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拝啓四十の君へ

3歳男児の親としても、フリーアナウンサーとしても「こんなん聞いてないし!」と、絶望しては望みを繋ぐ日々です。それでも40歳くらいには戦闘記として懐かしめたら!
子育ては十人十色すぎるので、どこかでどなたかに届く事があればとても嬉しいです。

 今日何度目の溜め息だろうか。転勤も、こどもの新入学もなく穏やかな春だと思っていた矢先に起こったどんでん返し。それが、息子の保育園の先生が大量に退職するということだ。
 このブログにも再三綴ってきたが、息子は「人見知り、敏感、繊細なお子さん選手権」では全国大会を狙えると自負している。入園から丸2年が経っても朝の登園時は泣いて離れない。新しい先生が来ると、慣れるにはそれはそれは時間がかかるタイプである。そんな息子を1歳の入園時から見限らずに守り、育て、間違いなく両親の次に彼が信頼している先生たちが同時に居なくなってしまう。認可外保育所は先生の入れ替わりが多いとは知っていたが、その報告を受けたとき、二の句どころか息を継げなかった。せめて、時期をずらしてはくれないだろうか。一気にお辞めになるのは平らに平らにご容赦ください。と泣いてすがったところで、人様の人生である。
 先生方の温もりに甘えていたのは息子よりも私の方だと痛感する。毎朝、しぶる息子をお菓子で釣って登園させる背徳感。泣き止まないまま抱えて走り、放り投げるように預ける罪悪感。自分の支度だけ済ませて家を出る夫への不満が憎悪に変わろうとするのを歯噛みして堪え、保育園を出ても聞こえてくる「ママがいいー!」という咆哮を背に視界が滲んだ。そんなとき、「いってらっしゃいー!」というソプラノの声がいつも全ての憂鬱をかっさらってくれた。曇天でも大雨でも、そこにだけは必ず照るお日様のような明るさはプロフェッショナルだ。家庭や各々の事情があるにも関わらず、いつだって平和のユートピアを具現化した様は先生方の努力に他ならない。同じ大人のくせに、絶対的な味方を失うような不安に震える自分に苦笑してしまう。
 起こってもいない未来に向かって溜め息をつくのはよろしくない。しかし、分かっちゃいるけど、やめられない。かつて、先輩アナウンサーが言っていたことを思い出す。「『溜め息をつくと幸せが逃げる』とか言うけど、溜め息ついてる間だけは楽じゃない?」
 大きく「はぁ~」と吐き出すと、息子が真似をして笑っている。「ママ、なんでハァーって言ったの?」と聞くので、「ちょっと疲れちゃったから、元気出そうと思って」と返し、我ながら適当で使い古した返答だと思っていると、息子が言う。「ウソついたらさ、ダメなんだよ~。」強がりは見透かされると嘘になるのか、とふいに思う。息子にはまだ何も伝えていない。嘘も溜め息もつき放題の母親を、君は許してくれるだろうか。



春は変化が多く、心が忙しないですね。溜め息をつき飽きたら、思い切り陽気を吸い込もうと思います。ここまで支えて下さった先生方に感謝!