誤った向上心は食べ物をダメにする


 これはある「等身大の食の幸せを描いた漫画 」に出てきたセリフですが、まさに至言ではないでしょうか。


 食の提供を生業とする人は、とかく他との差別化を目指して提供する食に手を加えて行きます。その行為を職人として語れば「向上心」ともいえるし、企業論理で語れば「経営努力」ともいえるでしょう。前向きな行いといえますが、一つ引っかかることがあります。


「その向上心が食を活かしているかどうか」


です。私を含む食材生産者は特にその食材を活かす方向に向上せねばならないと思うのです。食材を活かす、というのはその食材の命に敬意を払い大切に扱うことです。その行いが鮮烈な味と高い栄養価を伴う正しい食となって、食べる人の命の糧となる、と私は信じてます。


 食の提供者の向上心(経営努力)が自分だけの利益を優先して、食を活かせない、命に敬意を払えないようでは、それはダメな食を提供することになるでしょう。その被害は結果的に食べる人に及ぼします。もっとはっきりと言わせていただければ、人の命の糧を提供する食の提供者は市場のニーズ(目先の損得)だけで動いてはいけないのだと思うのです。


 食とは違いますが、かつて人間の身勝手なニーズの下で人間の前頭葉を切除する手術がもてはやされ、のちに大きな問題を引き起こしました。それでも当時は容認され、施術した医師にはノーベル生理・医学賞を与えられた 、とのことです。


 命を知り、命を扱う私たち食の提供者は、自らの利益追求を「ニーズがあるから」「経営努力だ」との建前で包み、安易にあるべき方向性を間違えてはいけないのです。誤った向上心にとりつかれた者は、後に取り返しのつかない事態になっても、「あの時はそう信じていた」としか言えないでしょう。しかしそれではいけないのです。


「誤った向上心は食べ物も、人もダメにする」


のだと思います。


 不景気といわれつつも、まだまだ巷に食べ物は溢れています。私たちそれらの食べ物の供し手が、どこを向いているか、その向上心は誤っていないかをよく吟味し、納得の上で食を選ぶべきなのだと思います。



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ちょっと生意気な内容になってしまいました。
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