その24 比島戦[11]

もう最後か

そして私は、山中を一人さまよいながら道路沿いの小さい部落についた。傷もだいぶよくなり、歩けるようになっていた。そのうち1人、2人と集まったが、その中に、大隊砲中隊より本部付になったという吉村中尉もいた。当時40歳近くの、色は黒くなっていたが偉丈夫で、優しい人だった。言葉もどうかした時には、さん付けで呼ばれ、一般人臭が抜けていなかった。私にも時々「井上さん」と呼んだ。そして、熊本県小川町出身とだけしか覚えていない。

 

吉村中尉と出会いして間もなく、突然激しい砲、爆撃とともに、猛烈な機銃の射撃音が聞こえた。壕外を見ると、米軍が肉薄していたのだ。しまった、と気づいた時にはすでに遅く、もう3~40mのところに迫っていた。

すぐ戦友に知らせ、壕外に飛び出した。吉村中尉も続いた。途端米軍は私達に気付いたか、猛烈な機銃掃射をあびせ、私たちは咄嗟にくぼ地に伏せた。米軍は大声で何か叫んでいる。私達を発見したらしい。しまった、もう身動きもできない。狭い、浅いくぼ地で二人はかたずをのんで、縮こまった。米軍の攻撃はますます激しくなり、私達周囲に「パン、パチッ」と銃弾が炸裂する。完全に狙われている。照準も当てている。もう絶対絶命、私は言い知れぬ恐怖にさらされた。突然吉村少尉は「井上、どうしよう。飛び出そう。」悲痛な声で言った。私は「危ない」と咄嗟に制止した。「そうかっ」言った直後、ぱっと飛び出し、2~3歩駆けだした途端、「あっ」と倒れ、笹薮に転げ込んだ。やられたなあ、と思う間もなく、パーンと爆発音が聞こえた。吉村中尉は自決されたのだ。

 

それから私は、もういよいよ最後だと覚悟し、敵が近づいてきたら、手榴弾を投げつけようと握りしめた。こうなったらと、半ばやけっぱちになり、かえって落ち着いた。そして、故郷の妻子を思い、さよなら、ともつぶやいた。

 

間もなく、(米軍は)焼き払い戦術に出て、焼夷弾を、民家や、周辺の原に、立て続けに打ち込んだ。近辺は火の海となり、1発は私のすぐそばに落下、煙がもうもうと立ち込め、あたりは全く見えなくなった。その時、私は「今だあ」と咄嗟に直感し、脱兎のごとく飛び出し、小川の藪に飛び込んだ。煙で米軍に見えなかったのだ。ああ、よかった、とほっとして、小川の岩陰に隠れ、身動きもせず、夜を待った。

 

間もなく、楢原兵長も脱出してきた。そして無事を喜び合った。しばらくして、小川の水が真っ赤になって流れてきた。ドキッとしながら、上流で相当な死傷者が出たなあと思いながら夜を待った。

 

旗手の秋山少尉等、戦死したとあとで聞いた。(旗を)腹に強く巻き付けていたそうである。

 

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