深谷のもやし屋(有)飯塚商店創業者であり、初代代表取締役社長飯塚英夫(平成22年没 享年八十八歳)は第二次大戦において凄惨を極めた【インパール作戦】の帰還兵であった。日本陸軍参加将兵8万6千のうち戦死者3万2千あまり。その大半が病死もしくは餓死だったと言う。生き延びた英夫は帰国後、その体験あって食に絡んだ仕事に従事、農業、青果卸と営みそして昭和34年に地元でも珍しいもやし生産業(有)飯塚商店を立ち上げた。
『戦争ってのは食えなくなったらお終いなんだ。あれがいやだ、これがいやだなんて言っているやつらからどんどん死んでいった。俺は食えるのものなら何でも喰った。それで生き延びた』
生前、英夫が家族の前で何度も語った言葉だ。生きるためにジャングルの中で貪り食った野草、捕まえて殺して喰った野生の牛や馬・・・その強烈な食体験は英夫に
『ありのままの食の偉大さ』
をいやがおうなく知らしめたはずだ。
『野菜はこんなんじゃねぇ・・』
『本当の肉ってのは噛めば噛むほど味があるもんだ』
晩年英夫が残した食に対する言葉の数々。英夫には『ありのままの食』という強い基準があったのだろう。
英夫が興した(有)飯塚商店のもやしはその英夫の『ありのままの食の精神』が強く根付いている。
出兵時、苦しい青春時代をすごしたビルマの地で栽培されたブラックマッペ種の豆を育て、細く、根の長いもやしにする。現在の価値観で言えば見た目はみすぼらしいだろう。だがその鮮烈なもやしの味は、まさしく戦地で英夫の命を救った『ありのままの味』に他ならない。
飯塚商店の『深谷もやし』は創業者飯塚英夫の戦争体験で学んだ価値ある食を体現している。見た目がどうか、どれだけ儲かるか、ではない。その食が人に提供する価値があるものかどうか。
英夫の長男であり、現飯塚商店社長の私は戦地で培った英夫の食に対する価値観を受け継いだ。
インパール作戦の遂行時、ジャングルでバタバタと倒れていく仲間を見てきた父英夫、絶望的な状況下で何を思っていたのだろうか。何らかの希望無くしてとても生き残れないと私は思うのだ。
戦後70年の今、日本は戦争はしていないが、一部の権力者の都合によって起こされたいつくかの悲劇で多くの犠牲者が出ていることは戦時中と変わらないのじゃないか。特にインパールは戦地というよりも軍部の暴走が生んだ悲劇の要素が高い。だからこそ70数年前、父がビルマのジャングルで見ていたもの、今私が見ているものはもしかしたらとても似ているような気がする。
私は絶望から生き残り復活した父の精神を信じたい。そして価格競争の中、飯塚商店の敗戦が色濃くても自分の信じる『深谷もやし』を育て、提供し続けなければならないと思うのだ。
※写真は父が亡くなるまで大事にしていた本「インパール」(高木俊郎著 文藝春秋社) そして今年私が挑戦している理想のノンエチレン「深谷もやし」。