●飲食店とのコラボ、異業種との交流
私、深谷のもやし屋はともかく「私の信じるもやしの発信」に貪欲です。1980年代に完成された「緑豆太もやし」がもやしの主流になりつつある中、どんどん創業者である父と私が正しいと信じて作ってきたもやしが否定されていく…。緑豆太もやしを全否定するつもりはありませんし、大掛かりな設備を導入に踏み切るもやし屋さん、さらにエチレンの濃度から水温から細かなデータを下に、太いもやしを作り上げていくその栽培法を確立した技術屋さんには脱帽しますし敬意を払っています。ただしです。普通では絶対あのような形のもやしになりません。
だからこそより自然な成長と味を重視して育ったありのままのもやしが「こんなのはもやしじゃない」…つまり「こういうもやしは間違っている」と簡単に否定されると私は強い憤りを覚えます。ありのままが違うということは飯塚商店の存在そのものの否定になるのです。
「ありのまま」を否定したらじゃあ何が正しいのか?
緑豆太もやしが「見た目」、「歩留まり」で優位ならば、私は「ありのまま」の素晴らしさをとことん伝えたくなります。食べる人に選択の幅を持たせるのは間違ったことではないでしょう。
ただしこれまでの経験で作り手である「もやし屋」がもやしの魅力を発信することに限界を感じていました。そこで作り手ではない、異業種の方の得意分野でもやしの発信のお願いをするわけです 。作り手では思いつかない斬新な方法を考えてくれます。もやし屋が伝えきれないその先のもやしを表現してくれるわけです。
もっとももやしを伝えるのは誰でもいいわけではなく
「飯塚商店のもやしの魅力をきちんと理解してくれている異業種の方」
限定です。当然普段から自分に付き合いのある人が中心になります。(一生懸命やってくれますし、コストも抑えてくれます)
飯塚商店であれば、
知り合いのイラストレーター(もやしの絵本)や
漫画家(豆魂社長奮闘記)、
教育者(漫画原作、もやしキットマニュアル作成)、
料理好きの友人(もやしカフェ)
といった方々です。特にもやしの絵本を描いてくれたイラストレーターのことなさんは、もやしの絵本完成の際に馴染みの新聞記者さんに連絡、私が初めて新聞で紹介されるきっかけをつくってくださいました。
さらに当たり前のことですが、もやしは「食べ物」です。もやしの魅力がダイレクトに伝えられるのは「もやしを食べる場所」であり、そうなると飲食店や食品加工業者とのコラボが最も効果的です。
渋谷での「もやしカフェ」を皮切りに、
地元の居酒屋「雷文」で、熊谷銘菓の五家寶職人と組んだり、
地元イタリア料理店との奇跡のコラボや、
地元カフェでのもやしカフェ開催、
…といった共同イベントの数々は話題を呼びましたし、ここで生まれた数々のもやし料理はそのまま飯塚商店のもやしレシピとして、お客様に伝える貴重な財産になったわけです。これらのイベントにどれだけの出費があったかというと、私は食材としてのもやしを提供するだけ。飲食店はきちんとお客様から料理代を戴いての、イベントですから大きな赤字にもならず、大体は売上げでまかなえています。そして人気飲食店主が考案したレシピはそのまま残る。料理研究科に特別にレシピを作ってもらうとしたらいくらかかるでしょう?
「もやしの更なる日持ち」…というもやし屋が常に抱える命題に対しては、薬品による滅菌処理ではなく、深谷に元々ある伝統的な野菜の保存技術産業、つまり深谷のまじめな漬物屋さんに正しく日持ちのするもやし、
「もやしの漬物」
を作っていただきました。私と漬物屋さんを繋いでくれたのが深谷市の産学官連携事業を担当する商工振興課の職員。その人の計らいで「もやしの漬物」は深谷市長の定例記者会見の席で発表となり、いくつもの新聞に取り上げていただきました。
この新たな商品開発におけるコストですが、もやし屋は出来たもやしを市内の漬物屋に運んだだけ、漬物屋はいつものように漬けただけ、でほとんど負担はありませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・
…地方の小さなもやし生産業、深谷のもやし屋こと飯塚商店がもやしの低価格競争に敗れ大きな取引先を失い、どん底の危機的状況から
「自分の信じてきたもやしの発信」
をコストをかけず無理のないありとあらゆる手法で続けてきた結果、飯塚商店のもやしは、
「安さ」
「見た目」
だけでない
さらに
「単なる美味しさ」
をも越えた「飯塚商店ブランド」が確立されたと実感をしています。もっとも最初からそれを目的にしたわけではありません。ただただ伝え続けた、その結果です。
知名度があがってから…、もちろんまだまだかつての取引量とは比べ物になりませんが、多くの、今までまったく接点のなかったお客様から問い合わせをいただき、少しずつ着実に取引も増えています。
そして…これは重要なことだと思いますが、新しいお客様の誰一人として
「高いからもっと安くしろ」
とは言わないのです。今近づくお客様は
「飯塚商店を理解したうえで」
こられるお客様だけなのです。
「もやしの価格はどれくらい?あ、そう。送料もかかるでしょ?いくら?そう。わかりました。それでお願いします」
…実際にこんな感じで話が進むのです。
しっかりと覚悟を決めて、よく考えて、自分が正しいと信じるものを伝え続ける…その結果生まれた「深谷のもやし屋ブランド」が飯塚商店を『低価格の呪縛』から解き放ってくれたわけなのです。
私、深谷のもやし屋はともかく「私の信じるもやしの発信」に貪欲です。1980年代に完成された「緑豆太もやし」がもやしの主流になりつつある中、どんどん創業者である父と私が正しいと信じて作ってきたもやしが否定されていく…。緑豆太もやしを全否定するつもりはありませんし、大掛かりな設備を導入に踏み切るもやし屋さん、さらにエチレンの濃度から水温から細かなデータを下に、太いもやしを作り上げていくその栽培法を確立した技術屋さんには脱帽しますし敬意を払っています。ただしです。普通では絶対あのような形のもやしになりません。
だからこそより自然な成長と味を重視して育ったありのままのもやしが「こんなのはもやしじゃない」…つまり「こういうもやしは間違っている」と簡単に否定されると私は強い憤りを覚えます。ありのままが違うということは飯塚商店の存在そのものの否定になるのです。
「ありのまま」を否定したらじゃあ何が正しいのか?
