2月26日付、朝日新聞朝刊の生活面で掲載された、もやしの記事、
「原料高騰 モヤシに荒波」
は、そのセンセーショナルなタイトルとはうらはらに、それぞれの立場の意見を載せるバランスのよさと、もやしの深さを垣間見せた、大変優れた記事でありました。
昨日のブログ に引き続き、この記事から印象的な部分を抜き出して、私の感想・意見を添えてみます。
▼・・・栃木県日光市、富士食品工業日光工場は東京ドームの2倍以上もある広い敷地に立つ。
▼・・・ここでは(富士食品工業)年中無休で1日120トンのモヤシを生産する。「全国で作られるモヤシの約1割です(高橋社長談)」。袋(250g)に換算すると、48万袋になる。
▼・・・コンピューター制御でモヤシを育てる・・・(中略)・・・(モヤシを)コンテナから出した後、モヤシはコンベアーで運ばれ、ひげ根を切って水洗いし、種子の殻を除いて袋に詰める。これも自動化されている。
・・・富士食品工業様はモヤシ最大手の一つです。以前新島に訪れた時、島の小さなストアに富士食品様の「分福もやし」が並べられてるのを見て、その普及範囲に驚きました。富士食品様の規模、生産量は同じ関東圏内の私ども小さなもやし屋から見れば気の遠くなるほどです。私は工場見学はしていませんが、取材をされた大村記者は最新のモヤシ工場を過不足なく伝えています。今、モヤシはコンピューター制御で管理できるのですね。すごい時代になりました。
▼・・以前は町ごとに小さなモヤシ生産業者がいたが、スーパーが増え、冷蔵流通が発達した結果、業者の数は減り、全国で200社程度、大手業者の生産割合が増えた。
・・・モヤシ生産業者の数は非常に曖昧で、25年ほど前の資料だと600社とあり、私が一昨年別の業者に聞いた時は「100社ぐらいではないか」と聞き、正確な数字がなかなか分かりません。ただ確実に言えるのが、スーパーの発展、そしてスーパー同士の競争の激化と共に、スーパーと取引が叶わなかった、または取引を断られてしまった多くの小規模生産者が廃業を余儀なくされている、ということです。この数年で私が知っているもやし屋さんも5軒廃業されてます。
大量生産、大量供給の利く大手業者が、モヤシの需要を賄うという形になりつつありますが、その結果として日持ちのしない生鮮野菜として産地が近くなければいけないもやしの鉄則が崩れてしまった事実は否めません。
私はしばしば考えます。地産地消が成り立たなくなってしまった現在のもやし事情。
この形を一体誰が望んでいたのだろうか・・・と。
もともと生産者が少ないもやしほど地元に密着して、作り手の顔が見える野菜はなかったのです。昔から、もやしの袋の裏を見れば、きちんと産地と生産者が明記してあります。なにかクレームがあれば、そこに書かれている電話番号に電話をかければ確実に「生産者と話ができた」のです。
考えてみてください。お店で買った野菜が皮をむいたら中が溶けていたり、切ってみたらスカスカだったりしたとき、すぐにその野菜の生産者に苦情を伝えることができるでしょうか。とりあえずはお店の店員に話し、そのお店はその野菜を仕入れた市場、もしくは生産者組合に苦情を申し立て、次は市場、生産者組合がその野菜の生産者を特定して、お客様の苦情を伝える・・・・なんとも手間と時間がかかり、不確実なトレーサビリティになります。
トレーサビリティなんて言葉が出来る前から、実は地元に納める町のもやし屋さんだったら大概の確実な説明が可能であったのです。そして町のもやし屋さんも、自分の納めているもやしがどこに行っているか把握ができていました。それが地元密着型のもやし屋の矜持でもあったのです。
ただし現在はどうなのでしょう。モヤシ業界は大手のモヤシ生産業者に集約傾向にあり、大手業者は記事にあるように1日に数十万袋のモヤシを生産し、かつては小さなもやし屋さんが納めていた分までを賄っているのが実情です。それが資本主義の常識である、と言えますが、食のあり方から見れば、私はそこの住民にとって近かったモヤシが遠くなってしまうことが起こす弊害を懸念してしまうのです。
