かっこつけた言い方ですが、誰もが正義を求めているのだと思います。問題は世の中に同じ人が一人としていないように、正義の解釈も多種多様であるということです。私たちは何かをよりどころにして自分の正義を貫こうとしますが、そのよりどころにする“何か”の選択一つで大きく変わってくるということです。
これだけ情報が氾濫している現代では、「食の正義」の解釈だけでも無限にあり、食の提供者である私もときにはその情報に踊らされ、自分の中の正義の方向性が掴みにくくなることがあります。
そんな時ふと、アンデルセン童話の
『はだかの王さま』
の話を思い出します。我が家には
『アンデルセン童話全集』
があり、その一刊に「はだかの王さま(原題:王さまのあたらしいふく)」が掲載されてます。これは妻が子供のときに、両親から買ってもらったものを、実家から持ち帰って、今はわが娘の愛読書となっているものです。昔の本なので原典に近いのかもしれません。
ときどき読み直して(子供達に読み聞かせも兼ねて)、なるほどこれはすごい物語だと感心します。
みなさまよくご存知だと思いますが、一応要約します。
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むかし、新しい服が大好きな王さまがいた。
毎日つぎつぎと服を着替えているので忙しく、お目にかかりたい人がやってきても、着替えがあきるまで待たせていた。
ある日、その町に二人のペテン師(今で言う詐欺師)が現れた。彼らは住処に持ってきた機織り機をすえつけ、
「まだだれも見た事がない、すばらしい布を織る職人がやってきた」
と町中にいいふらした。そして
『この布は、バカな者や、役目に相応しくない者には見えない』
と、付け加えた。
その噂はすぐに王様の耳に届いた。そしてペテン師に、その布で服を作るように言いつけた。
そしてペテン師は、その布を織るには
「たくさんの金と上等な絹が必要」
と申し出た。王様は、
美しい服ができるうえに、家来の中の馬鹿者を見分けることが出来る・・・・ということで、そのペテン師の申し出を聞き入れ、たくさんのお金と絹を渡した。
金と絹をもらったペテン師はさっそく仕事を始めた。といってもただ何もない機織り機を動かしているだけだった。誰もが何も織っていないと思ったが、
「(織物が見えない)あいつはばかものだ」
といわれるのを恐れて、何も言えなかった。ペテン師たちはそれから何度も城へ行っては
「お金と絹がなくなった」
と言って、王さまからもらっていた。さすがに不安になった王さまは信頼のおける大臣に、そのペテン師たちの仕事を見に行かせた。
大臣がペテン師のところへ行くと、ペテン師たちは何もない機織り台を指差して、
「どうぞよくごらんください。この色の調子などなんともいえぬ素晴らしさでしょう」
と話した。大臣はもちろん何も見えなかったのだが、
「こんなことがあるものか。わたしがばかだというのか。役目に向いてないというのか。布が見えないことが人に知られたら大変だ」
と思い、つい見える振りをしてペテン師たちの言うことを全て鵜呑みにして王さまに報告をした。
それを聞いた王さまは、
「この大臣をつかいにやってよかった」
と満足した。
その後また不安になった王さまはある役人に服を見に行くよう命じた。
役人がペテン師を訪れたが当然何も見えない。ペテン師は役人に
「まあお手にとってごらんなさい。こんなにうつくしく素晴らしい布をお手に取ることが出来るのは王さまの家来だけです」
と言うと、役人も
「見えないことが知られたら大変」
だと思って、「わかったわかった」と言って帰った。
今度はいよいよ王さまが家来を連れてペテン師のところへ服を見に行った。
「王さま、いかがでございます。この布の、素晴らしい様子は」
とペテン師が指差した仕立て台の上にあるはずの布は、もちろん王さまにも見えなかった。だが、
「これはどうしたことだ。大臣に見えていてこのわしに見えないとは。わしが王さまに相応しくないというのか。わしがバカだというのか。こんなことが家来に知られたら大変だ」
と思って、つい
「うん。実に見事じゃ。よくやったぞ」
とペテン師を褒めてしまう。周りの家来も見えなかったが、王さまが感心している服が見えないといったら城から追い出されてしまうと恐れて、みな口々に布を褒めた。
そして王さまの行列の日、王さまは新しい服を着たつもりで、実は下着のままで家来を連れて町中を行進した。
しかし行列を見ていた1人の子供が
「あっ。王さまがはだかであるいている!」
と叫んでしまう。それを聞いた町の人は、
「王さまは、はだかだ」
「王さまは何も着ていない」
とささやきだし、その声はさざなみのように広がっていった。
その声は行進している王さまの耳にも届き、
『自分は本当は何も着ていないのではないか・・・』
と思ってきたのだが、行列の最中だし、
王さまというのは、いつどこでもどうどうとしていなければならない、
と思い、そのまま一段と胸を張って行進を続けた。
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という話です。
自分の欲望にあわせるため、または自分の立場を守るために、目の前の事実ですら蓋をして、都合の良いように解釈してしまう『はだかの王さま』は今でもいたるところにいそうです。
食に関しても同様で、味に比べてあまりにも高すぎる酒、料理を出されて、給仕が
「貴重な食材を・・・」
とか
「カリスマ生産者が・・・」
とか、
「三ツ星レストランで働いていたシェフが・・」
と肩書きを並べて高い料金を請求したり、
または、食に関わるコンサルタントなどで
「これからを食を提供するにははこういう基準に沿わないと信用されません」
とか
「これからは、このような設備がないとダメです」
などと言って基本的に身近で分かり易くあるべき食の価値を過大評価させたり、食の生産コストをつりあげるのはほとんどこの物語のペテン師と同じだと思うのです。そして何も疑わずにそれらの文言を信じて、言いなりにお金を出し続ける人は「はだかの王さま」でしょう。
私は素直な気持ちで「王さまははだかだ」と看破した少年を見習いたいし、食の提供者としてありのままが何も見えない「はだかの王さま」にならぬよう日々自戒せねばならない、と思うのです。