いや~、

 

松山市に来て、丸27年が経とうとしています。今が47歳だから20歳の時に松山市に来た事になります。なんか、今みたくこういう引越しとか契約とか考えていると、過去を振り返ってみるタイミングを迎えた気分になります。

 

先日も部屋にある不要物の整理をしていました。そしたらいろんな懐かしい物が出てくる出てくる。しゃんしゃんと進めたいのに、懐かしい物が出てくる度に立ち止まる。思い出に浸る照れ・・・・・我に返るびっくり の繰り返し。終わりゃ~しない。

 

過去の賃貸契約書も出てきた。

 

松山市に来た最初の賃貸マンションを契約したのが27年前の2月だった。高校を卒業して今治市へ就職(旧大西町)造船の仕事を1年半ほどして辞めたんです。そん時は会社の寮に入りました。6畳の和室の部屋。トイレや洗濯機、お風呂は共同。1階の一番奥から2番目の部屋。隣は結構上の先輩だった。休みの日に、よくバーベキューに連れてってもらったな。

 

その後、京都の日吉村という山奥に出稼ぎ。

 

そん時はプレハブ小屋の2階の1室。部屋に鍵も無かったんじゃなかったっけ?和室3畳の狭い部屋。トイレやお風呂は当然共同生活。周りはおっさんばっかり。仕事中も休みの日も、おっさんらとケンカばっかりしてた毎日だったな。ケンカもいっぱいしたけど飲んだり遊んだりもいっぱいしていたっけ。最後の方は、僕が競馬の講師になって、おっさん達に馬券講座をして、現場が終わるサヨナラの時に思い出にと有馬記念の馬券を皆で買ったっけ。

 

年末、地元の久万高原町(旧柳谷村)に出戻り

 

そんで、2月に愛媛県の南予地区向けの雑誌出版社へ就職が決まって、松山市に来ることになったんだったな。高校の時、ほとんの同級生が松山に行く事になっていたから、僕も松山市は候補になったんだけど、一回リセットしたい気分にもなっていて。だから、地元の柳谷村の役場でもなく、松山市でもなく、今治市に行く事にしたんだっけな。

 

ま、先生が就職誌の中から適当に指さして「ここでも行くか?」って言ったとこに決めたんだけどね。それくらい高校卒業する時って、計画性とか、将来展望とか、やる気みたいなもんがなかったな。

 

片付けしてたら賃貸契約書が3冊出てきた。

 

これは、松山市に来てからさらに引越しをして、結果、賃貸の部屋を3部屋借りたということを表しています。今住んでいる部屋がその3部屋目で、次が4つ目の部屋となる。次は賃貸生活ではなく、初の分譲マンション生活。正直不動産の主人公、永瀬財地さんのようなタワマン(タワーマンションの略)生活とは程遠いですが、環境が変わるのは気分も一新できるので楽しみ。

 

さ~、そして賃貸契約書の契約日見てみた。

 

1997年2月20日

松山市の最初のマンションの契約日

(当時20歳)

 

2003年5月1日

賃貸不動産の業界に入ったので引越してみた

(当時26歳)

 

2003年6月11日

ちょっと訳あって1ヶ月後に引越し

(当時26歳)

 

20年と7ヶ月前に今の所に引っ越して来たことになります。もうそんなに長い間住んでいたんだな。不思議な気持ちになるな。今回引越しする事になったのも、いいタイミングだったのかもな。そろそろですよ~ってね。キョロキョロ

 

ちなみに今のお部屋が一番家賃が安いびっくり

20歳の頃よりも47歳の方が家賃が安いって

 

これ、デフレやん!?

 

ま、そんないろんな事を振り返ってて、一つ懐かしい事を思い出した。それはある牛丼屋さんでお昼ご飯を食べている時。ま、ある牛丼屋さんって「吉野家」さん。

 

松山市に来るってなった時に、どうしても行きたいところがあって。憧れっていうか、夢っていうか、松山市に来たら叶えられるかな~って思ってた事、それが「吉野家」さんに行く事。

 

 

え?そんなこと?びっくり

今ならそう思うわな。

 

でも当時はさ、当時と言うか小さい頃から「キン肉マン」がとにかく好きで、その「キン肉マン」が要所要所で「吉野家の牛丼」食べるんですね。たまに「おしんこ」と「味噌汁」付けて。夢中で牛丼をかきこむ姿に憧れてて。いつか僕も「吉野家」に行って「牛丼」食べたい。出来るなら、「おしんこ」と「味噌汁」付けたって~爆  笑

って言いたい。んで、かきこみたい。(「おしんこ」って何の事か分かってなかったんだけど)

 

忘れもしない、キン肉マンの5巻(コミックスの話ね)。何歳の時だったか忘れたけど、クリスマスのサンタさんのプレゼントやってん。もう死ぬほど読み返したな~、キン肉マンの5巻。

 

その話の中、落ち込んだキン肉マンを励まそうと、ロビンマスクっていうイギリス出身の仮面を被ったレスラーがやってくるんです。手にはビニール袋があって「吉野家の牛丼とおしんこ」が入ってるんです。そして、一緒に食べながら励ますっていう良いシーンがあるんです。

 

それが美味しそうで。

 

そんなシーンを何回も見返しながら

「友情ってええな~」

「友達って大事やな」

「吉野家の牛丼美味しそうやな」

「ロビンマスクは仮面のまま食べはるんや」

 

って、友情の大切さをキン肉マンから学んだんです。僕と同世代の人やったら相当な人がうなずいてくれると思う。だから、作者の「ゆでたまご」さんが「吉野家」に感謝してもらっても良いのではないか、と思ったとしても合点がいくんです。相当売り上げに貢献しているはずやし、僕のように吉野家で牛丼を食べる。おしんこも付けたって~って言ってみたい。って子供多かったはずやから。

 

 

 

だから、松山に来て最初に吉野家に行った時は嬉しかったな~。「え、牛丼だけやなくて牛皿っちゅうんもあるんや」なんて、当時のあんなドシンプルなメニュー表を食い入るように見たっけな。今でいう聖地巡礼みたいなもんやさかい。(なんで関西弁?)

 

で、「牛丼並み~、あ、あと、おしんこも付けたって~」って注文出来て、それだけで満足やったな~。若かったな、あの頃。(倒置法キョロキョロ)ま、若いっていうのもあるけど田舎もんやったな~。

 

 

で、牛丼が出てきて

 

すっごいガッカリしたのを思い出す。

僕の牛丼はどこ・・・?

 

 

・・・これなの?って。

 

もうキン肉マンがそれ食ってどれだけ活躍したかを知っているから、とんでもない料理が出てくるもんだと、こっちは田舎で10年以上も楽しみにしていたもんだったからショック受けた事も思い出した。当分、牛丼食べんかったもんな。ショックすぎて(倒置法キョロキョロ

 

 

さて、松山市で4つ目の部屋に移ろうかと、その準備をしているここ最近、牛丼を食べに行く機会がなぜか増えて、そしたら、そんな昔の事も思い出したりして懐かしんでいるというところです。なんだかんだで牛丼には元気をもらっています。

 

 

 

しっかし、

ロビンマスクは器用に牛丼食べてたな。

マスクマンなのにさ、

 

 

もう漫画やな。

 

(何じゃそりゃ!)

 

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