もやしという野菜が、工業製品の如く誤解されたまま一般的な常識となることの危機感が、「もやしの絵本 」作成の原動力でありました。その絵本が初めて埼玉新聞 において公に知らされた時、最初に絵本についての問い合わせが来たのは、普段もやしを購入しているお客様ではなく、


なんと隣町の『寄居町立図書館』  の館長からでした。館長の最初の言葉は


「もやしの絵本を新聞記事で知りました。そしてHPから絵本を見ました。もしよろしければ私どもの図書館で展示したいのですが・・」


といった内容だったと思います。私は


「ありがとうございます。・・・ただまだあの絵本はネットだけの公開となっていまして・・・きちんとした絵本として作るのは未定なんです」


と答えますと、


「いえいえ。HPからプリントアウトしたものを展示したいのです。そのお許しいただければ、ということなのです」


とおっしゃってくれました。


 嬉しかった私はもちろん「どうぞどうぞ」と許可をしました。もやしばかり作っていた私が初めて手がけた絵本、図書館からこのような形でお話があったことに感激をしました。そして絵本が完成したとき、私は真っ先にこの寄居町立図書館へ寄贈するために訪れました。その時見たのは、入り口近くに並べられていた、


図書館員の方がHPからプリントアウトして作った手作りのもやしの絵本


でした。これまた手作りの表紙には貸し出しのバーコードまで貼られていました。・・・私は涙が出そうになりました。


 この寄居町立図書館は、ここのHPを見ていただければお分かりのようにとても志の高い優れた図書館です。特に子供用の図書の充実には目を見張ります。その図書館が「もやしの絵本」を認めてくれて、展示・貸し出しされていること、私にとって大きな誇りであり希望となっています。


 9月にいただいた寄居図書館様からの一本の電話は、「もやしの絵本」の活かし方を示してくれました。そしてできる限り地元の学校に絵本を寄贈してみようと決意したのです。

 絵本を描いたイラストレーターのことなさんも、この意志に賛同してくれました。彼女は地元、熊谷市、そして深谷市の図書館や教育委員会にこの話を持ち込み、熊谷市内の4つの図書館と、全91校ある熊谷・深谷の幼・小・中学校に配布が決まりました。同時に私も寄居町の教育委員会を訪れ、町内の9つの小・中学校に寄贈しました。


 もやしの絵本が「食育の教材」というにはおこがましいと思います。私もことなさんもそんなだいそれた気持ちで作ったものではありません。ただ


「もやしを知ってもらいたかった」


だけなのです。原画展でも協力してもらった友人の教育者、小林真


「(なんでも)知ることが教育なんだ」


と言い切りました。なるほど・・・と思いました。絵本を通じて「知らせようとする」その試みがすでに教育的だったのでしょう。もやし屋が自分の育てているもやしを伝えること、それが教育的価値があるとして、各方面に響いたのかもしれません。


 昨年までもやしを普通に作って、そのもやしを沢山売ることしか考えていなかった私は何か常に違和感に包まれていました。自分の進もうとする方向ともやしの伸びる方向がずれているような・・・・そんな違和感です。


 それが今年になって、しばしば店頭でお客様と話したり、絵本を作ったり、それを学校に配ったり、漫画を掲載したり、ブログでもやしのありのままを書き綴ったりしています。それももやしの発芽熱にも似た内から湧き出る強いエネルギーに支えられて。今ももやしを取り巻く環境は厳しい状況ですが、そういった活動そのものはまるで精神的な負担にはなっていないのです。むしろまだまだ伝えねばならないことが、発芽寸前の豆のようにふつふつと浮かび上がってきて、それが自分の気力にもつながっています。その流れがあまりにも自然なので私は疲れないのです。


 もやしは自らの成長の為に、根をどんどんと伸ばし、広げて、必要なものをすべて吸収して、それをエネルギーとしてさらに上へ上へと伸びて行きます。もやし屋の私が現在行っていることは、すべてもやしの生き様そのもののように感じられるのです。


まぼろしの「もやし」求めて・・・

後半は発芽熱のように熱くなってしまいました・・(汗)。申し訳ありません。
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