6日に「地産マルシェ阿佐ヶ谷店 」で実践した「作り手によるもやしの試食会」、ここで初めての試みをしました。
それは・・・
「もやしの出汁」
がどこまで響くかどうかの挑戦でした。
もやしの蒸し焼きに使っていたホットプレートにブラックマッペもやしをどさっといれ、水(お店で購入したミネラルウォーターを使いました)をいれて、少しグツグツと煮て、その煮汁を味わっていただこうというものです。
一般的に「味がない」と認識されているもやしから、どれほどの出汁がでるか。
私ならもやしの出汁の鼻に抜けるような爽やかですっきりとした風味、飲んだ後、いつまでも口腔に残る後味などはよく分かっています。しかし正直言うと一般の、それも「味のないもやし」に慣れてしまったお客様にどこまで響くか不安でありました。
なので最初は
「ともかく誰が飲んでも『美味いっ』と思わせなければ・・・」
と焦り、このイベントにむけて、妻と数日間、もやしの出汁にどんな味付けをしたらよいか試しに試しました。もやしの出汁を研究された、さくら様のブログ を参考にし、とろ昆布と醤油を使って。しかしどうしてもお客様に美味しいと言わせねばならないと思いこむと、味をわかりやすくしようと濃い目になってしまうのです・・・。
そしてこれといった黄金の比率が見つからず、「お客様の反応を見て味をつくる」ことにして、本番に臨んだのです。
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そして6日の午後3時から始めた試食会、午後5時を過ぎ、あたりもくらくなって外の寒さがさらに増した頃を見計らって、試食を「もやしの出汁」に切り替えました。お客様は温かいものが飲みたくなるだろうとの計算です。
「もやしのスープです(スープと表現したほうがわかりやすいと思いました)。いかがでしょうか」
一口サイズの紙コップに、トロ昆布を少し入れて、だし汁を注ぎ、少しだけ醤油で味付けしたものをお出ししました。
あるお客様に勧めた時です。お客様、一口啜って、
「昆布の味しかしない・・・」
と呟かれました。
「しまった。味が濃すぎたかな。では・・」、ということで私たちは今度はなにも入れない、もやしの出汁だけをカップに入れて飲んでいただきました。すると、
「もやしの味がする。美味しい」
と、仰ってくれました。私と妻はハッと気付きました。そう。自分が信じているもやしの味になんの余計な味付けも必要なかったのではないか、ということに。お客様すべてに響くかどうかはわからないけど、まずは「ありのまま」を出すことが大事なのではないか・・・そう感じたのです。それからこの出汁には一切の味付けもせず、お客様に勧めていきました。
魚介や、肉の分かりやすい出汁と違って、非常に淡いもやしの出汁でしたが、買い物中、足を止めて味見してくれたお客様はみな一様に「美味しい」「もやしだ。」と感想を伝えてくれました。
私たち食の作り手、食の提供者は、これまで食の消費者(私を含めて)の味覚を過小評価していたのかもしれません。
「こんな味じゃわからない、美味しいと言ってもらえるはずがない」
「味が分からないのだから安いほうが喜ぶに決まっている」
と、ハナからお客様の価値観を決め付けていたのかもしれないのです。ところがそんな心配は杞憂だったのです。こちらが提供する前から一部の嗜好だけを善しとして提供する必要などなにもなかったのです。
もやし屋の私たちは、普段接しているもやしのありのままの味に自信があるなら、「なにもくわえずそのまま」を伝えればよかったのです。それが美味しいかどうか、曇りの無い味かどうかは、私たちが押し付けるものではありません。食べる人が判断すればよいのです。
本当に大きな勘違いをしていました。試食のため店頭に立っても、
「私たちはあくまでももやしを作り提供するもやし屋であること」を。販売目的のマネキンさんでも、料理研究家でもないのです。
試食させるもやしから、余計なものを引いていけば最後に残るのは「ありのままのもやし」だけです。もやし屋の私たちにはそれを無理に美味しくさせたり、きれいにさせたりする足し算はいらなかったのです。もちろん聞かれればお薦めの食べかた、保存法など食材に近い作り手としての提案はできますが、基本足し算の伝え方は料理人や研究家にお任せすべきだと気付いたこの日の試食会でした。