「第一回深谷ねぎまつり」
を訪れました。
深谷市に長年大きな恩恵を与えてくれた「深谷ねぎ」を中心とした食への精一杯の感謝をしよう、ということで行政ではなく市民の側から立ち上がった深谷市初の「まつり」です。
このまつりは2部構成となっていて、第一部は「深谷ねぎの奉納」であり、第2部「ねぎの市」ではねぎを中心とした飲食、各イベントが繰り広げられました。その象徴が泥つき深谷ねぎの一本焼き、
「深谷カルソッツ」
でありました。
「深谷カルソッツ」…私にはとても思い入れ強い活動です。もやしとは関係ありませんが、一人の食の提供者として、「カルソッツ」に関わってきたものとして今回の「深谷ねぎまつり」で響いたこと、ここに記します。
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2年前の1月、さいたまスーパーアリーナで毎年開催される「農商工連携フェア」に私も加入している深谷市産学官連携プロジェクト「ゆめ☆たまご」が参加することに際し、
『深谷で最も知名度のある農産物、「ねぎ」を正しくきちんと伝えてみよう』
という意思の下、「ゆめ☆たまご」と深谷ねぎの繋がりが始まりました。
そしてバラエティに富んだ深谷ねぎを正しく発信する手段として、私の発案で深谷市各地で産する深谷ねぎを品種別、産地別で食べ比べてみる
「ききねぎ」
という試みが為されました。この時はゆめ☆たまごメンバーが誰でもねぎに異様なほど関心を持っていました。
さらにメンバーの飲食店が教えてくれた
「泥ねぎ焼き」
の驚くべき美味さを感動し、
「この食べかたを広げたい!」
という強い想いがメンバー間に芽生えました。その後メンバーの一人、後に「深谷ねぎの現象学」という作品を完成させた、塾経営者小林真がスペイン、カタルーニャ地方にある「泥ねぎ焼きまつり」の情報を偶然ラジオから仕入れ、調べたところそれは「カルソッツ」という料理名であり祭りの名称であったことから、「まずはやっちゃおう」と後先考えず先走った小林と、彼の勢いに付き合わされた(笑)私の二人で「個人的に」
「第一回深谷カルソッツ」
と銘打って敢行したのが、ほぼ2年前、1月29日のことでした。
あの時はゆめ☆たまごメンバーや友人を頼り、強引に5品種の深谷ねぎと熊谷市のめぬまねぎを集め(笑)、同じくメンバーであり後のねぎまつり実行委員長であるイタリア料理店オーナー栗原氏に本場カルソッツよろしく「ロメスコソース」と「パンコン・トマテ」を拵えていただき、ちっちゃい家庭用のバーベキューコンロに火をおこして細々とねぎを焼き続けました。一応有料でありましたが、ほとんどのお客様が警戒して(笑)寄り付かず、試食ばかりで終わりましたが、それでもまずはやり遂げた充実感はありました。
それは「ききねぎ」から続く“食の基本”に沿った、つまり深谷ねぎを単一化せずに、品種別に分類し味を比べさせ、ねぎの多様性を提示しようという理念が達成されていたからです。それが「深谷ねぎ」に対する最大の敬意であると思うからです。
…それから…
「ゆめ☆たまご」が「深谷カルソッツ」の理念に賛同し、市内の既存の祭りに大々的に参加してその存在感を示し、「深谷カルソッツ」は多くの人に知られることになりました。
…そして2013年1月27日…
このたびの「深谷ねぎまつり」では、その「ゆめ☆たまご」も関わっていませんがその意思を継いだメンバーが今回は「個の立場」で「深谷カルソッツ」を実現させました。
「深谷ねぎまつり」のカルソッツエリアへ行って私が最初に目にしたのが、品種別に並べられたカルソッツ用の深谷ねぎでした。「ゆめ☆たまご」も私も関っていなくても当初からの理念はきちんと形になっていました。
小島深谷市長の計らいもあって、群馬県下仁田町も「下仁田ねぎ」を持って参加、「下仁田ねぎ」は一緒にカルソッツ台に乗って焼かれていました。深谷カルソッツの歴史上(2年だけですが)画期的な出来事です。
…これは本当に偶然でしょうが、第1回カルソッツと同じ状況…「深谷ねぎ5種、市外のねぎ1種」になったわけです。
「深谷カルソッツ」のもう一つの特徴、深谷の飲食店が考え出した「カルソッツ用ソース」もずらりと並びました。多くの人が関わり、深谷ねぎの美味しさを多角的に楽しみ、深谷ねぎの魅力を味わってもらうのが「深谷カルソッツ」です。
最初は想いを持った「個」から始まり、そこに「市」が賛同し絡む事で大きく広がり、そしてまた「深谷ねぎまつり」では「市」から想いを持った「個」に戻り、しかしさらに大きく展開された…もはや日常というレベルにまで「深谷カルソッツ」を根付かせました。その信念を貫いたままここまで普及させてくれた「ゆめ☆たまご」、そして「深谷ねぎまつり」を実現させた皆様には一個人として本当に感謝をしています。