今年の8月、私は深谷もやし、発芽大豆「彩7」の販促活動として
都内で展開している高級スーパー「サカガミ」さんの各店舗で試食を行ないました。

 31日は清瀬駅の近くにある「清瀬店」。とても居心地の良いお洒落なお店です。そこで深谷もやしの味噌汁、

発芽大豆で作った豆ごはんを試食してもらい、販売をしました。

 生産者が自ら店頭に立ってもやしを伝える…もう6年も前から始めている活動です。その日どれだけ売れるかより、どれだけ身をもって伝えられるか、今もやし屋にとって大事なのはそこじゃないだろうかと始めたことです。特に飯塚商店の場合は
「もやし本来の姿と味を知らせるための啓蒙活動」
の様相が非常に濃いものとなっています。もっとわかり易く言えば、もやしの草の根運動でなく

「もやしの根っこ運動」

とも言えるものです。

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「えー。根っこ長いじゃないの。あたしみんな取っているのよ。これじゃ大変」

「もやしの根っこて食べられるの?」

「やだやだ。太い方がいいわ」

…何度も何度もそんな言葉のやり取りの繰り返しです。私は根気よく説明をします。納得してくれる人もいますが、顔をしかめて立ち去る方もいます。その方にとって「もやしを根を取る」という一種の美徳を否定された、と捉えたのかもしれません。

 改めて言いますが、もやしを自分で作れば身は細くて根っこが出てくるのが“自然”です。いかに多様な価値観に溢れた時代とはいえ、自然の成長が否定されているというのは由々しき事態です。それが今の日本のもやし事情です。

「なにこれ。どこのもやし?」

何か怒っているような感じで一人の年配の女性が聞いてきました。

「埼玉の深谷でつくってます」

そう答えると、

「深谷なの。でも豆は外国でしょ?」

と聞くので、

「これはミャンマーで作っているブラックマッペという品種です。昔はこちらのほうがよくつかわれてたんです」

「そうよね。昔はみんなこれだものね」

とおっしゃるので

「よくご存じですね」

と感心すると、

「知ってるわよ。だって私んち昔もやし作っていたもの

と、その方は話しました。
驚きました。どうもご実家はもやし農家だったようです。山形の方とおっしゃいました。

「もやしは根っこが美味しいのよね。これ、うちでつくったのとよく似ているわ。だから今のもやしは不味くて食べないのよ。ウチのはもう少し太かったかな」

…山形の冬ではおそらくもやし栽培室を普通の石油ストーブで暖めていたのかもしれません。ならばエチレンの影響がやや強く現れる可能性があります。

「今こういうもやし売るの大変でしょ。頑張ってね」

 その方はそうおっしゃり、試食もせず深谷もやしを二つかごにいれて去っていきました。思わぬ出会い、思わぬエールに嬉しさがこみあげてきました。

 その数分後です。いつもどおり他のお客様に、もやしの根っこの説明をしてた時です。

ねえ。もやしって本当はこうなのよ。根っこがあるほうが美味しいの。騙されたと思って食べてみなさいよ

と、なんと先ほどの昔山形でもやしをつくっていたという女性がわざわざ戻ってきて、お客様に勧めだしたのです。私も妻も思わぬ援護に感動しました。

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 数日たった今でも、

「なぜあの人は戻ってきて私たちのもやしを勧めてくれたのだろう?」

と考えてしまいます。何の得もないのに。でも何かがその方を突き動かしたような、そんな気がしています。

 私のもやし啓蒙活動は正直言って、太いもやしをメインに作っている他の大多数のもやし屋さんの支持は得られません。私のもやしの肯定はそのまま太いもやしの否定に繋がりかねないからです。孤独ではありますが、今回の出来事を通して

「自分は孤独ではないし、まだまだ希望はある」

と信じざるを得ないのです。