前回の記事では、「もやしに味がない」とはっきりとコメントしてしまった料理研究家について書きました。今回は「もやしそのものの味」を極限まで引き出した、私が今まで食べたもやし料理の中でも際立って輝く、


『究極のもやし料理』


と断言できる料理と、その料理との出会いについて語ります。


 まずはその『究極のもやし料理』をご覧下さい。



まぼろしの「もやし」求めて・・・



 いかがでしょう。『え?もやしがないじゃないか?』と、思われたことでしょう。私も最初はそう思いました。どう見ても普通のスープです。ところがこれがれっきとした


ブラックマッペもやしの料理


なのです。初めてこのスープを食したときの感動は一生忘れません。


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 この料理の出会いは、ある野菜に詳しい方が、自分の懇意にしているこの都内のフランス料理店のソムリエとシェフに私どものもやしのことを話したことから始まりました。


 その後、その方から、


「その店のシェフが是非とも使ってみたいと言うのでもやしを送ってほしい」


と伝えてきました。地元のラーメン屋さんからはたまに特別な注文はありますが、フランス料理の、それも都内のお店からこういった要望は初めてのことです。私は興味津々で、洗ったばかりのブラックマッペもやしを2kg、指定の日に冷蔵便で送り、その翌日、どんな料理が出るのだろうかと、期待に胸を膨らませて、紹介してくださった方とそのお店に行ったのです。

 

 そして魚のグリルと共に出されたのが、このスープでした。


 済んだ液体を一口啜ると、最初はイノシン酸の旨味の乗った豚肉のエキスが口腔に広がり、食欲を刺激された舌の脇から唾液が滲み出ます・・・・と、ここまでは普通の良く出来たコンソメスープですが、ここからもやしが登場するのです。


 一体どこに隠れていたのでしょうか。豚肉の馥郁たる旨味の隙間から、ふわぁぁっと新鮮なもやしの香りが口の中で吹き上がります。続けてブラックマッペもやしの特徴である、すぅぅぅっと鼻に抜けるような爽やか且つ力強い野菜の味わいが口中で開き、先に染み込んだ肉の旨味に重なり合います。


 私はこの味を何か懐かしいものに感じました。その時は言葉に出来なかったのですが、同席した私のもやしをよく知る方が素晴らしい言葉を残してくれました。


「これは・・もやしの栽培室の香りと同じ」


 ・・・・そうでした。日々成長し続けるもやしの栽培室。そこは味わわずとも、何トンものもやしから発せられる生命の証ともいえる独特の雰囲気が漂っています。またここで食べるもやしほどもやしの味が強いところはありません。よくぞその「栽培室」を100kmも離れたこのお店で再現したものだと、私は感心を通り越して感動してしまいました。


「うわぁ~。美味しい~。これって、もやしなのぉ??」

 私たちがこのスープを頂いてから少々時間を置いて、少し離れた席でこのような感嘆の声が聞こえました。ソムリエからスープの説明を聞いた女性の客が驚いたようでした。
 

 
「実はあちらのお客様はこのブラックマッペもやしを作っている方で・・・・」

と、ここでソムリエは私のほうを向いて、私を紹介しました。

美味しいワインと料理で気持が朗らかになっているその女性は、スープを掲げて

「もやし。美味しいですぅ~!」

と陽気にもやしを褒めてくれた。私は照れながらも軽く挨拶を返し、作り手としての幸福感に包まれました。


 そして気がつくと私と同席している、この店を紹介してくれた方も、感極まったようで泣き出していました。本当は私が最初に涙をこぼすべきだったのですが、ヘンなところで先を越されました。


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 ありのままのもやしを供することが、私の生産者としての到達点です。そしてそれ以上のもやしの可能性を「私は広げることは出来きません」。


 でも「その先にある光」を感じ取った、紹介してくれた方、この店のソムリエ、そしてシェフが繋がり、試行を重ねてこの一杯の究極のもやし料理をつくりあげてくれました。 この黄金色のスープは味だけが輝いているのではありません。もやしの「その先にある光」がスープにさらなる輝きを与えている・・・と、私は感じたのです。

 食後、この店の若いシェフが挨拶に来ました。私は最大限の感謝の言葉を述べると、シェフはこの料理を作り上げるまで苦労したようで、


「本当に悩んで悩んで・・・・」


と語りました。


 私は真摯に向き合うことの大事さを、この一連の流れから、奇蹟のようなこのもやしの料理から学んだような気がしました。


 私は自分の育てるもやしに、もやしの生きる力に大きな敬意を払っています。その食材を前に、やはり大きな敬意をもって接したシェフやソムリエは、もやしをさらに輝かせました。そしてその輝きは「感動」という形で、私を含むそのお店にいたお客様に反映されたのです。

 

 もやしが立派に育つには、自らが成長するに発する熱、「発芽熱」が不可欠です。この発芽熱をいかに活かすかが、良き野菜を育てるべく、もやし屋のなすべきことです。


 そのもやしの「発芽熱」が、生産者の私の「情熱」として伝わり、その「情熱」が必然的に真摯に向き合う方々の情熱に反応して出来上がったのが、究極のもやし料理であり、この感動ではないかと思うのです。