそ妥当する。コリングウッドの経験主義の内部に定位される歴史の観念以上ののみが、分析哲学における歴史の概念を研究対象となるべきである。

 ラッセルの問い(1905)は、フレーゲとクワインの暴言を否定する性質のものだが、ライト兄弟の過誤の学術上の打撃の重要性が、ジェイムズの主著(1907)を産み出している。政治の思潮は、純正の理論ではない。だからこそ、クワインの独善的な帝国主義の欠落部を澪kとしてはいけない。ニーチェが伝える通りの姿勢を、アレントとフックウェイの尊厳に対して犯したクワインの謀略によって失われた哲学を精密に理解するべきである。ジェイムズも同様に、民族との民族の哲学の相違に著しく鈍感だったが、プラグマティストがロックの頃から唱えている記号学の問題(支障)は、この辺りにもある。

 

 だからこそ、「弟切草」に触れておくべきだろう。

 初回は怪しいとはいえ、天下一武闘会で示される例のアレは、SO4とかSO5でも、FF7なりFF15でも、見受けられた。制作側の咀嚼力が不足したSAOには目を瞑(つむ)るとして、FF13では、開発環境の制約で妙な切れ目が生じているが、内容面での補填はFF13LRで行われた。

 ゲーム「ef」は、ソフト上は、3作以上存在しているようだが、ゲーム本編の文字列には明示されていないシグニフィケーション(signification)を、取り逃がさないことが生成AIのインストールに歯止めを掛ける。

 

 楤の芽と藤の花は、似ている所が多い。楤の芽業者は雌楤を幾らでも売るが、雄楤の魅力は得られない。その意味では、蕎麦粉を買い求め、揚げ物にすると良い。

 農業を連結した場合に生じる、嗅いだような感じ(déjà-vu)には意味が無い。その解消を目指したことにする商業と工業と運輸には意味は無いが、反対に、その支障の解消を目指す哲学には、意味がある。先の師匠は、論理障害の一種であるから、西欧の合理主義に追いついたことが、大陸合理論の正当性と福利が、どのように理解されてきたのかを知るべきである。

 

 

 IV 倉庫への問い

 

 以下は、ヨドバシカメラのエントリーである(強調は引用者)。

 

 ****

 

カタナ、剛剣マンジカブラ、風魔の盾。手前に何かお忘れではないだろうか。鍛冶を触発する対象の限界は、川原礫に聞くまでもない。
魔法少女まどかマギカの最大の主題が特定できるなら、決して難しい問題ではない。歴戦の雄が遂に攻略できなかった建築が、倉庫だ。
教会でさえも、同一の対象が複数存在し得ないという事実を克服できなかった。その結末は十年と待たずに、衆目の知るところとなる。
アクションRPGを超える極端すぎるアクションの要素。世界観とストーリーに由来するRPGの本体を最大限切り詰めた最低のRPGだ。

(2024年11月追記)
「ダイバージェンス イヴ」の存在について考えてみると、希少鉱物の採掘に潜む構造がそれぞれの現実を照らし出すことが多いことが分かる。ヴィデオゲームには、できるゲームとできないゲームがある。既述の通り、一部の人にはできるゲームとして強く印象付けられたタイトルでもある。

 

 ****

 

 宮川賢に後れを取ること約30年の、白石麻衣が米粒のように切り捨てられることを、自らネタにしている。演劇と芸能には、壁がある。風来のシレンでは、入力切り合えで表示される画面表示が、実生活では液晶の側にある(2022)。

 

 

 

 

 V 倉庫への問いに基くこと

 

 五木寛之は、『史記』に示される歴史観を分析し、日本思想と中国思想とドイツ哲学とイスラム世界の相違と一致を視野に、アリストテレス哲学の欺瞞的な言動の外部を示した(2002)。

 五木寛之に対する不満は、幾つかあるが、大体250ページ程度はあっても論述の軽さが気になる事がある。小説家と随筆家の相違もあるが、哲学者の方便にも課題は多い。藤本隆志・野家啓一らは、当事者の意識を説明として挙げたが、哲学者の意識がある人間を山本巍が何人知っているのかである。

 倉庫でも、哲学書、詩歌、小説、随想、啓蒙書等の区別には意味がある。

 読書家程度は、日本画家だろうが評論家だろうが、何人でも作れそうなものだが、「必要は発明の母」(1726//1735)程度では、哲学は誕生しない。死没の4年後に何の意味があるのか。それが新古典主義の改革者アングルとの相違であり、駒井哲郎に師事した東谷武美の愚弄される程度の発明家である。そう考えるとダメットを呆れさせた件の成句よろしく、哲学は消滅する。哲学は、仏陀の家来ではない。仏陀は他力本願の代名詞では有り得ない。宗教の本義をブッダは特定したのだ。それが、仏陀と五木寛之の相違である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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