どんな事象にも表裏があります。


 もやしで言えば、私はもやしに極めて近いもやし屋なので、比較的もやしの表裏は見えているものだと思っています。これがもやしに対して見る人の距離が開けば開くほど、もやしの表裏が際立ってくるものではないでしょうか。


 たとえばもやし栽培に不可欠な「エチレン処理 」などというのは、もやし生産者にとっては裏も表も無くただ当たり前のことなのですが、意識的にもやしと遠い人から見れば、もやしの影の部分、つまり裏側と感じられるかもしれません。


 もっとももやしは基本的に土や肥料、農薬を使わない、豆の養分と水だけで育つとても単純な野菜なので、食材の中でも比較的裏表が少ない範疇に入るかもしれません。


 昔から工場生産で成り立っていた、もやしは他の野菜とは一線を引かれている扱いになっていますが、もやしと野菜は常に持ちつ持たれつの関係 にありましたし、私も野菜を提供する立場である以上、ある程度は他の野菜に近づき、少しでも自分の見えていない「野菜の裏側」を学ぶようにしています。


 さて、ここに一冊の本があります。以前このブログでも紹介 しました現役の施肥技術指導員でおられます、松下一郎氏の著書、「野菜畑のウラ側 」です。野菜に肥料を施す専門家である松下氏のフィルタを通した野菜の話は、私にとってまさしく「野菜の裏側」といえるもので目からウロコが落ちたようになりました。本の中で「ウラ側」は沢山ありますが、そのうちのいくつかを私の意見も交えて紹介します。


●曲がったキュウリについて


 私は真っ直ぐなキュウリも曲がったものも、基本的に味が変わらず、見た目だけで等級分けさせられているものだと思っていました。特に露地物は曲がって当たり前だと。まったくくだらない規格にはめ込んでいるなと。ところが松下氏の見解は違います。


「キュウリはもともとの姿・形は『まっすぐに』設計されているものです。それがどこで作られていようがまっすぐな野菜はまっすぐです」


そしてまっすぐになるべくキュウリが曲がっている原因ですが、


「生育後半のキュウリの樹が疲れてきた場合の栄養不足か、栄養のかたよりが原因」


と指摘しています。そしてこういったキュウリは「一概にはいえないが」と前置きをして、


「カリウム不足」


であり、なるべく食べないよう勧めています。その他にも、キャベツ、トマト、白菜などの見た目での判断を

していて、その基本となることは、


「野菜が本来そうあるべき形にならなかったり、そうなるべき色にならないのは何か異常が起きている」


というものです。


 ・・・なるほど、と思いました。私はもやし屋として自然に成長したもやしの形は知っていますし、それを基準と考えて、そうなるようにもやしを栽培しています。毎日野菜の生長を見ている松下氏は、野菜の形の基準ができているのでしょう。


 蛇足ですが白菜の根の近くによくある黒いゴマのようなつぶつぶ。それは白菜がチッソを過剰に吸収したときに起きる「ハクサイゴマ病」という生理障害だそうです。決して「当たり前の自然なもの」ではなかったということです。


●朝どり野菜は体にいい?


 よくスーパーでは「朝採り野菜」という看板の野菜が並んでいます。瑞々しそうなレタスはその代表格でしょうか。生産者も市場に間に合わせるため深夜から収穫しているとも聞きます。野菜に近い松下氏はその朝採りの野菜にも苦言を呈しています。


「植物は太陽をさんさんと浴びて二酸化炭素を吸収し、葉から酸素を出しています。(中略)やがて太陽が沈むと、今度は窒素を吸収して二酸化炭素を出します。これが夜の植物の生態です」


「夜のうちに体に一杯吸収した『硝酸態窒素』という形に変わって植物の体内に蓄積されます。太陽の光を浴びると今度はそれを体外に排出します」


 そして問題はこの『硝酸態窒素』が人間には良くない、発がん性が疑われていたり体調不良の原因とされている、と松下氏は言います。


 つまり夜が明けきらない、太陽の光を一杯浴びる前に収穫された野菜の体内には『硝酸態窒素』が充満した状態なのだそうです。松下氏は、太陽の光を十分に浴びたあとの「昼採り野菜」が一番良い、としています。


・・・・いかがでしょうか。ウラを知るどころか、価値観がひっくり返されたようで、驚かれた人も多いのではないでしょうか。この本はそんなお話が続出します。私はまず、松下氏はとても覚悟のあることをされていると思いました。覚悟を決めたオセロゲームです。オセロは、



「コマを裏返すと、今まで表にあったものがウラ側になってしまいます。」


 この本による野菜のウラ側を知らせること・・・それは、かつての表の世界を信じ、そこをよりどころ(生活の糧)にしていた人にとってこれほど迷惑なことはありません。野菜の情報として正しいか正しくないかは別として、既得権益が奪われるような危機感を覚えることでしょう。


 ただし私たち食を消費するものは、食の両面、白い面も黒い面も知っておかねば、正しい食の付き合いができません。私個人としては、松下氏の主張されることは


「野菜に近い人が、野菜の本質を基準として述べていること」


で、見過ごすことのできないものに感じられるのです。


まぼろしの「もやし」求めて・・・
ついつい長くなりました(汗)。すみません。懲りずにクリックお願いします。