6月21日(火)、三重県立相可高等学校の生産経済科の2限目の授業は深谷のもやし屋である私の『もやし講座』になりました。40名の生徒を相手に、もやしについて、もやし屋に必要な能力について語ってきました。そして『深谷のもやし屋』について自らの想いをぶつけてみました。


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まぼろしの「もやし」求めて・・・


「上が現在主流の太もやし。下が飯塚商店のもやしです。形状の違いがお分かりでしょうか。太もやしは白い部分=胚軸の直径が太く、ずんぐりとした印象。根も豆もついていません。飯塚商店のそれは細く長く根っこも豆もついたままです。太くて根の無いもやしが現在主流と言いましたが、それはほんの25~30年前からのことで、その前までは飯塚商店のような細いもやしが普通にどこでも見られました。これは種の品種の違いによるものではありません。そしてこれが肝心な部分ですが、皆様がご自身でもやしを栽培したら100%、私どもの形に近いものになります」


「もやしが太くなり根が無いのは、植物成長抑制ホルモン、『エチレン(C2H4)』を人為的に効率よく栽培室に混ぜて育て、さらに収穫時に『根きり機械』を通すことで根を切断した結果です。」


「このもやしが主流となった理由ですが、まず売り手にとって『白い部分が多いので見た目が良い』『根が短いので鮮度劣化がわかりにくい=店持ちがする』と好評であり、もやし屋にとっても『差別化して高く売れる』『(細いもやしに比べ)歩留まりがよい』という理由でこのもやしに切り替えた結果、主流になったわけです。」


「今ではこれが必然の形に思えますが、一つ抜けている部分があります。この姿形の移行に際して、


食べる人の意思は反映されていたかどうか


です。味に関しては確実に薄くなりました。人為的に太らせて育て、カットして出荷することに食べる人は納得をしていたのでしょうか。」


「飯塚商店は自然の形から外れる、味が落ちるという観点から太もやし栽培を拒絶した理由はここにあります。作り手にとって不自然な形、味を食べる人に簡単にお出しするわけにはいかなかったのです。儲かる儲からないの話しではなかったのです。もやし屋としてその道を進まなかったのです。いつだったか・・・・1980年代後半でしょうか。私はその当時話題になったこの緑豆太もやしを買ってきて、先代社長・・・・つまり自分の父に見せたことがあります。その時の会話は今でもよく覚えています。


『オヤジ、今はこういうもやしが出ているんだぜ』


そう言って私は太もやしを見せ、少し食べてみました。そして父はこう言いました。


『これはウチじゃ出せない・・・』


・・・飯塚商店の方向性はここで決まりました。以来世の中がどんどん太いもやしに変わっていっても、飯塚商店は自分の信じる細くて根っこの長いもやしを作り続け・・・その結果としてお客様はどんどん去っていったのです。自分たちは『お客だってどっちが美味いかいつかはわかってくれる』と思っていましたが、現実はそんなことにはならず、お客様が減るだけでなく、しまいには『こんなのはもやしじゃない』とまで言われるようになりました」


「こんな状況になってよくわかったのは、いくら自分らが正しいと信じていてもそれを伝える努力をしなければダメだということです。私はもやしを伝えるためにあらゆることをやってきました。店頭に立ったり、HPやブログを立ち上げもやしについて話したり、絵本をつくったり・・・・すると不思議なことに新聞やテレビが注目をし、取材にくるようになりました。そして記者やディレクターがウチのもやしを食べていくと『これは美味い』と響いてくれるわけです。そして記事や番組の食材にもしばしば扱われるようになりました」


「今では地元の多くの人の理解、協力を得られて飯塚商店はやってます。私の住む深谷市は日本経済の基盤を築いた渋沢栄一という偉人を輩出しています。渋沢栄一の立派だったことは、沢山会社を作っただけでなくそこに『道徳と経済』を結びつけたことです。飯塚商店ももやしを作って売るもやし屋でありますが、そのもやしが儲かるかどうかでなく、正しいかどうかでもやし屋をやりました。極力自然の力で育つもやしを作り手として正しいと信じ、それが食べる人のためと考え、その道を選んだわけです。深谷のもやし屋はこういうもやし屋なんです」


「まだまだウチは儲からないもやし屋でありますが、みなさんにはこれから


自分の信じていることを貫き通す覚悟、そしてそれを伝えていく努力


を持ってほしいと思います」


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 思い出しながら書いているので正確ではありませんが、たぶんこんな内容の話であったと思います。その後、質疑応答の時間を戴きました。おとなしく話を聞いていた生徒が3~4人ほど手を挙げてくれました。


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生徒:

「もやしの病気って、どんどん広がっちゃうんですか?」


「広がります。最初は小さくてもそれがどんどん大きくなってしまうんです。だから早く異常を察知することが大事なんです」


生徒:

「もやしって一日にどのくらい売れるんですか?」


「そうですね。ウチの栽培容器だったら約10万円。なぜ10万ていう数字がすぐ出たかというと、ちょっと前にあるテレビ番組のディレクターから、栽培容器の中で育つもやしに何か重いものを乗せて、それが持ち上がる映像を撮りたい、というお話をいただいたんです。でも自分は食べるもやしの上にピアノだかなんだかしらないけど、そういうものを乗せるのはいやだし、そのもやしを商品として出すわけにもいかないし、もやしが無駄になるから出来ない、と言ったんです。するとディレクターは、こちらでもやしを買い取った場合いくらになるでしょうか?と聞くので、その時に計算して10万位かな、と。ただお金の問題ではない、と私は言いましたけどね」


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 私の話が終わり席に戻った時、相可高校生産経済科主任のH先生が


『生産者としての強い想いを持ち続ける大切さ』


を生徒たちに説き、最後にもう一度生徒たちからの拍手を受け、私は立ち上がって深々と一礼をしました。


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まぼろしの「もやし」求めて・・・


 今、生徒たちから送られてきたこの感想文を読むと、みんな本当によく話を聞いてくれたのだな、と実感します。中にはもやしの絵まできちんと書いてくれた生徒さんもいました。多くの生徒さんが、信じていることを貫く姿勢に感動をしていたようです。


 深谷のもやし屋は経営者としては未熟ですが、食の生産者としての矜持がこれからの人たちに伝わってくれれば幸いと思ってます。もちろんこの矜持を抱いて経営も成り立てばよいことでありますし、私はその形を強く望むわけですが、そこにはやはり『作り手の矜持=食べる人にとっての益=道徳であり、それに基づいた経済活動』という栄一翁の教えを貫くことが肝要です。飯塚商店は常にそうありたいし、そしてそれはこれから仕事に就く若い人たちに是非とも目指してもらいたい道だと思うのです。

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