21日に行われた地元の幼稚園、明戸幼稚園児による“もやしの収穫体験 ”の翌日(22日)の朝のことです。
私自身、私のもやし会社に来た幼稚園児が、もやしを見て、触れて、収穫して、食べたあと、
「あの子達、もやしに対してどのように響いたのだろうか、実はまったく響いてなかったのだろうか。家に帰ったらすっかり忘れてしまったのだろうか」
とずっと気になっていました。
そして翌日の朝食時(つまり昨日の朝ですが)、妻の携帯電話がメール受信の為に震えました。そのメールを見た妻が私に話します。
「○○ちゃん(昨日着てくれた園児の1人)ちのお母さんから。昨日はお世話になりましたって。○○ちゃんは家に帰ってからすごく興奮していたんだって。そしてもやしとても美味しくてありがとう、だって。」
「そうか。それは良かったな」
私もほっとして言いました。もっとも妻とその母親は友人でもあるので、社交辞令かもしれないと思いました。
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朝飯を済ませた後、私は今朝洗ったもやし(ブラックマッペもやし、緑豆もやし共に1kgずつ)を明戸幼稚園に届けにいきました。というのは前日子供達と一緒に来た園長が帰り間際、
「明日、子供達にもやし料理を私が作って食べさせてやりたい」
と話していたので、それに使うもやしを届けに行ったのです。
駐車場に車を止めて、もやしを持って園庭を横切って職員室へ向かう時です。
なんと園庭で遊んでいた園児達が私に気付いてみんな走って近づいて、私はすっかり囲まれてしまったのです。
一緒に担任の先生もやってきて、前日のお礼を言いました。私は担任の先生に、「このもやしを園長に届けに来たんです」と伝え、職員室へ向かおうとすると、
一緒に園児たちまでついてきてしまいました。両手の塞がっている私を気遣って、ドアを開けてくれた園児もいました。これではまるでハーメルンの笛吹き男 です(笑)。
私はここで確信しました。園児たちにとって、私と過ごした「もやしの体験」は本当に刺激的で楽しかったのだろうと。子供達は言葉を使いません。でも私のことを
「昨日楽しいことをしてくれたおじさん」
だと認識しているのでしょう。
私は幸せでした。楽しさにありきたりな言葉などまったく必要ないのです。子供達の素直な行動がすべてを物語っているのです。もやしが美味しいのではなく、
「もやしが楽しかった」
から、こうしてもやしを作るおじさんのところへ近づいてきたのでしょう。
微笑みながら私を囲む園児たちを通して、前日に彼らが家に帰ってから、親とどんな会話をしたのか、何となく分かるのです。
朝、妻に届いた親からのお礼のメールはその表れに過ぎないのでしょう。
食への近づき方、食の正しい表現は多々あるでしょうが、食を通した幸せとは、この園児たちの姿なのだろうと、私は幸福感と共に学びました。