これまではあえてもやしについての本を読むことはほとんどありませんでした。というのは最近よく見られるもやしを特集した本には、様々なレシピはともかく、もやしのあり方、味、多様性といった、私の興味を引く情報がなかったからです。
が、ここにきて多くの人と語る機会が増えたことをきっかけに、理論武装する必要性を感じて地元の図書館で「もやし」を検索してみたところ、一つ、今から28年前の、つまり1981年に発行された
「もやしの本」
というのが閉架にあって、さっそく出してもらって借りました。なんとこの本の著者は菜食主義者であるペール・セルマン、ギッタ・セルマンさんというスェーデン人の夫妻と、食文学を研究されていた山梨幹子さんという日本人女性の共同であり、そしてさらに私を驚かせたのは、28年前にして
『もやしのあり方、味の違い、多種にわたるもやしの紹介、今後の展望』
といった、今私が最も重視したい、もやしのことをすでに述べていたのです。
現在巷に溢れているあるもやしの本、もやしの情報より遥かに幅広く奥深く、愛情深く、もやしを語っているのです。今回はもやし屋が認めるすぐれたもやし本である、
「もやしの本」
から印象深い記述を紹介しつつ、私の意見も挟んでみます。
☆もやしとは・・・?
「ダイズやムギなどの粒を水に浸し、暗所で発芽させたものや、ミツバやウドなどのように日光を遮って栽培し、軟白(なんぱく)した植物をさします」
・・・・もうこの時点で現在のもやしの定義よりもはるかに幅が広いです。まさかミツバやウドがでてくるとは(笑)。ホワイトアスパラもアスパラにとっては迷惑かもしれませんが、「もやし」の範疇かもしれませんね(笑)。
実際食べられればどんな種、豆でもいいのだと思います。今は緑豆、ブラックマッペ、ダイズがもやしの原料の如く紹介されますが、もやしとはそんな狭義の野菜ではないのです。この本によると昔の日本では
「米を水につけて芽が出たものを乾燥させたり、水にさらしたりして食べる習慣があった」
「ダイコン、シソ、ウドなども発芽させ、もやしとして、煮物や酢の物、料理のつまなどにつかっていた」
と書かれています。米、ウドのもやし・・・・まったく思いもつきませんでした。
「地方によって、特色のあるもやしの食べかたやつくり方があったようですが、今日の食卓ではみられなくなりました」
・・・・・「もやしの地域性 」については以前もこのブログでお話しました。昔はさらに地方色が豊かであったのでしょう。その土地の風土に根付いたつくり方、味、食べかたの違い・・・・考えただけでも楽しそうです。どうしてその楽しさが廃れてしまったのでしょうか・・・・。
「現在のようなもやしは、明治時代以降、中華料理の普及とともに、ダイズもやしと緑豆もやしが一般化しました。現在(1981年)では、ダイズや緑豆のコストが高くなったため、ビルマ(現ミャンマー)やタイで栽培されているブラックマッペのもやしが、もやし生産高の90%以上を占めています」
・・・・これも新発見でした。もともとは緑豆もやしが一般的だったとは・・です。私どもが提供している一部のブラックマッペもやしのパッケージには、枕詞に「昔ながらの~」と謳ってありますが、実は緑豆の方がもっと「昔ながらの」でした。もっとも緑豆(中国産)のほうが、日本人にとっては馴染み深い豆であったはずです。春雨の原料としても有名ですから。一方ブラックマッペは日本ではもやし以外の使い方をしません。ただ・・・明治時代の緑豆もやしと、現在の緑豆太もやしは全くの別物と断言できます。
そしてこの時代ではブラックマッペのシェアが90%以上と書いてあります。この頃、もやし屋以外にはブラックマッペ、緑豆の違いを語れる人は皆無でした。その点でも、この著者は非常にもやしを愛し、近づいている方だと思うのです。
「もやしは他の野菜の代用に使われたり、かさがあるので料理の量を増やすために用いられたり、どうしても必要なものという意識に欠ける野菜です」
まさしく私が以前書いた
「たかがもやし 」
の感覚を持っておられてます。現在でしたらさらに、
不景気の中、お客の注目を惹くためにとことん安く叩ける安易な野菜
という表現も加わりそうです。もちろんもやしを真から愛するこの著者は、ここで終わっていません。されど・・・・と続けます。
「もやしの栄養素は基本的な人類の栄養源」
として欧米で注目されていることを挙げ、それというのも
「もやしのもつ特性が、人間の食糧として価値があるからです」
「自然食愛好者がもやしを高く評価しはじめました」
ともやし屋の私も聞いてて照れてしまうような賛辞が並びます。もっとも28年前の賛辞ですが・・・・。
「現代のようなインスタント食品や化学調味料があふれ、野菜も化学肥料や農薬に汚染されて、八方ふさがりの状態の中で、水だけで栽培できるもやしが脚光を浴びるのも当然のことでしょう」
・・・・・・さて、この言葉から28年が過ぎました。現在においてこの方の言う理想の食べ物がどのくらいあるでしょうか。何も変わっていない・・・むしろ食をめぐる環境は悪化しているのでは、と思いませんか。
これは今の言葉ではなく、28年前というのが、そこまで期待されていたもやしを作るものの1人として、複雑な思いになります。私はこの方の期待にこたえられるようなもやし屋であったでしょうか。もやし屋には、他の農産物を作る生産者とは違う使命があったはずなのです。その使命が、多くの買う人の要求と異なっていても、貫かねばならぬ使命であったはずです。
今まで私たちは何をやっていたのでしょう。
私は、どこまでできるかわかりませんが、この28年前に導かれていた理想を心に焼きつけ、少しずつ実現に近づいていきたいです。