このたびの地震は東北・関東地方に大きな被害を及ぼしました。

 溢れんばかりの悲惨なニュースの中に、宮城県第二の市である石巻市が被災されたことも含まれています。

 石巻市・・・・3年前に家族で初めて訪れ、楽しい思い出や考えされらることもあって、とても深く私の心に焼きつき、そのころ熱中していたmixiの日記に書き記しておきました。

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『2008年 仙台への旅 (3) 宮城第二の市 石巻にて・・』

2008年 4月6日(日)

午後1時前:

 松島湾遊覧後、宮城県第二の市と言われている石巻市を訪れるため、小走りで松島海岸駅へ向かう。いきなり「それ走れ。急げ」と急かされている子供たちには何のことかさっぱり分からないだろうから、長男には

「仮面ライダー博物館へ行くぞ」

と言ってモチベーションを高まらせる。もちろんウソではない。

 ゼェゼェ言いながら何とか駅に到着、ホームには割と人が多くいたので、

「ああ。松島の後は石巻へ行くのが一般的なルートなのだな」

と、思っていたらその大部分の人たちは、仙台へ帰る列車に乗り込んでしまった。反対に石巻行きに乗った乗客は私たちほか数名だ。
 
 仙石線で松島から石巻までの所要時間は約40分。95%貸切状態の電車は未知の世界へと突き進み、私達は車窓からの見慣れない海沿いの景色の変化を楽しんだり、足を伸ばしてガイドブックを開き、石巻市についての情報を調べる・・。
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 『石巻市』・・・宮城県内第二の人口を有する市。旧北上川の河口に位置し、古くから水産業が盛んで寿司店が多い港町。漫画家、「石ノ森章太郎」が高校時代に映画を観るため石巻市に通った縁で、彼の協力で平成7年からマンガの特性を活かした夢のある街づくり(マンガタウン)を推進。その中心となる施設、石ノ森萬画記念館が平成13年に開館し、話題になっている。

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 つまり石ノ森キャラを使って町興しと言うわけか。「サイボーグ009」「仮面ライダー」「ゴレンジャー」「ロボコン」「怪傑ズバット」などなど、私が子供の頃は随分と楽しませてもらった石ノ森作品。今でもLDで保有している作品もあれば、時々DVDで借りてきて子供たちと鑑賞している。妻はチンプンカンプンだと思うが、ここは我慢してもらって私と子供たちで楽しめるかもしれないな。

 午後2時。終点の石巻駅に到着。ホームにはマンガタウンの地図、いきなり仮面ライダーのモニュメントがあって長男は喜ぶ。
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 改札を抜けて駅を出る。・・・・ん?妙に閑散としているぞ。まず快晴の日曜の午後なのに、明らかな観光客は我々の他はいない。時間が少しずれたのだろうか。とりあえず地図を確認して、市街地を抜けて萬画館へと辿る道、「石巻マンガロード」を進んでみる。ガイドブックによるとこの「マンガロード」ところどころに石ノ森キャラが設置されていると言う。距離は1kmとのことだ。

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 ここはマンガロードの始発点とも言える立町商店街の通り・・・驚いた。ご覧の通り誰も人がいない。車の通りも少ない・・・。
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立町通りのロボコン
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ことぶき通りにあった、これはロボコンベンチという。
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ポストの上で立つミニュチュアの仮面ライダー。
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「さるとびエッちゃん」・・ああ、これも石ノ森作品だったか。しかしこれを知っている若い世代はどのくらいいるのか・・・。
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旧北上川を渡る橋の先に見えるは目的の「石ノ森萬画館」。
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 正確には川の中州にある中瀬公園に位置していた。この未来的な造形。どこかでみたことがある。「サイボーグ009」のドルフィン号がモチーフか。ここまで来ても人が少ない。
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 館内の通路。無料ゾーンと有料ゾーンとに分かれていて、有料ゾーンは撮影禁止となっていた。写真は撮らなかったが、入り口受付、有料ゾーン受付にいた003のコスチュームを身に纏ったスタッフの女性がみな美人で家族連れでなければしばらく話をしたことだろう。

 有料ゾーンでは様々な石ノ森作品のキャラの展示物がある。しかし・・・これらどう考えても30代以上の男性を狙っているとしか思えない。どこまで今の子供たちに響くのだろうか。何故か特設コーナーではアンパンマンの作者「やなせたかし展」が開催されていた。
 
 私が観る分には楽しいのだが、やや全体的に大人向けのマニア的な印象があり、さすがにしばらく観てた長男も飽きてくる。石ノ森という昭和を代表する漫画家ゆえ、平成の若い家族にはインパクトが足らないのか・・・・。
 
 一通り見学して、階下に行くと入り口付近から「アンパンマン体操」の曲が流れてくる。003のお姉さんがアンパンマンキャラのマスカットと館内の子供たち(20人くらいか)の前で、踊っていた。石ノ森とアンパンマンのコラボ、シュールな光景だ。その踊りを眺めながら私達は外に出る。

