「11月に開かれる深谷市産業祭のことで飯塚さんにお話が・・・」
今月の初め、深谷市役所産業振興部の二人の若い職員が私を訪ねて、まずこう切り出してきました。
深谷市で毎年行われている『産業祭』には、今流行のB級グルメの先走りとなるご当地麺料理対決『N-1グランプリ』が開催され、さらに物販エリアでは地元商店、農業組合がテントの中にお店を出して、目玉商品や地元野菜を売り、N-1や買い物目的で来場する大変多くの人でにぎわいます。
そんな産業祭のことで話がある・・・
私は最初、この二人の職員が
『是非とも飯塚商店さんも産業祭に参加して“もやしを売ってほしい”』
と依頼してくるのかと思いました。そしてもしそうだったら、
『そんなのは断る』
と返答するつもりでした。
あの数万人が来場するという雑踏の中、もやしを安く置けばそれは売れるのかもしれません。しかしそれはたかが20円代のもやしが“そのときだけ”たくさん売れるに過ぎません。もやしを買ったお客も“そのときだけ”の繋がりでしかないのです。
現に過去産業祭を訪れた自分も、そういった気持ちで列に並んで煮ぼうとうを食べ、ついでにお祭り気分で何か安いものを買ってました。そこに誰がいたのか、どんな店だったのかなんてまるで記憶に残っていません。無理して混雑している場所など行かずとも今はネットで何でも買える時代、なのでここ数年はほとんど深谷市産業祭は行かなくなりました。
仮に私が店を出したとしてもです、準備から閉店までの二日間(産業祭期間)、出店時に大変な労力が伴うでしょうが、その労働に見合うものがまったく感じられません。だから出店の要請だったら断ろうと思ったのです。
ところが今回出会った二人の若手職員、F君とY君は
「産業祭会場において、『深谷市で頑張る産業(商業)、それに携わる人たちの思いを伝える場所を作りたい。それに協力をお願いしたい』」
・・・と、まったく私の予想外の思いを語ってくれました。そうなると“伝えるもやし屋”飯塚商店は、
「わかりました。協力しましょう」
と二つ返事で協力することになるわけです(笑)。
現在飯塚商店は、最近はメディアの露出も多々ありますが、経営的には非常に苦しい状況が続いています。こうなった理由は明白です。いくら自分の作るものに自信があったとしても、それを身近で食べる人に伝える努力をしなければ家族経営の会社など大量生産を旨とする大手企業が仕掛ける広報活動、低価格攻撃の前にあっという間に販路を次々と奪われ、そして廃業の道を辿るしかなくなる・・・・それが飯塚商店が、先代社長である父と、私が骨身にしみて味わったことなのです。
『私たち小規模生産者はあらゆる手段を講じて、自ら作り出すものを伝えなければならない。』
昨年、危機的状況の中からその方向性を見出し、信じるがままにあらゆる方法で伝えてきた飯塚商店。地元行政がその場を提供しましょう、というのなら断る理由などありません。この産業祭という箱の中で、飯塚商店は今まで培ってきた伝えるべきものをすべて伝えていきます。
この二人の職員の産業祭に対する熱い試みは、
『産学官アカデミー ゆめ☆たまご』
という看板を掲げて始動しました。そこには飯塚商店だけでなく、市内で熱い思いを持って事業を展開する方々が参加し、さらに地元大学 も協力体制を敷いています。
たまごは温めてやらないと雛が生まれません。たまごが何かを生み出すには熱が必要なのです。
『ゆめ☆たまご』には今、深谷市の産、学、官の情熱によって暖められています。そこから生まれるものは具体的に何か・・・・現段階ではまだわかりませんが・・・・・・いや、ただ一つなんとなく見えているのは、それは一時的な「祭」とは別物の、
『次に繋がる希望』
が生まれるのではないかと思うのです。