緑豆太もやしが「見た目」、「歩留まり」で優位ならば、私は「ありのまま」の素晴らしさをとことん伝えたくなります。食べる人に選択の幅を持たせるのは間違ったことではないでしょう。
ただしこれまでの経験で作り手である「もやし屋」がもやしの魅力を発信することに限界を感じていました。そこで作り手ではない、異業種の方の得意分野でもやしの発信のお願いをするわけです 。作り手では思いつかない斬新な方法を考えてくれます。もやし屋が伝えきれないその先のもやしを表現してくれるわけです。
もっとももやしを伝えるのは誰でもいいわけではなく
「飯塚商店のもやしの魅力をきちんと理解してくれている異業種の方」
限定です。当然普段から自分に付き合いのある人が中心になります。(一生懸命やってくれますし、コストも抑えてくれます)
飯塚商店であれば、
知り合いのイラストレーター(もやしの絵本)や
漫画家(豆魂社長奮闘記)、
教育者(漫画原作、もやしキットマニュアル作成)、
料理好きの友人(もやしカフェ)
といった方々です。特にもやしの絵本を描いてくれたイラストレーターのことなさんは、もやしの絵本完成の際に馴染みの新聞記者さんに連絡、私が初めて新聞で紹介されるきっかけをつくってくださいました。
さらに当たり前のことですが、もやしは「食べ物」です。もやしの魅力がダイレクトに伝えられるのは「もやしを食べる場所」であり、そうなると飲食店や食品加工業者とのコラボが最も効果的です。
渋谷での「もやしカフェ」を皮切りに、
地元の居酒屋「雷文」で、熊谷銘菓の五家寶職人と組んだり、
地元イタリア料理店との奇跡のコラボや、
地元カフェでのもやしカフェ開催、
…といった共同イベントの数々は話題を呼びましたし、ここで生まれた数々のもやし料理はそのまま飯塚商店のもやしレシピとして、お客様に伝える貴重な財産になったわけです。これらのイベントにどれだけの出費があったかというと、私は食材としてのもやしを提供するだけ。飲食店はきちんとお客様から料理代を戴いての、イベントですから大きな赤字にもならず、大体は売上げでまかなえています。そして人気飲食店主が考案したレシピはそのまま残る。料理研究科に特別にレシピを作ってもらうとしたらいくらかかるでしょう?
「もやしの更なる日持ち」…というもやし屋が常に抱える命題に対しては、薬品による滅菌処理ではなく、深谷に元々ある伝統的な野菜の保存技術産業、つまり深谷のまじめな漬物屋さんに正しく日持ちのするもやし、
「もやしの漬物」
を作っていただきました。私と漬物屋さんを繋いでくれたのが深谷市の産学官連携事業を担当する商工振興課の職員。その人の計らいで「もやしの漬物」は深谷市長の定例記者会見の席で発表となり、いくつもの新聞に取り上げていただきました。
この新たな商品開発におけるコストですが、もやし屋は出来たもやしを市内の漬物屋に運んだだけ、漬物屋はいつものように漬けただけ、でほとんど負担はありませんでした。
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…地方の小さなもやし生産業、深谷のもやし屋こと飯塚商店がもやしの低価格競争に敗れ大きな取引先を失い、どん底の危機的状況から
「自分の信じてきたもやしの発信」
をコストをかけず無理のないありとあらゆる手法で続けてきた結果、飯塚商店のもやしは、
「安さ」
「見た目」
だけでない
さらに
「単なる美味しさ」
をも越えた「飯塚商店ブランド」が確立されたと実感をしています。もっとも最初からそれを目的にしたわけではありません。ただただ伝え続けた、その結果です。
知名度があがってから…、もちろんまだまだかつての取引量とは比べ物になりませんが、多くの、今までまったく接点のなかったお客様から問い合わせをいただき、少しずつ着実に取引も増えています。
そして…これは重要なことだと思いますが、新しいお客様の誰一人として
「高いからもっと安くしろ」
とは言わないのです。今近づくお客様は
「飯塚商店を理解したうえで」
こられるお客様だけなのです。
「もやしの価格はどれくらい?あ、そう。送料もかかるでしょ?いくら?そう。わかりました。それでお願いします」
…実際にこんな感じで話が進むのです。
しっかりと覚悟を決めて、よく考えて、自分が正しいと信じるものを伝え続ける…その結果生まれた「深谷のもやし屋ブランド」が飯塚商店を『低価格の呪縛』から解き放ってくれたわけなのです。