 正面口の上にあるからくり時計。午後3時になるとからくりが作動して石ノ森キャラが現れる。眺めてた観客はほぼ30名。

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 やや消化不良だったのか、子供たちは近くの公園でしばし遊び発散する。そういえば昼飯を食べてなかった。石巻では寿司をウリにしているというので、丁度ガイドブックで紹介されていた老舗の寿司店「寶来(ほうらい)寿司」へ向かう。本の説明によると「石巻一番の繁華街に店を構える」・・とある。

 そして、その一番の繁華街はこのような状況だ・・・。これは一体どうしたことなのか。街はしっかりとしている。建物もそれほど古いとは思えないし、電柱はなく、歩道やらインフラもしっかりと整備されているようだ・・・しかし・・・

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『人がいない・・・』

 店が並んでいてもそれは店の建物だけで、大半はシャッターが下りているか、空き店舗となっている。まるでちょっと前まで栄えた街が、突然何かの理由で捨てられたような印象がある。目的の「寶来寿司」は電話で確認をとってあったので営業中だった。この通りで数少ない営業中の店の一つだ。

 店に入る。時間も午後4時前ということもあり、当然客は私たち家族のみ。カウンター中のご主人が「いらっしゃい」と声をかける。座敷席の一角に陣取ると、温かそうな奥さんが茶と水を運んでくる。私達はメニューの中からお薦めの地魚主体のちらし寿司(金華ランチ1575円)を。子供たちにはかっぱ巻き、納豆巻きをもらう。

 これが金華ランチ。海なし県育ちの私は魚には疎いが、見るからに新鮮そうなネタが散らばっている。見慣れぬものとしては、白魚、鯨だ。
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 そしてその味は、実に納得の行くものであった。洗練・・・とは違うがいかにも地元に構える良心的な寿司店といった印象。当然魚は香りも味も爽やかで美味い。特に鯨の旨さが印象に残る。酢飯がウチのほうの米と違って、さらっとした感じがあり、もしかしたらこれがササニシキ(聞いてはいないが)の特徴なのかもしれない。子供達が食べる巻き物も美味しいようだ。パクパクと胃袋に収めている。私達もあっという間に平らげ、折角なので単品でいくつか握ってもらうことにする。

かに味噌寿司としゃこ。
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かに味噌は生臭くなく口当たりが滑らか。しゃこはやはり新鮮なのか、ウチのほうで食べるそれとは天地の差があり、かにとえびを合わせた様な独特の味わいに唸る。そしてこのしゃこには頭の部分が添えられていたのだが、カウンターの向こうからご主人が

「そのしゃこの脚の肉が美味しいんですよ。身は少ないけど啜ってみてください」

と薦めてくる。早速細い身を口に咥えて啜ると、なるほど、ほのかに甘い肉と爽やかな潮の香りが楽しめる。思わず、

「おお。美味しいですね」

と、ご主人に話す。すっかりこの店を気に入った私達は、今晩の夜食用にと「アナゴの押し寿司」を二つ注文する。

 この寂しい石巻の街で、思いがけず素敵な経験を味わうことになった。会計時、ご主人と少し話をする。

「この漁港でのお薦めって何ですか?」

「うーん。ここはこれっといったものより、いろんなものがちょこちょこっと捕れるんですよね」

・・・と、一見の観光客の私に実に商売っけ抜きの率直な言葉。良いご主人だと、私に好印象を与える。お調子者の長男が、奥さんに調子に乗って話す・・

「美味しかったよっ。ボク、ここに住みたいーっ」

奥さんはにこにこしながら、長男にこう返す・・

「あらぁ。じゃあ宮城県に一人増えるわね・・・」

 何気なく奥様が発したこの言葉に、この石巻で働く人たち、いや宮城県が抱えている問題が集約されている気がしたのは、考えすぎだろうか。
この石巻の商店街に漂う悲壮さは、将来のこの国の地方の姿と断じるのは早計だろうか。

 胃袋の満足感と、心の空虚感を抱えて、人のいない商店街を通って駅に向かう。誰もいない歩道に据えられたスピーカーから流れる最新のポップスが痛々しい。

駅前の003(の人形)と。
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 この後、仙台駅に戻りお土産を買い、新幹線を乗り継ぎ、午後9時過ぎに無理なく帰宅。子供たちはすぐ寝てしまった。私達は夜食用に買ったあなご寿司の折を開き、
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 山椒の利いたさらりと美味しいアナゴ寿司を頬張りながら、石巻とあの優しい寿司店夫婦を思い浮かべる。また石巻に行くことがあるだろうか・・・あの時代に取り残された寂しい街に。そのような動機が生まれるかどうかも分からないが、再び味わえないかもしれないこの寿司を、今は全感覚を使って受け止めることにする。

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・・・今はあの情緒豊かな仙石線も寸断されました。
寂しいけど残っている人たちで頑張っていた石巻市。

希望でもあったマンガでの町興し。その象徴であった『石ノ森漫画館』はどうなったでしょうか。

腹をすかせて飛び込んだ街の寿司屋、『寶来寿司』。あの温かさ、居心地のよさ、寿司の美味さは今も忘れられません。

もう一度、仙石線に乗って街を訪れたいです。

街をぶらつき、そして家族で美味しい寿司を頬張りたいです。