先週、新聞社の取材を受けました。
取材というよりはもやしを知ろうとする記者の方に対して、私のもやし観を思うがままに気持ちよく語っただけの楽しいおしゃべり会の様相になってしまいました。取材後、記者を深谷駅までお送りしてからの帰り道、ふと
「あれ?そういえば何か質問をされたっけ?」
と思い返してしまいました。もしかしたらずっと私だけが話しっぱなしでまとまりのない取材になってしまったかもしれません・・・・。ああそうそう。こんな質問をされたことを思い出しました。たしか、
「このような活動をしてきた動機は?」
だったような気がします。そして私の答えは、
「昨年の1月に野菜ソムリエさん達と会って、野菜を伝える必要性を感じた・・・」
そんなようだったと思います。確かに野菜ソムリエという資格を持った方々の存在は
「野菜を伝える人が必要とされている時代になっていること」
を気付かせてくれました。そして私がそう答えることは、非常に分かり易くきれいな答えだと思います。
・・・しかしです・・・
現在自分があらゆる手段でもやしを伝え、批判や失望されること覚悟でもやしのありのままを語り、自発的に店頭に立ってお客様に向かいあおうとする活力は、なにか理屈を越えた本能的な強い感情からきている気がするのです。
その強い感情が決壊寸前のダムのように蓄積されていたことが真の動機であり、野菜ソムリエさんとの邂逅は、そのバルブを開くきっかけであった気がします。
自分を突き動かすその強い感情は、なんなのでしょうか。実は自分でもよく分からないのです。ただ、なんとなく・・・・自分が生まれてからずっと触れてきたもやしの姿、香り、味・・・・最も信じていたものが今は追いやられている、そんな焦りと(表現はよくないですが)憤りがあるからかもしれません。
