目で確認しなくても、もやしの見えない部分の状態・異常を把握する術を書いてきました。
ここまでは
1.「匂いで見抜く」
2.「(もやしの発する)熱を感じる」
でした。そして次が一応最後になりますが、まとめの意味も込めまして、
『違和感を信じる』
ということです。
ムロの中に立ち込める些細ではあるが「異質な匂い」「異質な熱」というのは、通常の状態と比べ、その時自分が違和感を覚えるから限定できることです。普段毎日見ているからこそ、普段と違う些細な変化でも異質なものとして感覚が反応する。もやし屋としての自分の“違和感”を信じることが大事です。
もう一つ例を挙げてみます。下の写真はもやしの表面だけを見た場合ですが、通常でしたら栽培容器のもやしの表面はこのような状態です。
多少の起伏はありますが、凸凹が少ないのはこの栽培容器に種子を移し替えたときに、人間が丁寧に平に均すからです。そしてこのもやしの下の部分に何らかの異常がある場合は、この表面もところどころに凹んだ部分が出てきます。普通の人ではちょっと気付ぬ程度の表面の凹みですが、もやしを毎日見ているもやし屋だとその変化はすぐ気がつきます。
私はもやし屋の視点でこの違和感を語りましたが、これは食べ物を含む生き物を扱う全ての業種にもいえることだと思うのです。
「毎日自分が関わっているからこそ自信を持って判る異質なもの
“違和感”は作り手がリスクを回避するためにもっとも必要な感覚」
だと思います。
・・・・さてここまでもやし屋の視点で「見えないものから異常を察知」する術を書いてきました。
書きながら私はふと思いました。
「私たちが普段目にしている食品は、実は何も見えていない食品と同じなのではないか」
と。店先に並んでいるきれいに包装された肉、魚、野菜、加工食品はありのまま見えている気がします。しかし私たちはそれらの食品がどのような行程で、どんな人が関わってここまで辿り着いているのか、全く判りません。私たちが見ているそれらの食品は栽培容器の表面に見えるもやしと同じなのだと思います。
食は私たちの命の糧となるものです。何か納得するものがなければそう安々と体内に入れるべきではありません。では「表示」という書いてある情報を信じて納得したらよいのでしょうか。私は表示を読むよりもっと大事な基準があると信じています。それが、もやしを育てながら危険を回避してきた、“違和感を信じる”ことだったのです。
違和感を信じる能力は、常に食べるものに真摯に関わってなければ身につきません。難しいことだと思うでしょうか?いいえ、
私はとても簡単なことだと思っています。なぜなら、
「私たちは生まれてから今までずっと食に関わってきたのですし、これからも食に関わらねば生きていけません。私はもやしに関わってきましたが、その他の食にはそれよりもずっと長い時間、体内に取り入れて関わってきています。私たちが食に対して違和感が持てるくらいに関わる時間は、今までだって、そしてこれからずっと確保されているのです。」
私たちが自らの命を守るために食に関わる時間は永遠にあります。
