今、もやし屋の眼を通して「食育」についての違和感を書き綴っていますが、実は以前、ある新聞記事から衝撃を受けたことがあります。
その記事のタイトルは
「食育」は国や企業に踊らされている
というものです。それを言い放ったのは、家政学の視野から食の豊かさを研究しているという河合知子という方で、今年の5月30日付の朝日新聞に掲載されていました。
そしてこの河合さんが語る「食育」という言葉への不満は、これは私が以前から感じていた「食育」という言葉の胡散臭さ・・・その本質を見事に言い切っていたと思ったのです。
ここで食のあり方を伝えんとする河合知子さんのご意見を紹介しつつ、合間にもやし生産者の立場として私の意見も挟んでおきます。
まず河合さんは「国を挙げての食育」という食育基本法の理念そのものに苦言を呈します。
「・・・『食』は衣食住の中でも1番他人の目に触れにくい、家族単位でする行為です。それについて、国民運動と称してお上が旗を振ることに、危うさを感じます」
と。
・・・・それはそうなのでしょう。それだけ現在食生活が乱れている、食がないがしろにされてきている、という背景があり、それはもっと個人単位で、家族のあり方から考え直すべきで、国がどうこう指図することでもないこと。国が動くということはそれだけ「予算が配分される」ということなので、その甘い蜜を求めて多くの営利目的の輩が「食育」という単語を錦の御旗にして飛びついてくるのは目に見えています。
この特集が素晴らしいのは、聞き手が懐疑的に河合さんに突っ込むところです。聞き手はBSE問題や食品偽装といった食の安全を揺るがされている今だからこそ、国の旗振りは必要では?と聞きますが、河合さんは
「それは見当違いだ」
と、軽くいなして
「食の安全は国の責任であり、食育とは別のこと」
と言い切ります。そして次の言葉が私の胸を打ちました。
「お金がある人もない人も、食への関心が高くても低くても、誰もが安全なものを食べられるようにするのが、国の役目です」
・・・まったくそのとおりです。「国産は高いのが当たり前だから、納得しろ」というのは簡単ですが、国はその先の理想を追い求めねばなりません。その理想を実現させるためにどうしたらいいかを考えるべきなのです。河合さんは提言します。
「変えるべきは経済や生産、流通のしくみ」
だと。もっともなご意見だと思います。
ただ・・・私は生産者の立場で言わせてもらうと、それには
『消費者の強い要望』
が不可欠です。現在消費者の強いニーズなしでは何も変えることが出来ないと実感しています。
続いて、いよいよ『食育』に対して河合さんの辛らつな言葉が飛び出します。
「(食育を)食品業界や外食産業は自社の宣伝に利用しています。食育とうたえば予算がついて、人が集まり、物が売れる。食育ビジネスは大はやりなのです。ブームに紛れ、特定の食品を目の敵にしたり勧めたりするダイエット法や食事療法、科学的根拠のない言説も幅をきかせています」
・・・もう、これだけ言われればぐうの音も出ないというか、よくぞ食育のメッキを剥がしてくれたというか・・・そんな気持ちになりました。私が不快なのは、このようにビジネスに食育を利用とする輩ほど、食に敬意を払っていないということです。そうして今はそういう輩が提供する食が大きな流れを作っています。だからもっと根源的な食育の普及が進まないのではないでしょうか。
そして農家の暮らしを向上させる生活改良普及員もされている河合さんは非常に気になる発言をされています。
「(農家の)収入増を考えることも普及員の仕事だが、農家自身の食卓を充実させる方が大切」
だと。良いものを作って市場や、農協に出してそれで終わり、が今までの農家の営みです。河合さんは「農家にも食生活の豊かさを知ってもらいたい」と考えています。
河合さんはオブラートに包んでますが、私も勇気を持ってはっきりと言いましょう。
「食を提供するものだからこそ、『豊かな食』を知るべき」
ということでしょう。
「食の知識」と「豊かな食」は全く別物です。
これからは食を提供するものは、ただ自分の作るものだけでなく、それに「豊かさ」を提供、もしくは伝えねばならないのだと思うのです。では「豊かな食」を提供するにはどうすべきか・・・そうなると今までと全く違った食の価値観が出てくるはずです。
最後に河合さんはこう締めます。
「もし食育ブームで、関心を持つ人がいるなら、食の多様さ、豊かさにこそ目を向けてほしい。そして経済的に余裕がなくても、自分の頭で考えて、食べることを大切にできる、力のある生活者が増えてくれたらと思っています」
これは食育という国の政策というものから一歩進んで、私達自らが食のあり方を見つめ、力を持つべきだ、という強いメッセージであると私は受け取りました。
今回の記事の河合さんのお言葉を一つ一つを噛み締めるごとに、私の中で『食育』のメッキが一枚一枚剥がれて行く・・・・・そんな気持ちになったのです。
こちらがその記事です。↓
http://www2.plala.or.jp/kskikaku/asahi20090530.pdf