昨日(14日)、私は所用で都内へ出向きその用事を済ませた後、その夜はかつてお世話になった「野菜と食の発言者」であり、もやしに対しても理解の深いS様と六本木の老舗中華料理店「K」で夕食をとることになりました。
そこで私は一つのサプライズを思いつきました。お店の社長の許可を得た上で、早めに来店し当日の朝に洗ったばかりの「手洗いブラックマッペもやし 」を持ち込み、「よろしくおねがいします」とお店に渡しました。そう。S様には是非ともプロの料理人の手にかかる私の作ったブラックマッペもやし料理を食べていただこうと思ったのです。それがもやし屋である私の出来る最大のもてなしであるはずです。
ややあって女性給仕の方が、
「あのもやしをどう扱えばいいのでしょうか?シェフに話してもらえますか」
と私を厨房近くまで案内しました。そこで私はもやしを前にしたシェフに、
「さっと炒めて。味付けは軽く塩・胡椒で。あと干しえびを使ってください」
とおねがいしました。そして再び席に戻るとき一番大事なことを思い出して、伝えました。
「ああ、そうそう。(もやしの)根は決して取らないようにお願いします」
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S様がいらしたので、早速給仕の方に「あのもやしを・・」と、頼みました。
私たちがキリンビールで喉を潤している間に、私にとっては馴染みのある力強くも爽やかな香りが漂ってきたので、ああ、あの皿だな気付き、そしてそのもやし料理が私達のテーブルに運ばれてきました。S様もすぐ「いい香り」と反応し、このもやし料理を一目見るなりもやしの正体に気付きました。
「K特製 (手洗い)ブラックマッペもやしの炒め物」です。本当はもっと沢山盛られていましたが、写真撮る前につい食べてしまいました(笑)。
この細長く根がついたままのもやしが、都内の老舗中華料理店の一皿になることは滅多にないはずです。
さすが長年愛され続けてきた名店「K」です。素人には絶対に出来ない、見事なもやし炒め料理でした。もやしの歯ごたえをしっかり残した火の通り具合、絶妙な塩加減、そして干しエビのまろやかな風味と旨味がブラックマッペもやしの青くて強い個性を活かしながら調和しています。
私たちはそのもやし料理の心地よい頬張り感を楽しみ、そして根のついたもやしをするするっとパスタのようにすすり食べたS様が呟きました。
「こうやって食べると、ほとんど根のことは気にならないですよね・・・」
・・・確かにその通りなのです。いつ頃から食べる人がもやしの根を忌み嫌うようになり、もやし屋もその根はジャマだとみなすようになったのでしょうか。いつ頃からもやしは食べやすさ・シャキシャキ感という表現に代表される「食感重視」に傾倒したのでしょうか。
もやしに最も近いもやし屋の私は断言します。
「根を取ったもやしは間違いなく味が落ちます」
「もし根を取ったもやしであったら、今回の料理の旨味は半減するはずです」
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私たちもやし屋が無理に余計な手間をかけずとも、もやしは自らの成長力で育ち、野菜として豊かな味を備えます。もちろん食べる人の好みは多様です。ただ、
食感重視の食が選択できることも大切ですが、「野菜本来の味」という最優先されるべき選択肢が非常に少なくなっている現在のもやし事情はいったいどうしたことでしょうか。
もやしを食べる人、売る人、そして作る人であるもやし屋ですら
大きな呪縛に囚われている
・・・そんな感があります。私はもやし屋の立場から、愛するもやしを縛り付けている鎖をひとつひとつ断ち切っていきたいのです。

